白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

あなたに届きますように

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記事内の参考画像「00」http://pon00.fc2web.com/00/00.html


人間の活力とは漲り吹き上がるもの

生きることへの希望が 我が命に火を注ぐ

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活力を存分に発揮しようと 
ただ 我武者羅に必死になる





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なにをそんなになっているの……
疲れてしまうよ
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目を開けよう きっと きっと 何かが見える




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「愛するということ」への補足記事

前回の記事のままだと混乱を招くかも…。と、思ったので、ちょっとばかり補足のつもりで書き足しておきます。

まず、あの記事を読みきった後に思うであろうと予測するのが、「自分だけがよければ良いのか」という、ある種、エゴイズムな考えなのではないか。と、人によっては感じるのではないでしょうか。
それはそれで、ある一定の条件を揃えてしまえば、真実ともいえる。けれども、真実とは本当のこととは違う。

ここで言う本当のこととは少なくとも私の中での本当のこと。

じゃぁ、本題。
例えば、誰かのためにこれをしたい。という気持ちがある。その気持ちを噛み砕いていったら、またしても「誰かのため」という考えが残るのだろうか。

じゃぁ、仮に残ったとしよう。その残った考えは、もうそれ以上、噛み砕くことができないのだろうか。
ひょっとしたら、案外、とっても簡単なことを見落としていたりして気がついていないのではないか。ということも考えられる。
なぜなら、人間(その他の生物もかもしれないが)の脳は、様々な物事の結果をフォルダのような状態で分類されている。分類されたそれを必要な時に引き出し、新たな情報と照らし合わせ、どのフォルダへ分類するのかを決定する。
決定を下すことと、決定までの過程は、自分が人生の中で培ってきた「思考癖」により選択されている。
つまり、自分が今までどれだけ有効的な思考を取り入れてきたかという事実に基づき、脳が動いているということだよね。

で、話を戻すけど。
「誰かのために」
ではなくて、ひょっとしたら、

その人が悲しむのを見ている自分が悲しい。

ということもありでしょ。

自分がどれだけその人を欲する想いがあるのかどうか。その自分の中の事実を把握したとしたら、誰かのためにというのは存在しなくて、自分がそうしたいから。と、なるよね。
突き詰めていくと正しいとか正しくないとか、そういう様々な、思想や哲学の話になってしまうかもしれない。
けれどもね、思想も哲学も本当のことなのかとなるとそれは違うわけで。
本当のことっていうのは、思想とか哲学とかとは違う。もっと別次元にあるものなんじゃないかな。と、思うの。

ま、だとしても、この世の愛の全てを見て、全てを知る。そんなことは無理に決まっている。出来るとしたら、この世の同じ人間が感じる「感情の細やかなひとつひとつ」を自己の中に見出し、突き詰めていくしかないのでは。と、思う。
何かを突き詰めていくということは、もしかしたら、たくさんを追ったとしても何れひとつに取り組むことではないのかな。なんて思うのですよ。


そして、補足の記事に再度補足するとしたら、自分ができうる事柄をセーブして、より完璧にしていく。ということ。
10あるものを10行なうのではなく、例えば、10あるのなら6だけを真剣に行なう。すると、精神の余裕と肉体の余裕が現れ、無茶をした時に発生する無意味なストレスは自動的に消滅する。しかも、10の内の6だからこそ、実践した行為は完璧になっていく。
そんなふうに、先を捉えていくと、自分の能力を超えた意味の無い行為が目立つ。けれども、意味の無いものなんてこの世に存在はしていないと思うのだけどね。
つまり、やりたいことと、できることは違うということ。


最後に、補足が更なる混乱を生み出したかもしれませんが、その時はごめんなさい。

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愛するということ

人は誰かのために生きている。ひとりという孤独は何よりも耐え難く、それ故、精神を崩壊することもある。
自分だけが良ければ良い。そういう人間をこの世の多くの人間は酷い人だと感じる。そして、おそらく酷い人だと思うだろう。

誰かを愛するということであっても、其々の精神により空間というか世界のようなものが、異なったように私には見える。

例えば、芸能人。そういった人間もそうだと思う。
芸能界というある種の空間に、やはり幾層にもなった(いわゆる地位の)階級のような位置づけがあり、ともに、異なる精神の空間が色分けされたがごとく混在している。

