白月光
白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

言葉は在るがままだとただの文字

たとえどんなに素晴らしい言葉を聴いても、
それはただの言葉にしかすぎず。

言葉や文章は感情というスパイスが混じることで
容易に意味を変容してしまう。
的を外した何かが進行しても気がつかずに我が脳の神業に騙されたりもする。

誰かが言っている意味を理解できても
言葉を知らないと伝えることに不自由する。

時には言葉を知らぬことで嘲笑される。

意味を理解するだけでは不十分で
だから、言葉も同時に理解してみる。

では、言葉とは何者なのだろうか。

感情がなくても言葉を発することもできるし、
感情が相反することであっても異なったまま言葉を発することも在る。

誰かの気持ちを何処までも知りたいからと、
たくさん話をしても
どこに本当があるのか分からなくなる。

それは
本当がなんなのかと、
どこに本当が在るのかと、
その誰かを取り囲むから分からなくなる。


言葉はただの言葉。

ただの文字でしかない。


そこに我が思いというスパイスを使う。

スパイスを過剰に入れれば不味くて食えない。
スパイスにも加減というものが在ると思うのだ。

この料理にこのスパイスだと容易に分かってしまう品もあれば、
果たして、このスパイスはなんだと絶妙なバランスが取れた品もある。

人に食べてもらって美味いと言わせるための料理。
それを意識して作ると美味くないものが出来る。
または、無難な品かもしれない。

自分が食べたくて今在る材料と技術で最高のものを作ったときに、
誰かが絶賛する。

言葉も料理と似ている。
言葉と我が思いというスパイスが混じる料理。

いや、辿り着く最終章を考えると仕事と似ているのかもしれない。

そう――、
自分が満足するために行なうもの。

そんな風に思うのだ。

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ぶつぶつと独り言

ここ数日、本能から生え出る欲のお話が続きましたね。
私が書いた事柄が、医学や心理学または科学などを専攻する研究者の方には、どのような認識として脳内で反映されるのでしょうね。

まあ――、
ふざけたことを抜かすな

か、

どこか一部への興味

になるのかもしれませんね。
どんな風に受け取られるのかは受け取る側のセンスにもよると思います。

別に今回書いた部分に賛同して欲しくて書いたわけではないし、ただ、私の中での霊的な事情を心理学や医学と置き換えた場合はどうなるのか。という、私の中で変換された内容です。変換とは言っても現実的に独学でしかないのですが学ぶことを当然していますよ。

当たり前のことですが、霊感で起こっている事情を書くまでには相当の期間と考える時間、そして、現実的に学ぶ時間を要しています。思いつきで心理学や医学といった内容に今回の記事を変換した訳ではないです。

だって、霊的なお話からしか何かを伝えることができないって、私自身、人としてどうかと思います。
他の占い師がどうこうとかの比較ではなく、自分自身の世界観の問題です。
ある側面から、または、ある一方方向から、誰かに何かを伝えるというのは「誤解」という人間関係の亀裂を発生させる場合もあるし、最悪は崩壊もあるでしょう。

それに、その対象となる誰かに見えたことを伝えるのが私の占い師としての仕事です。

なので、様々な手段で伝える努力を今後も行なっていくつもりでいます。

今回、書いた欲については、「本能から生え出ている欲」を1000の数だけ霊感で見ているが、現実に置き換えた作業を1000から2だけ選び、その2を100%にして記事にしました。
だから私の中では、序の口、宵の口。まだまだ、(現実的に言葉を変換する意味での)研究の対象でしかないのだということですね。それって、気の遠くなるような気もしないでもないです(笑)

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おさらいとお知らせ

関連記事
精神力を鍛えるとは欲を制することではなく
テーブルゲーム

本能から生え出る欲。
まあ、それを身体機能上、自然の摂理だと受け止める。

そして、

欲を出している自分を眺め、人間という生き物の法則を知る。

欲を出す本能と人間としての部分は、そもそも分離した機能だということ。
捉え方としたら、風邪をひいてしまったという事実に狼狽(ろうばい)するのではなく、風邪をひいたからどうしようかという例と酷似しており、また、異なった機能だということです(意味:風邪の菌と肉体)。

つまり、化学変化(欲の素へ同意すること)が起これば
「分離した機能同士」が「融合」する。
上記文章を風邪をテーマに例をつくると以下のようになります。
風邪菌と肉体=もともと異なったもの
風邪菌におかされた肉体=風邪=融合

