白月光
白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

子供の目は世の本当だ

子供の脳は、思ったように機能してくれないもの。脳機能が発達過程にあり、大人みたいにきれいな理解を示せないのが子供というもの。

子供の脳の仕組みを例えるのなら、取説を無視して何かを組み上げていくようなもの。
大人の脳の仕組みは、取説を見ながら順序良く作業をし、応用を用いて組み上げる。そんなふうに、大人と子供とでは違いがあると思う。

それに、大人と子供とでは、仕上がりが全く異なる。

仮に、子供がカラーボックスを作らなくちゃいけない。となった場合、仕上がった品物はカラーボックスとは程遠いものが出来上がることだろう…。その点、大人は器用、不器用の差は出たとしても、カラーボックスを作ったのか…。と、理解してもらえるものが出来上がることだろう。

だからこそ、子供の「想像力」を育てよう。と、みなが言うのもうなずける気もする。

子供が大人に本当のことを言えない。それは、うちの子供がお年頃だからぁ…(。・ω・。)
なんて考えていると、落とし穴に落ちることがある。
だって、子供が本当のことを言えない理由は簡単なことだ。そいつを信用していないから。
その場合、子供の友達がとかは、どうでも良くて。大人が相手の場合、単に、コイツに言っても仕方が無い。そう思っている以外の何者でもない。

どうして、そんな風に思うのかというと、自分が子供の時に本当のことを言えた大人って、
自分が「このおじさん(おばさん)は、他の大人たちとは違う」と、
そう認めたヤツだけじゃなかっただろうか。

子供に「コイツに言ったって仕方ない…」そんな風に思われてしまう大人――、

う~ん。かっこ悪いわな…。

仮に、正しいことを淡々と並べ立てたとしても、子供は、その空間から抜け出したいだけだ。お利口さんは、どうすれば親が機嫌が良くなるのかを熟知している。だから、ごめんなさい。といって、反省のポーズを取るのが得意だったりする。ま、だとしても、本当に心から反省していることもあるだろうけどね。
つまり、子供からしたら、子供というだけで大人に勝てない。だから、負けておく。だけれども、自分よりも下。そんな風にばかにされていたりすることもある。勿論、同じ人間としてばかだと思われているということだよね。

淡々と注意したところで何も聞いてない。
そんな子供が身近に居るとしたら、いつものポイントでいつものことを言わなきゃいいだけだよね。
その瞬間、子供は、あれ?と感じる。そのあれ?の連続が子供からしたらツボに入って、反省しなきゃいけないことを考えるかもしれない。ま、あくまでも「かもしれない」としか言えないけど。

子供って、大人の思考パターンから考えても理解できない。子供を理解したいのなら、自分が抱えている「親の仮面」、「大人の仮面」、「仕事としての地位や名誉の醜い仮面」、「母(父)という名の仮面」など、そういうものを剥ぎ取り改めて子供を見ないと、子供の中での本当なんて理解できやしない。こういう「仮面」とは、偽者の自分をつくりあげるための材料であって、子供からしたら「都合が悪くなると(仮面を被って)逃げているよね」としか思えないんじゃないかな。当然、汚い大人だと感じているかもしれないし。

第一、そられの仮面は、人間の精神性とは無関係の事柄だからね。その無関係を言葉に出す。或いは、言葉に出さなくても「何かの仮面を被った状態」で、注意をする。
それ自体、はずかしいと思えるよ。だってさ、人間性を注意しているにも関わらず、人間性に関係の無い者(仮面)を持ち出さないと物が言えないのだから、子供にばかにされるのは当然だよね。
要は、仮面を被るのは大物のフリ(ある意味、大きく見せる必要があるからだとも思える)をするためであって、仮面を剥いだら実物が小さくて、子供に物も言えないような人間ということだともいえるよね。

ま、子供が大人をばかにするということは、子供の知能が足りないとか、まだ未熟だから、なんてことじゃなくて、余計な「仮面を持っていない」から、まんまで感じるというだけなのだと思うよ。


