白月光
白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

ひと息の間


http://www.youtube.com/watch?v=22IYFqOIIVg

サムライチャンプルー 第壱話 2
サムライチャンプルー 第壱話 3
サムライチャンプルー 第壱話 4

アニメは好きだけどなんでもよいわけじゃなくて、好みが偏っている私です。
まあ、このサムライチャンプルーはおもしろいと素直に思えるアニメですね。

はまり過ぎない程度にはまるのも大人のマナーなのかも。



でも


はまり過ぎてしまう時ってありますよね(笑)

ではでは、私の個人的なおすすめになってしまうのだけど、頭を休める意味で楽しんでくださいね。

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執着がいけないのではなく美となる人間性の問題

人の執着心とは時として悍(おぞ)ましく、賛同の様によっては美とされる。

しかし、そういった執着心が人間の能力の域を超えたとき
霊的な世界での変異が巻き起こる。

その様は貫くただひとつの思いを託し投げつけた矢のようでもあり

また

自分の思いに存分に溺れ、我が思いに飲まれた木偶のようになることもある。


執着がいけないとは思わない。
だけれども、執着は変容していくものである。

だからこそ、それらの思いを貫くのも我が人間性になるのだと思える。

それは道徳的な表現の意味ではない。
霊的にも心理学的にも同じ意味合いなのだと考える。

人間性の美は猛り狂う四季折々に組み込まれた猛威なのかもしれない。
そして、それらは表面ではなく、中で輝くものだからこそ美なのかもしれない。

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どうしようか迷ったけど

書くことにしました。

実は先ほどの時間までとあるお方とお話をしていたのです。

で、あることが切欠で、死ぬほど笑ってしまい。

それでもって、涙がボロボロでてきたんですよね。


私もね、過去に、そこまでは笑うことがありましたよ。
涙が止まらないよ。という笑いはありましたよ。


でもね、


笑いすぎて

鼻水が出たんです。
ちなみに鼻をすするほど、鼻水が出たんですよ。

そう、おかしすぎて。


それを相手の人に伝えたんですよね。私。


そうしたら、その人は私のことを


はなたれ占い師


と、言ってのけて。

しかも、

しかもですよ、


汚いとか言うし。


もう、どうしたらこの笑いが止まるの?

誰か止めて。

そんな状況でしたよ。


まーた、そこで鼻水が出るほど笑ってしまい。

そんなこんなで、コメントのレスがおかしくて書けませんでしたよ。はい。



第一、レスを返すのに時間がたてば返せるような、

そんな

生易しい

単純な笑いではなくて。

明らかに、いや、あのレスは、どんなに真面目に書こうとしても無理なんですよ。


ええ。間違いなく、いつ何時に書いても、絶対おかしくて笑いますからね。


ここまで、私の理性を飛ばせてしまう、とあるお方に完敗です。


これは初体験ですね。

ええ、まさに人生初の体験です。


ということで
迷ったけど書いてしまったお話でした。


はい、お終い。

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人間の可能性のひとつとして…

前記事への追記です

***

仮に殺人願望があったとする。
それも自分でどうすることもできないほどに。

その思いというか願望はとうぜん世の中のルールに反すること。
または、反する位置の道のりに存在するというということ。

けれども、人はそういった願望を封印しようと思えば思うほど
本能が突きあがる。

ならば

小説でも書いて、小説の中で幾らでも人を殺したらいい。
もしくは、保健所のガス室係りになって動物の殺害をしたらいい。

どうしようもない性とは堪えるものでもなくて、
生かし方を変えればいいだけなのだ。

それだとしても殺人を犯したいなら戦争している国に行って
合法的に戦場で戦えばいい。

その考えは正しくもなく、間違いでもなく。

ただ、自己の中の願望へ忠実になり
その結果の行動の選択をしただけなのだと思うのだ。

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野望でも欲望でもそれらは生かす場の問題

時として、希望という文字が自己の心内で激しく移動する流木のように彷徨うことがある。

それは野心なのか

或いは欲望なのか

また純粋な願いなのか

若しくは、それらのどれでもないとしたら何なのか。


そんな問い掛けも流木のように素早く流れ去り、運が悪ければ砕け散ることも在る。


世の中にどれ程の正があったとしても、
誰かがそれは違うと否定したとしても、
自分の中で正しければ正しいのだ。

世の判断により、あえて自分から進んで流木を破壊する事も無いだろう。

確かに、なにをどう考えても偏見だよと誰かに言われたとしても、
それでも、自分が理解できないものを理解する必要はない。


どのような希望であれ


たとえ残虐非道であったとしても


まともだったとしても


まともな皮を被った非道だったとしても


大切なことは


希望の生かし方が問題なのだと思うのだ。



たとえどんなに非道だったとしても



まともに生かせる場所を探す…



ただそれだけのことなのだと思う。



だからこそ

希望の二文字が自分の未来に存在するのであれば、
今在るひとつを手掛けよう。

大きく膨らむ希望ならば尚更のこと

たったひとつの今在るひとつをやってみよう。

きっと、そのひとつは…
今までの100分の1程度のパワーでいいのだ。
それまでが本気だったとしても本気じゃなかったとしても、
そんなことはどうでもよくて。
それまでがんばったその瞬間の100分の1だけに
本気でパワーを出せばいい。