この融合が欲の意味を成す。

電気抵抗と一緒。
強いものが弱いものへ流れる。
ということだよね。

また、人間としての部分は以前の記事で精神と書いているはず。
正確には精神力。

心も電気と関与しているのですね。
もともと、それは知っていましたが、更に深い意味で知りました。

つまり、自分が心から喜べることをすることで、身体内に電波が発生します。
ただし、その電波の威力を強化するものが例のテーブルゲームと読解力ということになります。

その電波の種類は、
「精神力を強化した(もしくは、その過程)状態の電波と同質」です。

要は、「本能の欲の素へ対抗できる電波」を
心から喜べることをすることで、自動的に存在が可能になります。

しかし、精神面では対抗というよりも、共存という結果が成立します。
自然の法則と一緒です。
ありのままの自己の中に存在する自然の摂理と法則の存在を知る。
自然の摂理と法則を知ることで、その生態系の中で、どうやって生きていけばよいのかという真の希望を見出す手がかりになります。

要は純粋な欲を抱き、自己の環境をよりよい状態に整備していけるということですね。

だとしても、様々なトラブルや障害から抜け出れます。という意味ではないです。
まあ、トラブルや障害は台風や雨風と同じですね。
こういう時はどうするべきか。と、まともに考えるしかありません。
いちいち障害やトラブルを嘆いてしまう、その感覚も欲の素と融合した様なのです。
そして、どうするべきかと考える部分が精神のエリアだということですね。


精神力を鍛えることで、心の目の視力を上げてく技がいつしか完成することでしょう。



※心理学的に言葉が異なっていたらご勘弁を。


でもって、いきなり関係ないお話ですが…。
というかコチラは同業の方へのお知らせですね。


この辺の霊感セミナー(技術面)はやりません。

どうしてかというと、霊感の場合、習わないと出来ないのなら初めから出来ないと考えたほうが良いでしょう。
もったいぶっている訳じゃなく、分かる人は既に分かっているし、分からない人には分かったとしても分からないのですから教える意味も無いです。
なので技術面に使用できるような事実は何処の記事にも明記してありません。
探しても初めから書いてないので無駄です。

では、おさらいとお知らせでした。

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テーブルゲーム

精神力を鍛えるとは欲を制することではなく
上記記事で明記したテーブルゲームについての追記記事です。

単純にそのテーブルゲームをすればどうにでもなるものではないので、
あえて明記を伏せていたのですが…。
でもですね、探しようがないですもんね(苦笑)

なので参考にしていただければと関連記事をあげておきます。

ただし、ただ強くなればよいわけではないので悪しからず。


テーブルゲームに関連している記事です。
他にも探せば出てくるかもしれませんが、まずは下記を参照にしてください。

鬼なんて消えない


前頭連合野の脳萎縮~鬼と呼ばれし者よ



おまけ

本気で挑みたい人はコチラ

「PCのみ」
オンラインゲーム

Kurnik
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もしくは下記リンクよりジャンプ

関連リンク元
http://hpdaijin.jp/52/mzl5z91d/


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定石大王

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上記サイトよりリンク
Wzebra(ゼブラ)

※将棋は詳しくないのでリンク等はわからないです。将棋で「これはイケルッ」と思えるおすすめのサイトやソフト等をご存知の方がいたらお願いします教えてください。

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お休みだったので思う存分…

ひたすらオンラインゲームでレベルを上げて遊んでいました(笑)

んで…

ついに待望のペット、パンダを連れて歩けるようになったのです。
レベルが20に満たなかった私はペットを持てる権利が無かったのですが、ひたすら遊んだことで、あっという間に20を超えました。

ほいで、ぱんだちゃんを連れて歩いてます。

4fc75f92.jpg

のこのことまん丸い体を揺らして走って追いかけてくる姿を見ると…

うーん。堪らなくかわいいですね。
つい本気でぎゃーぎゃー喜んでしまいましたよ。



ペットに攻撃を覚えさせて、育てることもできるのですが、
ぱんだはちっさい時のキャラの方が断然かわいいので、
主に餌を拾わせて連れて歩いてます。

ところで…

お話は飛びます。

遥か彼方に飛びます。

前回の記事でテーブルゲームが何なのかというメールを数件いただきました(苦笑)
なので、記事のリンクを明日にでも掲載しておきます。

では、しばらくお待ちください。

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精神力を鍛えるとは欲を制することではなく

子供のうちから精神を鍛えなさいとは昔からよく言われたものです。
山に篭って断食と滝に打たれ座禅を組む。
それじゃなければ、剣道やれ空手やれ習得する。
それ以外で他に楽そうなのは…瞑想とか??

どれもこれも続けていく自信がない。
そう思う人の方がきっと多いよね。

あ、私?
上記のどれかをやっているんだろって?

