白月光
白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

本気と一生懸命は違う

動じない精神。

揺ぎ無き思い。

焦りのない感情。


自分の器の領域を越せば
そんなものは木っ端微塵に砕け散る。


見てきたものの違いや差は大きく。

通り抜けた道の違いや差は大きく。

その道はその道でしか分からないもので…。


この世は
逃げずに通らないと分からないものだけが存在していると、そう感じる。


何かに立ち向かい負けたとしても
それは現時点の負けであって。

いや、負けは負け以外の何者でもない。

それでも、その位置まで辿り着くという強い意志が僅かでも残っているのなら
逃げてきた道を何度でも通い直せば良い。

器の違いがあったとしても

努力に、大きな違いがあったというだけのこと。

負けるとは、ただそれだけのこと。


逃げてばかりの人生も
我武者羅に立ち向かうだけの人生も
なぜか良く似ているのはそういうことなのだと思う。


考えること。まずはそれが基盤。


感情が事実を歪め
感情が手元を狂わす。


感情的になっているうちは
形しか手に入らない。

本物を手にしたければ、気付くことは必要不可欠。

そして気付きは、考えることなくして見つからないものだと思います。


拍手[4回]

潔さとは結果論ではなく、その根底が大事



放棄することは簡単。

無駄な私情に囚われず、繋いだ手を振り解いてしまえば良いだけ。


常識を覆し、ただただ我が道を行くだけのこと。



そんなことは誰に言われるまでもなく
心が知っている。


もしも
その条件を飲むとすれば

リスクよりも価値の在るナニカのために、行動として結果を出すだけのこと。


潔さは時として、守りともなるし破滅ともなる。


だからこそ心の中に在る、暖かい思いは大切。生きていく上で大切。

拍手[2回]

おばけの話し

昨夜から今朝にかけて


思いっきり霊現象と遭遇……。



正直、参りましたよ。




少し前からある人物(Aさん)から
毎晩々、おかしな夢を見るのだと何度と無く聞いていました。

その話しをなんとなく聞いていた上に、さらっと流していた私。


昨夜のことでした。とある品物がおかしいのだと、Aさんが言い出しました。
そして、それまでに見ていた夢がおかしいという状況と、点と線が繋がり…

その品物を見る(霊視する)ことになりました。



触った途端



足元から


一気に鳥肌………。最悪。



しかも

ご丁寧にリアルに手まで見せてくれたりして。気持ち悪い。


結局、さしあたり封印しておくこととなり。簡易的な封印をしておきました。



ところが……


うとうとと寝ていたら、耳元で大声。当然、跳ね起きるようにして目覚めました。

その状況は
1度ならず何度も繰り返される始末。


続いて
ドアップの顔。見せられる、物語。指定された場所。取り憑いている霊たちの数々の顔ぶれ。

しかも途中で気を失いそうになったし。

というか、正直、ここに書ききれないようなことが具体的にありました。



そして何時しか眠りに落ちた私。


でも
その眠りを突如打ち破る音がしました…

当然、霊聴ですよ。

封印した品物は音が出るんですけど、思いっきり耳元で品物の音が聴こえましたね。

勿論、その瞬間(朝方にもかかわらず)飛び起きて、封印を解きに行きましたよ。



いわゆる中途半端なことをしたんで、霊の怒りをかってしまったというわけ。


最終的には(睡眠をとってからですが)、霊障が出ないようにしましたけどね。


それにしてもハードな2日間でした。


拍手[0回]

本当のことを見ることは心の潤いでも在る



目に映るソレはナンなのだろう…

ソレは本当のことなのだろうか。


別の空間から見たソレは
ソレとは異なる世界が見えるかもしれない。



たとえば
不幸だと思い生きている人からしたら

不幸だと思っていない人間は
自分よりもずっと幸せに見える。

しかし

幸せな人間からしたら……
両者共に幸せではない。



そう感じることが在る。



そんな状況とよく似ているのが
空間の中に存在する、異なる空間。


この空間は気付きがないと見えなくて。

心の目を開けないと見えないもの。



本物に見えるまやかし

本物に見える偽り

本物に見える幻想


そんなのが当たり前に渦巻いている、この世界。



偽りの渦は
何時でも現実と隣り合わせで存在しているもの。

それはまるで、同じものだと言っているかのような錯覚にさえ囚われることも在る。



些細なことにでも拘ること。

些細なことだとしても考えること。

それは、ほんの僅かな行動。

時間にしたらたかが数分程度のこと。

たったそれだけの行動を継続することで、本当のことが見えてくることも在るもの。




境遇がどんなであれ、人にとっての心の潤いは大切だと思います。


また、心の潤いを強く求めながら生きているのも人間です。


こういうのは、生きていく上で全ての基盤だと思っています。


※ 関連記事「鏡の世界と魔力


拍手[1回]

生きることは誇りを持ち続けること

見えるものは分かりやすく受け入れやすい。


見えないものは分かりにくく見つかりづらい。


だから権力や地位、名声。そんなものが大切に思えたりする。


それそのものが意味を成す空間と
それそのものが意味の無い空間が
この世には在る。


結局、意味を成す空間の中でのそれらは生きた証しには成るのかもしれない。


しかしそれは、ただの自己満足なのかもしれないとも思う。
いや、そうじゃなくただの錯覚かもしれないし幻とも言える。


見えるもののほうが
結果的に幻であることが多いように思う。


しかし幻ではなく本物があるとすれば

意味を成す空間と、意味を成さない空間。
このふたつの世界をまとめるのではなく、
それらがモトモトヒトツだった世界で生きている人だと。


つまり
意味を成さない空間で生きるからこそ
意味の在る空間が結果論として実在してくるだけなのだと。




ふと――、
そう思ったから……。

拍手[1回]

