自分を変えたい。それは誰もが生きていれば辿り着く樹海。
自分を変えたいから前向きに、ポジティブに、と慌て前進する。
感情は放置され、頭脳だけが運命を這いつくばる。
本当に自分を解放するとはどういうことなのか。私は長年考え続けている。答えを見つけては更なる事実を知り、それまでの答えを消し、そういった行為を繰り返している。
開放は天へ向ける自由な翼を安易にイメージさせるもの。しかし、翼を持ち、自分を離れ、何処へ行くというのだろう。
それまでに育て上げた自分。
泣きながらのた打ち回った自分。
ひと時の幸せに身を震わせた自分。
そんな自分はもう要らないというのだろうか。紛れも無く自分自身はここに居るというのに…。
今までの自分は血肉となり骨の髄まで染み渡っている。それ故、自分自身がどう生きたいのか、そしてどう逝きたいかということだけなのに。
解き放つという言葉は全体を捉えた後、自分自身が時を刻み更に理解した後、過去を見て生まれる言葉。
だから本当は殻なんて破らなくてもいいのだ。
羽ばたかなくてもいいのだ。
殻なんて殻に見えるだけで何処にも無い。
羽なんて人間には必要の無い代物。
――必死にがんばった自分へ更に鞭を入れ込む必要など無いと思うよ。
馬車馬のように走ってきたなら、少しだけ休息を取ればいい。
誰かのためだけに生きてきたなら、自分だけの時間をつくればいい。
愛されたくて愛を貪り続けたなら、他の誰よりも自分を理解している自分自身を愛してあげればいい。
何も変わらないけれど安堵する自分が生まれる。それは、人が生かされていく原理でもあると思う。
生きるのではなく生き延びる命が吹き上がれば、それは天命を信じ歩いて良いのだと思う。
例え何もかもを無くして全てを放棄した情けない自分だとしても、人ひとりの力で何が変わるというのだろう。世の出来事という激流に飛び込んでいったとて、それは犬死というもの。
吹き上がる命に身を任せ生かされるのも悪くないと思う。
自己を守り慈愛することでやり残した自分の運命が顔をだす。それが真の運命。人間が生かされる理由は思いの果てに在り、完全な死を受け入れる前までに必ず天より告げられる。
即ち、開放は開放に在らず。開放とは清らかな己に成ることではなく、自己を濁らす以外に道は無い。
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