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あなたは本当の自分で生きてますか?

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人の感情の種

よく、親なら子供をかわいいと思わない人はいないということを聞く。

でも

世の中、そんなきれい事ばかりじゃないよねと思う。


いると思うよ。子供なんかどうとも思えない人。


けどさ
そういう人が特別なんじゃなくてね。

誰しもが持っている、それぞれの感情というのがあって。
この感情を仮に芽だとする。

それで
その感情には芽になった時点での可能性を幾通りも秘めた種が在る。
つまり、種は原始的な感情という意味にもなるんだけどね。
でね、その種になっている感情は誰でも共通した種類を持っているものだよと思う。

かなしくも嬉しくも
そんなもんなんだよねって、なんか思うんだよね。

まあ、子供を…。に関しての批判でも肯定でもなくて。
ただ、そういう人間も居るし。だとしても人の感情は共通しているよねというお話し。


というか、こういう記事を書いていると辿り着く気持ちが在るんだけど。

やっぱりさ、人生って自分がどうなりたいのかなんだよねぇ……って思うよ。ほんと。

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人の力を超越した位置に在るもの

時の狭間には人間の能力を超え超越した魔物が宿る場所がある。

道と道の切れ目に
目だけを恍惚と瞬かせ
ただの道になったみたいな顔して待ち構えているもの――。
結果。

しかし、それらは魔物となることもあれば、天使になることもあって。


そういう見えない力は

この世に幾らでもある。


それでもね

結果という

どうしようもない存在があったとしても

目標達成へ向け行動することしかできないのが、人。


摩訶不思議なものに踊らされ

本当に大切なことであるはずの「達成へ向けて歩く自分を」見失わないで欲しい。


結果。結果。結果。

世の中、確かに結果だよ。

だから誰もが努力する。

だとしても
結果とは人の力を超越した位置に在ることを忘れないで欲しい。

また
達成へ向けて歩く自分が
本当の現実なのだということを知って欲しい。

つまり
その瞬間だけが
自分自身という人間としての能力だけを最大限に発揮できるものだと思うのだ。

少なくても

ここにきたことで

忘れていた何かが在るのなら
思い出してもらえたらいいし。

理解していたとしたら
更なる自覚を持ち人生を歩いていって欲しいと思います。

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自由と引換えになるもの



仲間からはぐれ

何処へ向かうのか

仲間がいても
仲間がいなくても

独りで生きていける人もいる。

それはその人の人生なのだから自由だよと思う。

向かう先に目的という的があっても
的なんかなかったとしても
羽を広げ飛んでゆけるもの。

その先に何が待っていたとしても
何もなかったとしても
敗北だったとしても

そういうのが人生で。

希望を捨てる自由も在り

希望を持つ自由も在る。


そして
そんな人生という時の中

運命の切れ目で

ひょっこりと

顔を出すものがいる。



結果



という



人の力を超越した現実が置き去りにされている、ところ。




結果を知り

嘆くのも

喚くのも

自暴自棄になるも

泣きながら立つことも

泣きながら笑うのも

全てが自分自身に委ねられ
責任という重みで圧し掛かるけど、
どう表現するのかなんて
そんなのは
自分の成すがまま。


だから


ふと

人は何のために生きているのとか思ったりする人がいたりするわけで。


だとしても

最善と

最悪。

そのどちらかの生き方も存在しているんだよねと
そう思うよ。

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修練という存在

たとえば何かを習得するために練習をする。
この技ができないからと、練習する。
どうしたら、あの人のようにできるようになるのかとお手本になる物事、ビジョン、人物などを観察する。
たくさん観察したら自分も技の修練に励む。
だけれども思うようにできない。
そういうのを繰り返して、ある時、誰かに言われる。凄いねと。素晴らしいと。
そういわれても、自分ではまだまだだと思うだろう。

やがて

時が経過し

技の発表会があった。

お手本のようには無理だけど
自信はあった。

なぜなら
自信とは練習の反復により必然的に体得していくものだから
不安になる必要性はないのだ。

人の人生は
そんなことの繰り返しなんじゃないのかなと思う。

もしも、どうせできないと、練習中に言う者があれば
ただの練習不足なのだとまわりの人間は即座に理解をする。
ただ、当人はそうは思わず。自分は駄目なんだと嘆き悲しむ。