私は、どうせなら、かっこいい大人でいたい。そう思う。そして、もしかっこいい大人でいれたら維持していきたいと思っているよ。

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あらかわクリーンセンターで始めてのゴミ捨て体験

ゴミを自分で持っていく分には無料だということを聞き、本日、「あらかわクリーンセンター」へ行ってきました。
個人で、ゴミの持込をする車が結構いるもんなんだね。関心してしまった。
まず、可燃物か、不燃物かなど、どんな種類のゴミを持ち込んだかを記入しなくてはいけない。
ちなみに、可燃物と不燃物の両方を持ち込んだ場合は、車の前後に其々を分けて持っていかなくてはいけない。そうしないと、ちょとばかり注意の御言葉を貰ってしまうらしい。

で、記入(名前とかも書かされたよ)のため受付でストップ。ほいで、そのまま車を計量。手渡された黄色い紙を外から見えるように置いて、いざ、前進。

指示された場所に車を移動。可燃物ゴミを持ち込んだ我が家は緩い上り坂を上がり、巨大な鉄の自動扉の前まで車を進めた。

巨大な鉄の扉は、まるで悪魔の門なのか…と連想してしまうようなものものしい雰囲気。

扉が開くと、その中に数名の人間が居て、元気良くぽんぽんとゴミを捨て、あっという間に終了。
うーーーん。やっぱ臭いはするよ。それなりの臭いだよね。うんうん。


で、お帰りの途中で妙なものを発見。
空き缶を圧縮した四角い物体があるではないですか…。
うぉっ、お、おもしろい。
にこにこしながら、携帯でパシャリ。

daf9b104.jpg

←このダンボールを平たくしたようなものが、空き缶を圧縮した物体。
この大きさになるには、どんだけの缶が必要なのだろうか……。

e311ee33.jpg
何を血迷ったのか、缶が圧縮された様を見て、
芸術品だ…。と、頭をかすめた私。
妙な閃きを持つ私ってなに……(笑)



そして、クリーンセンターから出るときは、もう一度、計量してから出口へと進みます。

ふぅーん。ゴミ処理場はこんな風になっていたのか。
ゴミ捨て場の初体験終了~。

それにしても、四角い缶がおもしろかったな。
ほいでさ、2階の可燃物のところで作業していた、面長のおじちゃんがおもしろい人だった。
人が好きなのか、満面の笑みでどうでもいいようなことを言いながら、べらべらと話しかけてきたんだ。
あ、このおじちゃんの元気は、人の心を楽しくしてくれるなぁ~。

な~んて、思いながら帰って来たのだった。

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冒険旅行と同じ世界の人

世の出来事は目に映り、脳で繁栄(反映)され、そして経験という名の思考で処理される。
人は感情の生き物。
感じることでしか生きてはいけない。

この世の出来事は、どんな風に自分の脳に映っているのだろう。
誰もが其々の個性に従い、それらの出来事は、心の中で吸収すると共に、色や音や温度を用いて世を見据えている。

だとしても、今、起こっているひとつの出来事で、絶望する者もいる。また、歓喜する者もいる。

心は脳にあるという。
けれども、私には巨大な海のように思えて仕方が無い。
ある人は、小さな池かもしれないし。
ある人は、太平洋かもしれない。
それでも、海は無限に広がっているのではないだろうか。
小さく見えるのは、きっと、心の旅をしていないから。

私は小さい頃、海賊アニメが好きだった。
海賊の絵本も好きだった。
海賊は本来なら、とても悪い人だ。
弱い者を捕まえては、在るもの全てを剥ぎ取ってしまう。
けれども、その悪いことを腹の底から笑い飛ばし、悠々と世界を回り生きていく。そんな海賊が愉快だと思えた。

何時、出発したのかさえも覚えちゃいないが、私は、私の中の海へ旅にでた。
私の中の海は、「嫌な気持ちになると荒れた」のだ。
その度に、船は壊れてしまい、海面に船の残骸と疲れ果てた自分が浮かんでいた。
世の中は、私の難破とは無関係で、絶好の海日より。
そんな時の私は、必死に次の船の準備をしていた。
そう、心の旅に再度出発しなくてはいけないから。