つか無理(笑)


精神ってなんだと思う?
じゃぁ、その前に本能は?
無意識は?
心理学用語を上げたら疑問だらけになってしまうよね。

私の中だけのことでしか答えられないけど、理解しづらかったりしていたらごめんなさい。

まず本能とは欲。
正式には欲の素。

そして、精神とは思考に最も近い感覚かな。

ついでなんで、おさらい。
欲の素(本能)+思考(正式には、欲の素に同意した考えそのもの)=化学反応=欲の意味を完成させる
となります。

つまり、ここで言う欲の意味を完成させるというその完成した欲とは、
醜く
汚く
醜汚に塗れた
そんな人間の歪んだ様を表現しているつもりです。

そして、欲の素が求めているその欲とは、
自然のまま
あるがまま
自然の法則
といった灰汁(あく)の少ない素材のようなもの。
逆に、欲を完成させてしまうと灰汁ばかりで食用にならない素材となります。

では、精神力とは?

欲の素(本能)から発生する純粋な欲を
静かに見守る力。

この部分の心の筋肉を発達させていくのが智。

そして、その智とは脳エリアのとある部位を意識的に活発に動かさないと(有効な手段という意味での「智」を)使えないのです。まあ、それがどこと思う人は過去記事をあらってください。きっと、見ないとわからないと思うので。
私が脳エリアと言うときはあの行動しかないだろうと気がつく方。たぶん当たっています。まあ、ヒントはテーブルゲームということで(笑)

さて、話は戻しますが、その智を活発に稼動してもらうためのゲームをすることで、智を柔軟に使いこなせる畑に脳がなるのです。が、そのゲームを続けつつ、読解力を養うこと。

小説を読むでもいいし

人間観察でもいいし

文章校正でもいいし

なんにせよ読解力を向上させます。これは間違いなく例のテーブルゲームとかんでいるのではないかと、医学的根拠というか、実を言うと調べてもいないのですが(笑)、でも自信があります。
その読解力を養わずして、本当の意味で精神力が鍛えられることは無理なのではと感じています。



この読解力をなんとかかんとか苦労してやり続けて行くことは勿論ですが、
やり続けていくことで、

欲の素(本能)から発生する純粋な欲を静かに見守る力。

この部分が作動します。
というか、筋力がつくので活性化してくるという意味です。



汚さに塗れた醜い欲ではなく、

自然に発生した純粋な欲。

まあ、この純粋な欲とは、七草のように野草を食するのと似ているかもしれないですね。

なんにせよ、
純粋な自分らしさで生きて生きたいのなら、
例のもの(笑)と読解力を努力在るのみですね。



関連過去記事
それは不浄ではなく生きるために与えられたもの


――――――
 追記です
――――――

欲(の素)を静かに静かに見守る理由は、精神内の生態系をより自然な状態に保つことを目的としています。
つまり本来の自分自身という存在そのものへ近づくための行為です。
また、秘めた可能性を存分に発揮する意味とも当然繋がります。
それと、智と連結した「純粋な欲」を育て、人生に張りを持たせる意味にもなります。

本能は、身体構造上、自然なものであり、
人間は生きるために本能という欲(の素)を与えられている。

本能とは自然の法則に従っているだけで汚いものではないのです。

醜く汚くしているのは、
人間が欲に溺れた瞬間のみ。
この欲に溺れるをたとえていうなれば、
囚われる気持ちに囚われる。そんなところですね。
ちなみに溺れていない状態、つまり欲の素に同意していないとしたら、
囚われる気持ちに囚われない。となるでしょう。

だけれども、それを好き好んで溺れるのであれば、
私は構わないと思う。
突き放した意味での構わないではない。
それは趣向や嗜好と酷似した人生観なのだと思う。


欲(の素)という名の本能に振り回されそうになった時、
どれが本心か見極める分析とも似た読解力。

それが自分を自分でいさせてくれる唯一の精神なのだと
私は思います。

また、それを人間性とも言い表すこともあるでしょう。

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商人のように…

どうすれば幸せになれるのか。

どうすればこの不幸から離脱することができるのか。

どうすれば……。

自分の人生に疑問を持ち取り組む切欠は、どうすればという言葉かもしれない。
不運のイメージは、個人々の感覚で異なるものだと思う。

例えば、
交通事故にばかり合う。
身内が毎年たて続けに誰かしら亡くなる。
上手くいきそうになると途端に駄目になる。

など、様々な不運のイメージ。

しかし、それらはもともとの自分の運の量(=強さ)がベースとなり、生きている過程(思い考え、そして行動する事により)を積み重ねていくことで、もともとの運よりもよりよくしたり、更に酷い状態にしてしまったりする。

生きていく上で何もないならそれに越したことは無い。誰だってそうだよね。
じゃぁ、同じ状況であっても、事を起こす人間とスルーする人間といるでしょ。
その場合、闇雲に意味も無く事を起こすのを無謀という。
そして、ほんの僅かな物事だったとしてもより良くするために事を起こすことを運を変えるという。