それらの世界に居る人間は、やはり凡人とは“違う空間や世界”に居る。

さて、こういった層の違いのように、この世の人間が持つ「愛の精神」も分類され、各々が振り分けられているように私は感じている。この層を上下のレベル分けである。とでもいうかのように、階級を見ている訳ではない。
しいていえば円グラフ。終り無き円グラフといったところかな。

ただ、誤解して欲しくないとしたら、この振り分けが差別しているという意味で書いている訳じゃないということ。
人間なんて、地位も名誉も財産も、そういった衣装をどんなに身に纏ったとしても、ただの人。
今、言っているのは、努力して磨きぬかれた精神の話だということ。そして、それら精神へのジャンル分けをしようと思えばできるよね。というお話だということ。


でね、今回、記事としてあげたいなと思っていたことは「愛する」ということについて。その話をする前に、精神の異なる空間があるのだと、感じている私の考えを話しておきたかったの。
「愛する」というテーマだからといって、「愛される」ことと「愛する」ことの違いとは云々。なんて意味の無い論議は飛ばします。
まず、愛するということが鮮明に絞られれば絞られるほど、複数のものから、何れ、ひとつを選び他を捨てる(或いは諦める)という結末になるのだと思う。そして、他を捨てるという意味の中には、ふたり以上の異性を愛するということもあるだろうけど、そういう時って異性ばかりとは限らない。様々な「捨てる対象」があるはず。

で、そこで選ばれた愛。選び抜かれた愛の対象という方が良いかもしれない。この対象をもつ過程というのが精神の振り分けを作っているのだと、私は常々感じています。

愛の対象が創られていく過程。その的についてのお話をしたくて、だらだらと無意味に思えることを書いていたの。じゃぁ、早速だけど、的の話。

自分の中で、永遠ともいえる愛を誓える相手がいますか? 

その対象をあなたはどれだけ見ていますか。
その対象が崩れ去りそうな時に、今ある全てを投げ打つことはできますか。

そして、その対象を自分が大切だからこそ捨てることができますか。

こういう自分への問い掛けと、問い掛けにより発生した自分の答え。それが的を絞るということだと私は感じています。

自分の中の的とは、現実と照らし合わせた時に、本物であると説明できるものだろうか。
だいたい脳というものは適当だと思うのだ。自分が把握して理解を示した事柄が、現実の理解なのか。となると違っている場合が結構ある。自分の中の当たり前という壁が、自分の世界を狭くしているようなものだ。
日々、自分の行動や考え、そういった事柄への疑問符は必要だったりもする。

疑問符がどれだけ自分の中で存在しているのかと、それらを解決する意志と、それらの結果(自己の中の実績)。そういった繰り返しにより、円グラフの位置づけのようなものが決定されていく。



だからこそ、私は思います。愛するということは、自分を大切にし、自分を愛した分だけ誰かを愛せるものだと。

そして、何よりも、自分にとって、その人が必要だからというエゴにも似た熱い思いから発せられるものであると、そう思うんですよね。



~彷徨うあなたへ贈る言葉~

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「自己の中の石のようになった超えられない己の思考があるから、相手の本当が見えない」

解説 いかに与えられた脳を機能させるかということ。今在る思考に満足した人間は、大量生産された産物であるかのように私は思える。

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「誰かのためにという前に、自分はどうしたいのかということが、己の魂の本当」

解説 腹の根底から現れる「誰かの為」という思いが、天に近付けば近付くほどに、己が己を惨殺しているのと同じ。それは、まるで夢の中で生きている住人が語る、白昼夢のようだ。

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「スラムダンクな友情論」齊藤孝~文春文庫

最近、今邑彩の蛇シリーズを読破した。
読んでみて、う~ん。なんというか、長かったよ。うん。
それにしても、最終巻の暗黒祭。あれはテンポ良く読み進んで一気に読破。
読み終わってしまうと、長かっただけに、これがさ~さみしいの。連ドラが終わってしまって楽しみが無くなってしまった感じになる。うんうん。