ある時に、嵐が来た。

木っ端微塵になる船と共に、自分が海水の中に落ちていくのを感じた。
もがいたら何ほど苦しくなるか。どうせ疲れてしまったし、何処までも落ちてしまえ。

そう思って、海底近くまで沈んでいったことが在った。
初めての経験は、恐怖を生んだ。
体感したことの無い感覚は、私の中で違和感なのだと、ハッキリ自覚した。

ところが、何かの拍子に、悲しくも無いのに悲しいフリをして沈んでいく自分に気がついた。
本当は、頭で自覚しているほど心は痛くは無かったのだと…。

そこで、海水に身を任せてみた。
沈み逝く途中で、体が腐りかけていたのを知った。瞬間的に恐怖と連動し違和感も在った。
だけれども、意味も無く、根拠も無く、「大丈夫」そう思えた。

プランクトンのように消えた私は、「今まで、一生懸命つくった自分」だったのだ。
だからこそ、肉の体を所持しなくなった私は、海賊船で続ける旅だけが旅じゃないのだと気がついた。
だからこそ、もっとたくさん旅をしたくなった。

心の旅は、記憶というカメラで思い出のアルバムを作ってくれる。
心の旅は、海だけじゃなく、海底も、空も、宇宙旅行もできる。
心が欲すれば、どんな旅でも可能なのだ。

きっと、それらの旅行は、何処かで同じ旅をしている人間に出会うはずだ。
それが、「同じ世界の人」と言われるものなのだろうと思える。


それらは、地位や名誉や名声では決して手に入らないもの――、
それが世界にひとつだけの旅券。


今、私は、空の旅を楽しんでいるよ。
たまに、天候が悪くて飛行機が大破してしまう。
そんな時は、大気のチリと成り、気楽に浮遊している。

天候に逆らい続けても、疲れるだけだし。
だったら、その中で自分が少しでも気楽に居れる空間で生きていた方が、ずっとずっと楽チンだよ。

でもね、たまに海に浮いてみたりもする。
海中に沈んでみることもする。

旅の途中で、何度か同じ場所を巡ると、新たな発見があったりする。
その発見は、不思議と私を楽しませてくれる。

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ぼくの中のぼくの居場所

海中に潜り、光を見た。
ずっと、ずっと、水面から顔を出し、水平線を眺めることに飽きてしまった。
だから、海水に潜ってみた。
6dc20966.jpg
そこから見た光は鈍くて、でも、体の筋肉が浮力に任せて緩んだから、なぜかホッとした。

ぼくは今まで、ぼくの中の何を見てきたのだろうか。

光を追い求めたのは、なんのためなのか。
光に近付くことだけが正しい訳ではないのに…。

浮力に任せた体は、とても正直だった。
楽に生きる術(すべ)を皮膚から伝えてくれた。

光を見て、希望に燃えるぼくは素敵だ。
けれども、ぼくは、ホッとしながら海水の中で揺れている。
そんな、ぼくも居心地がいいと思ったよ。

手も足も広げ、全身で感じる浮力は、幾つものぼくの命の気泡を吐き出した。
焦りすぎていたぼくは、ぼくの中のぼくの場所に戻ってきたのかもしれない。

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水面に浮かぶ小さな離島

54bb8efd.JPG久々に画像を描いてみた。
こういうのって、「止め時」のタイミングが難しいなと、いつも思う。
おしっ、うまくいった。と、思っても、あ…、ここの色を明るく。とか、
つい、余計なことをしてしまう。

(画像をクリックで拡大)

で、やったあとに、ああ、止めときゃよかった。
なんて思っても、後の祭りだ。


ところで、今日、この画像の「私の中のテーマ」は、「今の私」を描きたかったのだ。
そう、全体の私じゃなく、自分が意識している「今の自分の気持ち(即ち、今の私)」を描いたのだ。

