白月光
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白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

自分の中の本当と世の本当

自分の中の本当。

それがあるから個性であり、唯一無二の自分の存在でもある。



その自分の中の本当。

その本当は、常に保留という言葉が存在していないと

世の中に破壊され蝕まれていくだけとなる。




自分の本当と

世の本当は



矛盾したままで、こじつけという結果を強要される。



だから

人は悩むのだろうけど



それだとしても


世の本当という川の流れの中で生きている限り


川の中で生きていかなくちゃいけない。



川の中で生きながら

自分の中の本当で在り続けること。

それは川の流れ(世の中など)を変えることでも

自分の中の本当(思想や考えなど)を抑圧することでも無い。


それは

きっと

無駄な思考と

無駄に行動すること。

そんな身近なことが

人生を難しくしているのかもしれないと思う。



自分の中の本当と

世の本当は

もともとひとつだし

もともと繋がっているものだと

霊的にも現実的にも、そう考えています。

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自分だけの世界

心の中の世界は果てしなく

何処までも続いていて

終わりなんてなくて。


だから


その世界の中でたくさんの情報が飽和して

塵(ちり)のように飛び交い

思考を混乱させてしまうことが在る。




自分の中で入り混じる考えは


何を言いたいのか


何をしたいのか


そんなことも分からなくなることもある。



そして


自分の中の本当のことから、遥か彼方に遠ざけられてしまう。




結局、それら自分の中の世界とは

幾万通りもの顔を持っている。


その結果、どんな現状があったとしても
思想は、自分だけのものとして生きていけるのだと思う。



それだとしても



本当のことはひとつしかなくて。





画家が思ったことを思った通りに描けなくて
生涯を掛けるように。

自分のキャンバスに

本当のことという思いを

生きている間、描き続けていくことが人生なのかなと思う。



結果的に本当のことが描けたとか描けないとか

そんなことじゃなくて。

描いている時が人生だよねと。




だから


描きながら


こうじゃない


ああじゃない、なんて。


そんなんで善いんじゃないのと思うのです。



心の中の世界。

それは自分次第で如何様にも変化する。







ままならない現実をどうにかすることが人生なんじゃなくて、




ままならない現実の中でどう生きていくかが人生なんだと思うのです。

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空と共に生きる

※ 画像をクリックで拡大。
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誰もが

いつも違う顔をした空を

子供の時にたくさん見ている。


子供は

ちっとも忙しくないはずなのに

なぜか
あり得ないくらいに忙しい。


でも


人は大人になるにつれて

あまり空を見ない人が増えていく。


忙しいからと

忘れられてしまう。


子供はどんなに忙しい時でも
空を見ない時なんてなくて。

風邪をひいたとしても
窓から眺めるくらい、身近で。

いつでも空と共に生きている。


空は

地球と共に

人と共に

存在している。


そして
自然の中に

子供は生きている。

確実に自然と共鳴して生きている。




じゃぁ


空を忘れた大人は

どこで生きているというのだろうか。





それでもね
空のような自分であり続けることを

1番望んでいるのも

自分なのだと…。



だから

きっと

空は、自分自身の中にも居るのだと思う。

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謙虚な気持ち

人は、謙虚な気持ちが無いと

本当のことなど何ひとつ理解できないのではないか。

ましてや

大切なものを大切だ、という

その思いの欠片さえも理解できないだろう。


謙虚。


それは

人が人として生きていく上での

掛け替えの無い

守りであり

武器でもあるのだと思っています。


また


謙虚とは、耳を傾け、無理なく心の扉を開けることなんじゃないかと思います。


そして


その思いは


心の目を開けていくことにも繋がっているのです。

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現実と思い込み

現実というのは

自分の思いという存在が

事実を歪めることで

その周りにいる人間を巻き込み


果ては、何の目的も意味も持たず


状況を波乱や破壊へと導くことが在る。


たとえば
誰かが自分へ何かをいった。

その顔が

その言い方が

むかつく。


その瞬間

事実という本当のことが剥離(はくり)してゆき

歪んだ思い込みが

今という事実を捻じ曲げて理解してしまう。


そうした経験は誰にでも在るとは言いがたいけれど
それでも
善いことではないと思う。


たとえ、相手がどんな言い方だとしても
なぜ、それを言っているのか。ということを理解しないうちは
同じ土俵での話にはならず。

それでは、ただの嫌がらせにしかならない。

だからこそ

どんなにむかついたとしても

そのむかつきを正当化させたいのであれば

一旦は、自己の思いを封印するのではなく、脇にどかし。