あ…。そうそう。ほいでさ、今邑彩の別な書籍も読んでいるんだけど、それとは別に「齊藤孝」の書籍も読んでいるの。
やっぱ、秀才の書く文章とは分かりやすいね。余計なものが無くて、伝えたいことだけが順序良く、そして整理された状態で、頭に入ってくるよ。

この齊藤孝は、児童書も書いていて、うちのちびがファンなんだよ。
「読みやすいし、私の宝物~」
そう言って、ちびはその本を大切にしているよ。

ちびが買ったのは、確か、名作を扱った内容だったはず。けれども、ジャンルは国語だったと思ったな…。(ちびに、そのうち、機会を見て聞いておきますね)
つかこれがさ、大人が読んでも凄くわかるの。秀才と呼ばれる方たちのお話は、大人とか子供とか関係無くて、例え、どんな人間が聞いていても、不思議なくらい分かる。
そういう人間って、凄いよ。と、しみじみ尊敬してしまう。

だとしても、努力の賜物とは言うものの、並大抵の努力じゃ叶わないからね。うん。

でね、今読んでいる齊藤孝の書籍なんだけど、タイトルにも書いてある友情のお話し。

齊藤孝の書籍を何冊か読んだことある人は分かると思うけど、この人の文章には(全ての書籍ではないのだけど)ルビがふってあるんだよ。そう、つまり、子供が読んでも理解できる代物というわけ。
その友情の本を私が読み終わるのはいつなの。と、ちびは首を長くして順番を待っているんだよね(笑)

ま、機会があったら立ち読みでもしてみると分かると思う。こんな風に分かりやすく誰かに話ができたらいいのにな。なんて、そう思ってしまうような本だよ。
それに、普段の頭の使い方が学べる。そういったヒントがたくさん書いてあるよ。その文章を見つけるとさ、思わずノートに書き出してしまいたくなるんだな。

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感じるという全ての感覚

この世とは何だろう。実際、本当に存在しているのはなんなのだろう。
人間とは、生物とは、何者なのか。

ちょっと前まで拘っていたこと。拘っていたというと可笑しいけど。なんというか、頭の片隅にいつも小っちゃくなって座っていたヤツたち。

今の私の頭の中で、ヤツらは凍結されている。
その代わりに別なヤツが呼吸しているよ。


時々ね、私は考えすぎなのか。と、思うことが一瞬だけどあるんだよ。でもね、それって違ってて、霊感のせいなんだよね。霊感っていうのは基本的にその生命体の「感じる感覚の全て」が鋭くなっている。それも、最初からそういう風に設定されている。


感じることに限界というものは無く、その感覚に伴い、霊感は並行している。
感じることを辞めてしまうということは、私の中では、己の生命の死を連想する。
ただ、死しても尚も感じることが鳴り止むわけではない。
そのふたつの事柄の大きな差は、感じたことを処理する「脳」があり、いかに深く繊細にそれらの脳を使い込めるかどうかということと、全く持って脳が使えないかということなのだと思うよ。
だからこそ、命が大切なのだと思えるしね。

感じるという全ての感覚、そこから生まれたひとつひとつの思いが何者なのか、という無謀な探求をずっとずっと続けていこうと思うよ。
それは何のためになのか――。
自分を知るため。そして、知った分だけ人を知るため。

だって、本当に守りたい人間を守れなくなるでしょ。
悲しむ自分が辛いんだよね。

だから、そうしているんだよ。

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真心に包まれて…

良い意味で霊感があることをありがたいと思うことがあります。
ブログの記事を読んで直ぐに(私の異変を)察知してしまう人も居るし、なにも見ていなくとも感じてくれる人。そういうことが、辛い時ほど混じりの無い真心として私の胸を直撃します。そんな時ですよ、霊感があることに感謝してしまうのは。

思われただけじゃ「辛いことや苦しいこと」は何も変わらないしどうにもならない。だとしても、私のもとに念として飛んでくる真心に触れると、時として嬉しすぎて、勿体無くて涙が出そうになることがある。私はこんなに心配されて見守られて幸せだなと思うし、思われたことを無駄にしないで必ず何かの形(その人へ直接じゃなかったとしても、思ってくれている本当の意味での何か)で必ず表現しよう。そう、思い、自分への誓いをたてます。