きっと、この水面を見つめる始点を遠く離れた位置から見た時、それが、私の全体なんじゃないか…。などと妄想してみた。


水面に浮き上がる島の前には、小さな船がある。
小さな船は何処へ行くためのものなのか…

それとも、
何処かから来たから、ここに置いて在るだけなのかもしれない…

鳥が向かうその先に在るものは、どんなものなのだろうか…

水を覗き込んだら、底の底まで見えてしまいそうな…
それでいて、一度、足を水に浸けると、肉体の全てが水に溶け込んでしまい、水中に入れた足先が消える。
そんな幻覚を見せる――、海という名の水。

小さな家の扉は、海に繋がる扉。
不思議な不思議な扉なのだ。

その空間に浸りながら、この世を見る私。
この世の意識の世界を心に転写し、風景を眺めるかのように佇む。


こんな風に自分の画像を分析していくと、まるで、タロットカードの中に在る「生き続ける物語」を見ているようだよ。


自分が、自分を見ている様が、こんな感じだろうか…c22162c2.jpg
(右側の寒色系の画像)

このまま、もっと、もっと、視点を離れたら――、
何がこの目に、
この心に、
映るのだろうか。


人に何かを表現し、そして、伝える。
「思いを伝える」のは、「言葉」だけじゃない。

何らかの「手段」を使えば、伝え続けることができるものだと、そう思う。

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ねこちゃん you tube




いやいや、最後の方のシーンのあたりを見て、ひとりで笑ってしまった。
あの張り切り具合が絶妙におもしろい(*´ω`*)ふふっ

つか、やっぱ猫ってば犬よりも人間臭いと思ってしまうね。


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素敵なばあちゃんという存在の輝き

私は、占いの仕事を始めてから、脳の仕組みが気になって仕方が無い。なぜなら、うちにお客として来る人間が、追い求める果て。つまり、(その人自身が)自己の出来うる範囲の限界。この限界をアドバイスという形式で提示しようとした時に、ほぼ「思考の問題」が絡んでくる。
というか、単に、私自身が思考に拘っているのかもしれない。

だとしても、今の自分がしっかりと取り組むべき目標のひとつとして「脳内の思考」があるのだ。

簡単に、どんなふうな構図で取り組んでいるのかを説明するね。
まず、アドバイスをする段階でのお話ね。

「思考」というからには、お客さんが自覚している「意識、または考え」なんかを軽くでも伝えなくちゃいけないわけだよね。だって、「今は、こんな風にしているけど、今後は、こんなことを…」みたいな説明をしなくてはいけない場合、「自分が自覚していない内容」をベラベラと言われても…「はぁぁ?」と、ぶち切れたくなるに決まっている。そこで、流れのひとつとして、現状の説明をするの。

でね、自覚している状況を説明するということは、その人の無意識のエリアを把握しなくてはいけない。
この無意識のエリアというのは、例えば、小さい頃のことだったり、ある時期からの特定の思考だったり、そんな様々な過去の状況とも繋がっている。
そうだね、しいて言えば、血管みたいに網羅してある細かいバイパスがたくさんあって、心臓という現在の「自覚」に辿り着く。そんな感じなんだよ。
それで、その他にも色々と四方八方から見る。これは、先日ブログ記事であげた「美しく魅力ある闇~心に深い闇を抱えているあなたへ 」でも、似たようなニュアンスが書いてあるのだけど、中心を基点にして、様々な方向からサポートするんだよ。
要は、柱となる軸(1番肝心な弱点みたいなもの)に対し、支えと成る様々な範囲の事柄(一見、何の意味も無く思えるようなアドバイス)で、中心の軸を支え、完璧にしていく。
当然、それらは、本人がその目的に進むという意識を「意識しなくても」進めるような仕組みにしてアドバイスをするの。

その軸と成るのが、無意識のエリアである「脳」。これが、今の私が捉えている中心なのだ。

その脳だけど、脳の細かな部分は、見えたとしても必要が無ければ伝えない。けれどもね、私の中では時として(お客さんによっては)重要な役割を果たす部分になる。
と、ここまでが本題前の補足。