練習を蹴るも

修練に励むも

その人の問題であることには変わりが無い。

それだとしても
練習の結果が素直に反映されているのが人生というものなんじゃないのと感じでいます。


また
お手本を観察するということと連帯した上で、練習するということは、
謙虚な気持ち失くして存在しないもの。

どうせ駄目だからという言葉は
時として傲慢と高飛車という意味にも通じていたりするもの。

だからこそ目標設定を自分の能力値と平行に持ってくることは
ある種、失望という無意味なダメージを未然に防ぐことにもなるのだと思います。

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苦味という苦悩

人は苦悩ばかりかもしれない。

もしも、苦悩に味があったとしたら苦味なのかもしれない。
だから、きっと、それらは受け止める心の場所により味が違うんじゃないのかなって思う。

子供の頃は苦いものが
渋柿を食べたのと同じくらいに不味いものだったけど

大人になると舌のミライが磨り減って美味しいと感じるもの。

そういうのと同じで受け止める場所があって
その場所を何処に定めるかにより
美味いと思うものなのかなって。
そんなふうに思う。


人が本気で生きようとすればするほど
苦味という苦悩は直面してくるもので。
だからって、適当に生きていたらいたで、本当に美味しいものを美味しいと分からない。

美味しいものは美味しいと感じたいから、結局、本気で生きているわけで。

必然的に苦味という苦悩を体感しつつ生きていくことになる。

だとしても

その苦味という苦悩を好きになれなかったとしても

苦味の魅力を探すことも大切で。

他の人が美味しいという、その美味さを体感しないままで居るのは悔しいことだし

だからこそ理解しようとするもの。

結局、苦味という苦悩の存在なくして
旨みという幸せは体感できないものなんじゃないのかなと思います。

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お疲れさんな人へ

なんとなく、好い感じで心がほぐれます。
お疲れさんな人はどうぞ



http://www.youtube.com/watch?v=d8pr2AJeIbM

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前向きという言葉のひとり歩き

前向き。

それはそれは素晴らしい人間が持てる意識だよね。

なんて思う人がいるかもしれない。


実は
その言葉は巷にはびこるおかしな思想家(?)により、事実を歪曲されていると思うよ。


あのさ

前向きって

苦汁と葛藤。

その無様な自己意識に呑まれなかった証だよねと。


そう考えるのは私だけなのだろうか……。

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謙虚という武器と守りについて

前々記事で、嫉妬心について書いたのだけど…。

受け止める(心の)場所について、少しだけ補足をしておきます。

たとえば
好きな人がいて
でも、その人の側には他の異性が居たとする。
簡単にいえば、ライバルが居るということ。

そこで競争心が出る。

一瞬だとしても長期間だとしても、自覚していてもしていなくても、
人が人で在るが故に持たされた生存本能なんだと思うのね。競争心。

その競争心は時として醜態(しゅうたい)をさらすものでしょ。
無様で醜いそんな人間の闇をさらけ出してしまうもの。

でもね

闇しかなかったら

闇だとは分からない。

光しかなかったら

光だとは気が付かない。

それと同じでさ、その中に謙虚な気持ちがないかな…。
まあ……もともと無い人間もいるけどさ。
だとしても、なんだとしても、謙虚な気持ちをまずは競争心(たとえば嫉妬心)の軸に持ってくる努力をしてみるといいと思うのね。
当然、嫌な気持ちは変わんないよ。辛いのも、そういう不の感情は何もかわらない。
それだとしても、ちょっとだけがんばってやってみる。
できなかったからといって諦めるんじゃなくて、逆上がりができなくてがんばって練習する子供みたいに、何回でもチャレンジする。そういう時は、苦汁に満ちたままやるものだし、仕方ないよ。
だって、そんな時は何やったって辛いわけだしさ。

でね、

謙虚な気持ちっていうのは

たとえば

やってもらって当たり前のことなんてこの世に存在していないし、そんなもの何ひとつ無いということ。

ごめんなさいには、作り物じゃなく、本当の謝罪の気持ちを込めるとか。

まあ、そんなようなことなんだと思うの。

そこで、ひとつ大切なことなんだけど。
自分は駄目なんだとか
そういう気持ちは、自分だけ特別、と少なからず感じているわけで。

それは
どちらかというと、上から目線になっていたりするもので。

つまり

自分以外の人からしたら

おまえ何様的な意味だよね。

できないとか駄目とかじゃなくて
できなかったとしても
チャレンジしつづけることに意義が在ると思うの。

それでも、所詮は結果でしょ。

そりゃそうだよ。

世の中、結果が全てだよね。

なんていうのかな
もしも、それが事実だったとしても、こうなりたい。ただ、そのために努力し日々突き進む。それしかできないよねと思うんだけど。

だって、人は魔法使いじゃないんだし。

たとえば、そこで結果が駄目でした。
だから自分は駄目人間です。

それって、そうじゃないじゃんねと思う。

努力していないなら別として、自分の能力の範囲でがんばった事実があるのに駄目とか言うとしたら、世の中に人は存在していないんじゃないのって思う。
結果なんて、やってみなきゃわかんない。


それでも、
その結果へ向けて考えたり努力するのが人の能力の限界なんじゃないの。


だからね

自分は駄目という言葉は時として自嘲というよりも、高飛車な意味にもなるものだと。

つまり
謙虚な気持ちを心の中心に座らせておけば
人生で台風が来ても、少しは違うでしょ。
台風を捻じ曲げることは不可能だよ。
それでも、備えることはかのうだもの。

また、その謙虚という気持ちは
大切なものを守るのための武器にもなるもの。

なぜなら

人と人は言葉に密着している「心(本当の気持ち)を」感じながら生きているものだと思うんですよね。


受け止める(心の)場所――。
それは謙虚な気持ち。その部分が本当の自分でいれる位置だったりします。

なんていうか、心の整理が1番難しいなって思いますよ。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(ハルカ)
年齢:
56
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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