きっと、私が「今ここで言いたい構造の起点」になっているものを説明したら
膨大な量か、若しくは、あっけないくらいに短いかだろう。

そんな説明は今はしなくてもいい。

ただただ思うのは
がんばる矛先を変えること。

そして体は辛いかもしれないけど
神経を楽にすること。

そうすれば

ありのままの自然が見えてくるに違いないと…
それは裸眼で捉えるありのままの姿になるのだと

だからこそ

結果として

生かせる場で自分が生きていける素晴らしさへ辿り着けるのだと

そう思うのだ。

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些細なことだったとしても我が本能というもの

好きという感情は、日常生活の中で盛んに脳内で反映されている出来事なのだと思う。
ただ、それらは、自分の中でどの程度の自覚があるかによって様々な感覚や思念と成り、何れ自分自身の自覚へと結びついていくものなのだろう。

この好きという感情は、人が人として生きていくことや、生まれ持っての人としての機能を存分に引き出しより良い人生を歩んでいくための必要不可欠な存在なのだと思うのだ。

たとえば誰かと小競り合い程度のいさかいがあったとして、素直にもとの関係へと気持ちや行動を向けることができればよいのだけど、そうはいかないこともある。

大抵そういううまくいかない時という場合には、知らず知らずのうちに意地を張ってしまっていることがある。
そのちょっとした意地が「好き」という純粋に湧き上がる思いを否定するものなのだ。

まあ、それに気が付くときは後の祭りというのが常だと思うけど…。

なんていうか、こういった些細な好きという思いへ素直に従うことができるようになると、人生の味が濃厚になるものなんだと思う。

その素直に従うという意味だけど、ただ好きなことを好きなままにするという意味ではない。
好きなことを好きなままに通せることもあるだろうけど、そうしてはいけない状況も在る。

…なら、好きという思いに素直に従うというのはおかしいと考えるかもしれない。だが、そういう意味でもない。


素直に思いへ従うというのは、
自分の中での反応という意味なのだ。


自分の中で純粋でも複雑でも「好き」という思いを理解することは、
何れ生き抜く勇気を持たされることと繋がっていくもの。


そして、自分の中での好きを理解してから

その後どうするかを考えればいい。


こうしなくちゃいけないから、好きでいてはいけけない。
と、否定するのもありかもしれないけど。


それだとしても、

好きな思いは本能なので

どうしようもない思いなのだし。


好きだけど、こうするしかないよね。

という道を仮に選ばざるを得なかったとしても、
その道よりもかなしいものがあるとしたら、
好きな気持ちさえ否定されてしまう自分なんじゃないのかと――、
そんな風に思うのだ。

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様々な好きという思い

好き

その言葉は 誰もが持っている我が思い
何に対しての 好き なのかは その人自身の価値観

けれども 好きでいたくないのに
その思いが断ち切れなくなってしまったりすることがある

湧き上がる願望を断ち切ることに どんな意味があるのだろうか

その思いは本当に断ち切るべき思いなのだろうか
何のために断ち切るのか

結局 辿り着く最後の答えは 自分が辛くなるから なのではないだろうか

好きの対象が人間であった場合 
相手が苦しむからというよりも
苦しんだ相手を見る自分が辛いからなのだと思うのだ

また限りなく素直に 
実らない恋や愛にしがみつく そんな自分に耐えられなくなる
ということもあると思う

対象が人間でなかったとしても
人はたくさんの 好き がある

好きを諦めるのもひとつの手段でもあるし

また

好きは湧き上がるどうしようもない本気の思いだから
その部分を抱きしめながら
荒れ狂うその部分をなだめながら
共に心の中での我が思いとして共存し生きていくのもひとつの手段なのだと思う

ただ 私自身 常々思うことは
好きなものを無理矢理きらいにしてしまわないように
あるがままに
自分の中の自然な生態系を眺めている

好きになってしまったことと

現実に生きていくこととは

異なっている

だからこそ あるがままに受け止める
四季による猛威が美となる瞬間のように あるがままに受け止める

耐えるでもなく

貫くでもなく

あるがままに……

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無事に(*^ω^*)えへへ

たぬきをお届けしてきましたよ

それで、ちゃぁんと飾ってくれました。

しかも、持って行って直ぐに飾ってくれました。

喜んでもらえると素直に嬉しいですね。


また今度、縁起物をつくろうと思います。
次の作品は自分のうちのためにですね。

ん、ということは…。
次の作品は嫁に出す寂しさはないということですね(笑)

それで、そのうち運が上がるかもしれない作品をつくって販売しようかと思います
まあ、たくさんは作るなんて無理なので。そうですね、ちょっとずつという感じで。
気長にお待ちくださいね。

その時はブログの記事にてお知らせします。

ではでは報告でした。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
56
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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