んで、ここから、話が本題になるよ。思考って、思考をさえぎる思考や、思考を挑発する思考、思考を抹消に近い状態にする思考、などなど、脳内の分泌物も含めて色んな構造で成り立っているように見えるのね。少なくとも私には、そう思えるの。
そういった、ブロックされている思考を、(目的に視点を置いた場合の)何ら障害が無く循環できる情況。それを柱の周りをサポートした状況。これを「アドバイス」として伝えている。
要は、「見えていることが表」だとしたら、「裏面の自覚している意識」に「アドバイス」を添えて伝えているということだよ。
うん。ここまでが本題。だけれども、更に奥に本題があるんで、ここまでの話を頭の片隅にでも置いて読みすすめてください。

これをどうして書いたのかというと、別に占い師の人の秘密の勉強会(ちっとも秘密じゃないだよ)のためでは無いのだ。ちなみに、占い師が、占い師の視点で見ても、「分かっている人にしか、分からない」よ。だって、その視点で書いているわけじゃないのだから、当然だし。
でね、人間は生きていたら、じいさん、ばあさん、になっていくよね。
身近に居るじいさんとばあさんが、とても素敵な人しか居ないわ。というお方なら、読んでも意味が無いかもしれないが、素敵なお年寄りばかりが存在していないのがこの世の中だよ。

年を取ると、誰かに頼りたくなくても、頼らなくちゃいけないときがある。

ねぇ……、老後とか考えたりする?

私は考えるんだよね。ま、その話がしたくて、この記事を書いたんだけどさ。

老後を考えるからといって、「年を取る恐怖から…」なんてことじゃなくて、より良い老後を過ごしたいでしょ。そう、無力に近いばあちゃんは、誰かにすがって頼るしかないんだもの。
そんなばあちゃんになった時に、おまえはかわいくないから、ひとりで生きていけ。と、言われたか無いし。
ほんでもって、楽しく暖かく(頭が?)過ごして人生の幕を閉じたいじゃない。
どうせ同じばあちゃんなら、かわいいばあちゃんが良いに決まっている。
それにさ、ばあちゃん、大~好きっ。そう言われたいし。うんうん。あ、でもね、ばあちゃんとは呼ばせないぞ。えりちゃんと呼んでもらう( -_-v)ぶぃっ

そうなの、これってば、私の夢のひとつでもあるのよ。ま、長生きができたらの話になるけどもさ。

年を取ると、脳の機能が錆び付くよね。
ぼけちゃうとか、そんなじゃなく、ゆっくりしか機能しないでしょ。当然、動作もゆっくりだよ。
ほんでもって年を取ると、脳は、若い時に培ったものだけが残る。それも、大抵が予想外のことが残る。
この予想外が、私がなりたくない「かわいくないばあちゃん」なのだ。

これはね(…この辺りからが、本日、言いたかったことだよ)、若い時に努力して、自分の精神やら性格やらを改善、または維持していったとするでしょ。
だけれども、脳というものは、頭の限界を自分が把握している以上に、出来るヤツ(脳機能)なんだよね。
つまりね、これが自分。と、思っている自分は、自分ではない場合がある。ということだ。
ほいでもって、そんな理論は何処からくるのかというと、周りのお年寄りで、素敵とは無縁の人がいない?
そういうお方たちは、なにか自分自身を過大評価してはいませんか?
物分りを良い振りしてても、そりゃー、ひどいぞ。と、言いたくなるくらい真逆の事をやっているとかさ。

結果から言ってしまうけど、あれは、「脳が壊れていくというよりは、強化され続けた思考が生き残る」という状態だと、私は思っているんだよ。
うん、これだけを今日は言いたかったんだよ(笑)
それにしても、長すぎだな。ま、そんなに簡単に物を言えるほどお利口さんじゃないんでね(言い訳)

自分で、出来るヤツ。そう思っているのが、思い込みじゃなく、本物(に、順ずる過程も含めたもの)であれば、じいちゃんになっても、あちゃんになっても、素敵な老後を送れるよ。と、思うんだよね。