私もただの人間なので、平常心に乱れが生じバランスが崩れてしまうことがあります。そして、そういう時でも仕事中は、全神経を集中して一切の乱れを無にしています。けれども、仕事から解放されれば当然もとのバランスに戻します。
こういう行為に対し、別段、違和感は無い。仕事だとはいえ、偉いと褒められたり慰められたりするけれども、その辺は、並々ならぬ仕事への責任とプライドが感情の割合を大きく占めているからだと、自分で納得しています。

だとしても、ふと、仕事が終わり、どうしようもなくいじけてしまうことがある。
自分の人間としての価値を疑いたくなるし、実際、疑うこともあるの。

……どうして、こういう記事を書いたのかというとね(書いた理由のひとつとしてですが)、私と接点も無い(あるひとりの)人間が、私を応援してくれている気持ちが届くからなのです。真心が届く。
自分の知り合いや友人、家族など、私の大切な人間が心配してくれたり真心を送ってくれたり(←霊感で感じる)することでさえ、とても嬉しいのに…。その人は、私にエールを送り続けてくれている。
私は、この場を借りてお礼を言いたいのです。きっと、その人は、私がいじけてしまう瞬間を察知しているのだと思う。そして、その人は、霊感を持っているだろうし、占いの仕事をしていてもおかしくはないはず。
その人から「辛いよね」と言われたような、そんな気持ちになる真心が飛んできます。私は、その真心に触れるとホッとします。だって、その辛いよねは、上辺だけを見ていった言葉じゃないもの。だからこそ、真心が腹の底まで届いていますよ…。
それとですね、私にはお姉ちゃんもお兄ちゃんもいないのだけど、お姉ちゃんに言われているような、そんな肉親的な情をその人からは感じています……。

なんだか…しんみりした記事になりすぎたかもしれない。だとしても嬉しくてありがたくて勿体無くて…。たくさんの真心を貰えたことが本当に嬉しくて書かせてもらいました。
私の大切な人たちへも、私と接点の無い誰かさんへも、そして勿論、このブログを愛読してくれている人たちへも、言葉として贈りたいと思い書きました。
ひとりではさみしくて生きていけないな。と、しみじみ思いますよ。ほんとに。


ハルカ

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テレビを見ながらよく泣いたっけ

星の子チョビンOP+ED


【you tube】 http://jp.youtube.com/watch?v=O4nVU9tL1I4


星の子チョビン。知ってますか?
私は大好きでした。
お母さんに会えないチョビンがかわいそうで悔しくて、泣きながらテレビを見ていましたよ(たぶんだけど、幼稚園くらいだったと思う)。

結構、マイナーなアニメらしいということを大人になってから知りました。
もう一度、テレビで見たいなと思う。

それにしても、懐かしい。遠い昔に聞いた曲だけど、覚えているもんなんだね。
…そういや、ボロボロになった星の子チョビンの紙芝居を持っていたよ。
私の宝物の紙芝居は何処へいったのかな……。

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お年玉キャンペーンを終えてみて

私は、いつか(公開の)無料鑑定をやろうと以前から考えていました。
そして、今回、無料鑑定を終え、感じたことがあります。
それは、多くの人間を対象にして言葉を表現する時でも、私はとても難しいものだと感じていました。その気持ちは今も当然あり、難しいと感じています。それが、個人への鑑定結果を例え運命という漠然としたテーマであっても、私自身の(霊感という意味ではなく、頭脳としての)容量を越えるものだと痛感しました。
これまで、幾つかの連載で個人鑑定は経験があるものの、そういう(雑誌など)ものからは、答えが返らない。要は、相手と私で、互いが一方通行です。相手は相談をする。私は答える。質問も無ければ、合っているのかどうかも分からない。そういうのがまかり通ったまま、継続させていた過去があります。

けれども、今回、感想を頂くという条件でキャンペーンを計画しました。が、内心、穏やかではないです。ほんとに。
色んな意味でこわいですよ。

ま、なにがどうなったとしても、それが今の私の正直な気持ちです。

では、今日は寝ます。おやすみなさい。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
56
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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