この後者の運を変えるということだけど、当然、持たされた自分の運の量(強さ)なんてのは同じなんだよ。でもね、その運を少しでも「良い」というエリアへ量(強さ)を同じままにして風向きを変えることが出来る。

つまり、カメラの「三脚の位置」を変えられない「運の量(強さ)」だとするよね。

その状況でカメラのレンズに映っているのが「あまり運が良くない(風向き)」という風景だったとする。

で、

三脚はそのままにして、「ほんの僅かな物事だったとしてもより良くするために事を起こす」という行為が「カメラのレンズの(風向き)向き」だけを変えることになる。その結果、「運が割りと良い」という風景を映すことができるよ。ということ。

まあ、早い話が、やろうと思ったことはひとつずつ小まめに片付けていくだけで、運は協力的になってくれますというお話です。
運が悪そうな顔しているのに、細々とやるべきことをゆっくりでも片付けている人や、
運が良さそうな顔をして、細々とやるべきことをゆっくりでも片付けている人。そういう人って、なぜか調子良く運が回転しているようにみえない?

まあ、そりゃ、金はあるけど他はね…。とか、そんなにパーフェクトな人は、そうそういないだろうけどさ(笑)

なんていうのかな…。
運が悪いから何かが起こるんじゃなくて、
運を決定しているのは、
何かがあった時の行動で決定してるんだよね。
または、何かが起こりうると想定し行動したこととか。

そういう動きを地道にやっている腰の軽い人は、身軽だからね。
身軽だと運が沈みにくいんだよ。
つまり旅上手は余計なものも持ってないんだ。
旅上手以外で例えるなら、商人みたいに細々と動いてフットワークも軽い。とか。

結局さ、人は考えることを諦めたり、夢を諦めたりすると、
運命の道から希望の光が消えてしまう。

だからこそ、僅かな日銭と僅かな楽しみを持ち、あくせくと働くことで運命が変わっていくものだと…
私はそんな風に感じています。

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神聖の意味を学ぼう

霊能者というと、神聖でなくてはいけない。
そんなイメージを多くの人が持っているのではないかと思う。

神聖とは穢れが無く清らかというようなことでしょ。

そういうイメージを突き詰めていくと、宗教的なイメージに酷似した像に到達する。
宗教的とは、それぞれの宗教で崇めている像。

それと、霊能者と関連している事柄で言えば、スピリチュアル。

こういったスピリチュアルの人間も神聖というイメージをもたれやすい。
2012年アセンションの影響で周りの期待と羨望を一心に集めている今、特に、リアルなイメージをもたれていることだろう。

また、こういう事柄を多くの人間として捉え考えた場合、邪の思いは道徳に反する。みたいな、そんなイメージが生きている気がする。

さて、ここまで書いて思うのだけど…。
果たして神聖な(生きている)人間などいるのだろうか。

まあ、神聖に見える人はいると思う。
穢れの無いように見える人もいる。
穢れらしき行動も意見も見当たらないし、本人の自覚も周りと同等に感じている者もいる。


それらの様は正常なのだろうか…。


私は人間とは穢れ多き生き物だと思うのだ。
だからといって、じゃぁ、汚いままで生きていればいいんだとか、そういう飛躍しすぎた意味ではなくて。
穢れは肉体に依存した遺伝のようなものなのだと感じている。
自然の法則にのっとり生を成し、あるがままの穢れをどうして浄化できようと思うのだ。

根源の穢れから生み出されたヘドロのように蓄積した穢れを浄化したいとまではわかる。
けれども、肉体に依存し遺伝となんら変わらぬ原型ともいえる「穢れ」を浄化するということは、
自分という存在そのものの否定にしかならない。
確かに人の好感度を考えれば、欲に塗れた人間よりも、神聖に見える霊能者やヒーラーの方が良いのかもしれない。
だけど、神聖化するために、自分の存在を否定してまで自虐的になってはいけないと思う。

必死でその位置へ辿り着こうとしているのかもしれないけど、なにかが違うと思うのだ。

幼い子供が、じいちゃんやばあちゃんに「痛かったね」と言われ心の温度が上がり涙がこぼれるように、最も身近に息づく人間が、本当の意味で神聖というように思える。

きっと、本当の神聖とは、
神聖化することとは無縁であり、
ましてや気にもしていない人間のみが
気がつけば辿り着かされる聖地なのではないかと思う。

神聖に近づこうという欲が神聖から遠ざける。
それは、良い人でいたいと考える人間が
良い人から遠ざけられるのと似ていると思うのだ。

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福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
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1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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