だからこそ、今のこの時の連続が大切なんだと思っているの。

私はね、素敵な老後を送りたい。老後は無力だからこそ、かわいいばあちゃん(ばあちゃんとは認めないが)で、居たいと思うしさ。
そのために、今はね、自分の精神と向き合うことをしているんだよ。
人として本当のことを、ゆっくりでもいいから丁寧に知っていく。玉葱の皮みたいに奥に奥に存在している「本当のこと」。それだとしても、時間が掛かることが問題じゃないし、知りえた範囲が問題でもないと思えるんだ。
だって、玉葱は皮しかないもの。本当のこととは、玉葱の皮むきと似ているし、それ以外の表現が私には見当たらない。ということは、本当のこととは、きっと玉葱なんだと思う。皮を剥いても玉葱だし、まんまでも玉葱だ。
本当のことが生きている間に分かっても、それが本当じゃないかもしれないでしょ。
所詮、人間が考えられる事実とは片寄ってしか考えられないと思うの。専攻が違えば、同じ研究をしても、意見がかち合うのと一緒じゃないのかなって。だからこそ、楽しいし、おもしろい。

ま、私は、そうやって年を重ねていこうと思っているんだ。
自分と向き合い、本心と向き合い、泣いて笑ってばか言って。

ほいで、年を取り、その時に柱に残る精神は、
「ばあちゃん、ばかだな~」
って、腹一杯に笑って言われるような、そんな人間で居たいとそう思うよ。

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美しく魅力ある闇~心に深い闇を抱えているあなたへ

無意識の世界とは、霊感で捉えることのできる世界。そして、同様の世界を心理学、精神医学、或いは科学などなど、様々な分野から立証できる。

けれども、無意識の世界とは未だに未知の領域だ。

そして、最近、私は感じる。
霊感でどのくらいの位置まで、無意識に向かって降りていっているのだろうか…。と

また、同時に思うことがある。
無意識を知り得るということは、その範囲が科学的でも医学的だとしても、それらを発表してはいけないエリアが存在しているんじゃないかな…。と

肩こりはマッサージ師。足は足裏専門店へ。みたいな感じで、其々の専攻している分野というものがある。
それらは、おそらく、其々が同じ的に向かい研究の成果を発表したとしても、互いが互いの専門分野からしか立証ができないもの。ある意味、的の断片となっている一部分を、これが的(正解)である。と、言い合いをしているように感じるケースもあったりもする。それは専攻しているものが異なるのだから当然の結果だと思う。

無意識を知ることは大切だと、違和感のある心の闇へ適度な温度と適度な光が当たるのは大切だと、それはそれで感じてはいるけれど、果たして其れほどまでに大切で重要なことだろうか。
仮に、茎が曲がった植物があったとする。その茎を垂直に伸ばすことが、それほど重要だろうか。茎の曲がりは、この植物の価値を失うような問題となるのだろうか。

人は生まれた時から、いいや、命を宿した時から同等の天命を持った者も居ないし、肉体だとしても同じように居ない。双子だとしても、僅かながら環境によって変化していくもの。
食物で言えば素材だが、その素材の持ち味というのがある。
かぼちゃはぼこぼこしているから、かぼちゃだし。苺は赤くて甘いから苺だ。

それが、かぼちゃが苺みたいな形で売られていたら、真新しくて購入をするかもしれない。更に美味しければリピートもする。

けれども、所詮、かぼちゃはでこぼこしていて初めてかぼちゃなんだよね。

ほんでもって、形が変わったとしても、かぼちゃはかぼちゃ。

つまり、形が変わらなくてもかぼちゃだし、変わったとしてもかぼちゃだ。

それって、人間が品種改良をするから新発売のかぼちゃが誕生する。
もしも、かぼちゃが人間ならどう思うのだろうか。
隣りのかぼちゃは見事なくらい形がいい。けれども、ぼくは形が悪いから品種改良をしてもらいたい。
そう、思うかもしれない。
それはそれで、発想はかぼちゃの問題だから、なんの問題も無いことだし、発想は好きにやるべきだと思う。

じゃぁ、かぼちゃの精神状態を心理学者が分析しました。

かぼちゃは。小さい頃に鴉に突かれ、穴が開きました。そして、自分は出来の悪い野菜だと思っていました。更に精神科医が、出来の悪い野菜だと思うことで、かぼちゃの脳から麻薬成分を含んだホルモンが分泌され、それまでの恐怖感を感じなくさせていますよ。と