鏡の世界と魔力


03.jpg
鏡の前に立つ自分と

鏡に映る自分。




どっちも同じ自分のはずなのに鏡の中の自分は
私以外の魂を持ったように見える。


どう見られているかという鏡の中の私を意識する。


別の魂の宿る、鏡の世界。


幾枚もの鏡を使い分ける生き方もある。
鏡の中で生きていく人も居る。
そして鏡を捨ててしまう生き方もある。


この世には見えない鏡が無限に存在している。


だからこそ思う。

本当は……
最初から無くてもいいものは、見えない鏡なのかもしれないと。


要らないものは手放してしまえば良い。


そうしたら大切なものがなんなのか見えてくる。


人の目という鏡の世界から出てきたら
自分の心の中心が見えてくるかもしれない。



信念と意地は違う。

思い込みと事実は違う。

本当の自分と誰かから見た自分も違う。



こんな風に正面から事実を捉え


そうしてようやく鏡の世界を超え


精神的な次元を上昇していくと


また違う意味の鏡の世界が実在していたりもする。




つまり

この空間は空間でしか無いけれど

この空間ではない空間に存在していることを知ると

意味の異なる鏡が存在していたりする。
結果的にそうなる。



鏡の魔力に触れ
そんな風に感じています。


拍手[0回]

生きる強さ

なにがしたいのか

本当はなにを考えているのか

なにへ向かい進んでいるのか

dosei-2.JPG


生きている意味とは

存在の価値とは


そういうのの全てが実在はしているけれど
実際は、ただもがいているように思えたりする。


それは辛いとか苦しいとか
そんな個人の感覚とは無関係に実在してて。


ただもがいていることを辛いとも思わず苦しくもなく
そうやって生きている人も居る。

だからといって鈍いから鈍感だからなんて、そういうことの意味だけじゃなく。

ただただもがいているという事実が実在しているだけというか…。

現実を受け止めているから、そう感じるのかもしれないし、

本当のことはその人の中でしかわからないけど


真剣に生きていても遊んでいるように見えたり、いい加減に見えたりするソレと似てて



人は人を演じきろうとして生きているのかもしれないと感じたりする。




拍手[1回]

ダレモがヒトリ(独り)だからこそ……

頭上に渦を巻く暗澹(あんたん)たる影。

不運の到来を予知した不吉な様子。

まるでカラスがお迎えに来たような、最悪の気分。


しかし、そんなもの普通は見えるはずもなく。


だから気がついた時には、不吉な渦へ首までどっぷりと嵌まっていたりするものです。


世の中には気が流れ、充満しています。

代表的なものだと、「流行や旬の食材は、気が満ちているから良いのだ」というお話しですが
耳にしたことはありませんか。

流行も旬の食材も気のひとつですが、これは霊感で見ても同じことが言えます。

つまり、運が、仮に低迷していたとしても高いエネルギーを身に纏(まと)うのは善いこと。

最悪の状態でも最善の選択になりますね。


世の中も、肉体も、気の道の存在は重要な役割を果たしています。


それらが展開されていった矛先のひとつに、宇宙があります。
音域が一定するかのように、見えない世界同士がひとつに繋がると、それまでよりも大きな世界を作りだします。


その世界を現実にたとえるなら

趣味仲間と共に、久しぶりに趣味へ没頭した場合、心身共に澄んだ空気のような感覚が、肺一杯に広がるような気がしますよね。


まあ、そんな感じで、見えない何かが広がっていく感覚と似たようなものです。


その作られた世界――、
流行や旬の食材を取り入れたからといって、いきなり大きな世界に変わるわけではないですが
気の流れが少しずつでも変われば、わずかだとしても精神が安定します。

少なくとも、今よりはマシになります。

要は、当たり前の生活に、心への潤いを補充する感覚で実施していけば

いつの間にか精神は(今よりもちょっとだけ)安定し

その結果、自動的に気は(わずかだとしても)循環していきます。


そして、それらの結果論が作られていく世界の一部なのです。



宇宙と意識が繋がり共鳴すること、それは(人が求める)もともとの安息の空間です。



自分が自分らしく生きていくために、気がついたらやってみるのも善いかと思いますね。

拍手[7回]

占い軒龍卑のBlog




CM(コメント)のパスワードについて

パスワードを
あらかじめ入れた状態で投稿しておく事で

コメントを送信完了後でも
パスワードを入れれば
編集ができるシステムになっています。

またパスワードが無くても投稿はできます。

気軽にコメントお願いしまーす(^_^)/

プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
56
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

記事一覧

軒龍卑より

占い軒龍卑の最新情報




ハルカのぼやき






you tube

Healing Graphic arts

by: 軒龍卑













最新TB

ブログ内の記事検索



kaiseki‐test

アクセス解析

リンク集

リンク希望の方はURLを明記して、メールフォームからどうぞ。(リンクフリーではありません)

((([\/]  軒龍卑にメールをする

(1)印の部分は必須です。未記入だとメールが私宛に届きません。(2)記号や( )、特殊文字等を入れると文字化けしてしまうので、ご注意を。

最新CM

コメントを残していきなさい(笑)って冗談です。気軽にどうぞ。



[04/18 うに]
[11/15 うに]
[12/26 うに]
[10/19 うに]
[02/01 うに]
[01/24 うに]
[11/10 うに]
[09/27 アイカネ]



※当たり前のことですが、悪戯を目的とした書き込みや荒し行為は禁止です。