そして、言っている目的を咀嚼(そしゃく)する必要が在ると思うのです。


咀嚼して

意味を

意図を

理解すれば

自分が、正しいことは正しいのだと。

間違ったなら、ごめんなさいと。

そう素直に言えたりするものだと思うのです。

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宣告者

しなやかな獣は

脆弱(ぜいじゃく)な獣に惹かれ。

脆弱な獣は

しなやかな獣に惹かれる。


惹かれあう意識が現実化するのかというと
そうでもなくて。


たとえば

しなやかな獣の立場から見て

世間の評価が

自分を美化しているとする。


だから

きっと

しなやかな獣とつり合うんだよね。


結局、世間の評価という沈黙の視線が伴う。


だったら当然とばかりに
自分に相応しいしなやかな獣を選ぶ。


でも


本心ではなかったことが
時を経て
我が身に戻り

何れ離れてしまう。


だからといって

光り輝く立場のしなやかな獣が
脆弱なけものを選んだ場合

世間の風が

とてつもない障害となることも在る。


屈辱。

侮蔑。

嘲笑。


そんな細々としたことを考えていくと

結局は、生をどうとらえているのか、とか。

愛をどんな基準で見ているのか、とか。

個人の価値観の問題になるのだろうと、そんな風に考えがまとまってしまう。


でもね

思うことが在る。

仮に個人の価値観だとしても。そうだったとしても。


本当に好きなものを好きなままで貫けるというのは

努力も

忍耐も

精神力も

そういうのが持続しないと見失ってしまうものだと。


だから

そういう内面の本当を無視するから…
見ないフリするから…

惹かれあったとしても

世間という風に流され

何処かで自分を裏切ってしまうことがあるんじゃないのと思う。



ただ、ただ、

人に見せるだけのために

自分を他人のように、駒のように、扱う。



自分の本当が何処に在るのか――。

それは人生の中で気配を隠しながら、時として現れる宣告者なのだと思う。

宣告者は自分の中にしかいない。


そして


嘘には嘘が返り

本当には本当が返る。

つまり
自分が自分自身を現段階で理解している範囲の答えしか返らない。


こういう言い方は
残酷のように見えるけど

残酷じゃなくて。


ただ、自然の厳しさのように

在るがままを伝えるだけの存在。

それが在りのままの今の自分という、宣告者(自分の思い)なのだと思うのです。

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女神

先日、ある小説を読み終えました。


その小説は
現実に在りえる事柄をテーマにし
あえて殺人を入れ込んで完成させたような作品です。

主人公が現代版のノイローゼであり

小説全体の波でもあり。


この世の全てが

誰かに見られることを意識し

完璧に演じきろうとする。

そういった異常性を持ち

また、美貌を持ちあわせた女性。主人公。


その小説を読み終えて感じたこと……。

親の愛情が与える影響力の強さ。

そして

結局、人という生き物は、基盤になった愛がこうした結末も生んでしまうのだなと。
心ばかりか脳までも変形させてしまうほど、基盤の愛の影響は大きく。

それゆえ、人生の軸を容易に変えてしまうことも在る。


だから

自分で変わりたくても変われないくらいになることがある。

重い十字架を背負うというのは
自分で仕出かした罪ならば仕方ないのかもしれない。

だけれども…

いわれの無い無実の罪を
傷をえぐり塩を塗りこむように
幼い心へと強制的に罪という十字架を背負わせる。


十字架は

月日を増すごとに

本当は自分が悪いのかもしれないという、錯覚にとらわれたりもする。

無垢な白へと垂らされた、どす黒い染みは
腐臭を伴い、白を黒にしてしまうことくらい、平気だろう。

きっと、思っているよりも、白から黒へと変化することは、ずっと簡単なことなのかもしれない。


愛は

尊いもの。


愛はかけがえの無いもの。


だからこそ
履き違えた愛を
愛なのだと

これが愛なのだと

押し付けてはいけないんじゃないのかと思う。


それは

子供ばかりじゃなくて

男女の愛にもいえることで。



愛はとても無力で。


無力だから強くて。


そして
破壊的だから弱いもののように思える……。


しなやかな獣のように
愛は瞬時に動きを変えるものだと

そんな風に感じたりもします。

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森の小人


03-1.JPG

森の中には小人がいる。

そんなことを子供の頃は信じていました。

よく童話や絵本なんかに登場する、小人。


悪い小人も

善い小人も

それぞれの物語には存在してて。


どうしたら小人と会えるんだろうか?なんて真剣に考えたこともあった。


何時からか

そんなことが在るわけが無いと

信じなくなってしまったけど。


でも、未だに妖精や小人の絵が好きなのは

きっと子供の頃の影響かもしれないですね。


そういう意味での好きでいったら

タロットとか、小人のヤツを持っていたりします。

なんか、癒されるから好きなんですよね。



子供のまま大人になってしまう。


夢を見続ける、大人。


そんな一面が、誰にでもあっても好いと思うのです……。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
56
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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