だから、こんな風なカウンセリングをしましょう。

そう言われたかぼちゃは、ぼくの頭はおかしくなったんだ。そう思いました。

なんて、物語があったとする。

それって、改善していく方向は正しいことだ。
けれども、この一部分だけが正しいことではないよね。
カウンセリングをかぼちゃが取り入れた。そして、規則正しい生活。軽い運動。趣味に…。と、様々な分野からのアプローチがある。けれども、どれも正解だけど、ひとつとして「単体のみで、本当に改善できることがないんじゃないか」と、考えているよ。

それにね、私は最近、特に思うのだけどさ。
人間とは生き続けている限り、好きなことを探せばいいんじゃないかな。と、思うんだよね。
好きなことって、何にも勝る「武器であり、守りなのだ」と、思うよ。
つまり、好きなこととは心の芯になる大切なこと。そして、芯を起点とし、その周りに様々な分野のアプローチがあり、やがて心身を改善していけるものだと思っている。

別に心に闇が在っても、毎日が地獄のようでも、自分なんだよ。
凄く楽しそうな人間が、自分と掛け離れているように見えたとしても、その人は、もしかしたら「本気」で生きていないかもしれないよね。好きなんだと思い込んでいることがあっても、本気で好きだと思えることが無いかもしれない。

私から言わせれば、この両者で、どっちが「貪欲なまでに、本当に好きなことを見つけることができるか」と考えた場合、楽しくない人間の方が見つける確率が高いと思うよ。
楽しくないというか、辛いと思える日々を送っている人間と言ったほうがしっくりくる。

だってさ、辛いのが好きな人っているかな。痛いのが好きとかは居そうだが…。辛いのが、となると、ほぼ居ないと思うんだよね。たまに妙な人間も居るから、それはそれで良いとして。
辛いってことは、その場に、その状況に、留まって居たくないという意味にも繋がるよね。
ということは、どうにかしたいと思っているわけだ。
ほいでもって、それでも、そこに居る。或いは居るしかない。とか、何らかの事情で動けない人間も居るはず。

現状を大きく変えることは、ひとりでは無理だ。当たり前だよね。ひとりの力なんて、たかが知れている。
だからこそ、見つければいい。
ひとりでも楽しめる「好きなこと」を。

その好きなことは、今よりも、ちょっぴりだけ楽になるくらいで丁度いい。
辛い気持ちの中で、存分に楽しむことだけが好きなことではないと思うし、辛い時は好きなことも霧がかかったように霞んで感じるものだと思うよ。

過去がどうあれ、今がどうあれ、生きているのは今のこの瞬間だ。過去の傷は確かにでかい。でかいとしても、無意識の闇を痛みをがまんしてまで、こじ開ける必要も無いよ。

好きなことをするということは、心に太陽が昇るのと同じなんだ。
痛んだ古傷を皮膚を切り裂き、わざわざ開ける必要は無いよ。体の外から太陽を当ててもいいけど、中々、闇にまで到達なんかしないもんだ。
だったら、なんでもいいから、気になる物から手をつければいい。三日坊主だとしてもいいじゃない。だって、好きなものを見つけている最中だもの、飽きるということは今の自分は、その事柄に対して魅力を感じなかったという事でしょ。本当に魅力を感じれば、忘れ去ることなんて出来やしない。男女の関係と一緒だよ。

心の中に自分だけの太陽を見つけよう。
みっつも、よっつも、たくさん太陽があってもいいのだ。
明るくて、暖かくて、気持ち良さそうだ。あ、でも、ちょっと熱いかもしれないね。

ちなみに、かぼちゃで言うなれば、形の悪いかぼちゃを一流シェフは使わないかもしれない。けれども、心まで温かくしてくれるお母さんの手料理なら、最高の料理をしてくれるだろう。たぶん。
それが、かぼちゃが太陽になった瞬間なのかもしれない。

闇は太陽があるからこそ、闇の美しさが際立つものだ。
私はそう信じて疑わないね。
太陽が照り付ければ照り付けるほどに、闇は美しく自分の魅力としてかえるものだと、そう思うよ。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
56
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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