歪み:
正しくない。
真っ直ぐではない。
崩れた心。
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今日は歪みについて。今日の画像、余り良い感じのものではない。勿論、ブログのタイトルに合わせてつくっているのだから、気持ちの良いものばかりとは限らない。
画像の中で上から手を伸ばしている人間。転落していく人間。ふたりの人間が描かれている。一見、上から見ている人間は、瞬間的に、落ちていく人間を食い止めようとしている。そう、受け取ることができる。
しかし、落ちていく人間が転落したのではなく、落とされたのかもしれない。落としたのは、当然、上から見ている人間。
こういう、本人しか分からないからくり。世界中リアルタイムで起こっていそう。
もしも、上から見ている人間が突き落とした張本人だとする。その場合、長い間。若しくは、少なくともこの瞬間までの僅かな時間。確実に、心が歪んでいる。
現実的に突き落としたら、当然、犯罪だよ。けどね、武器に見えない武器で、自分以外の人間の精神を突き落とす事は可能。突き落とされた人間の精神は、転落するのだから粉々か潰れた状態。最悪は破壊される。
本当に些細なこと。
たいしたことないと思えたこと。
あまり深く考えるような事ではなかったこと。
単に、そんな何気ない思い。悪意も無い。だから、たいして悪いようにも思えない。相手が傷ついた事実を知っても、相手がネガティブだからだ。と、自己の中で処理してしまうことも簡単なはず。
しかし、その相手によっては、精神が転落してしまうこともある。場合によっては、相手の一生を駄目にしてしまうこともある。
それら突き落とす側の人間のベースに醜く歪んだ精神が存在した場合、見えない世界で変化が起こる。
突き落とした人間の自己の中に存在する悪は、落とされた相手が受けた、その傷の重さ以上の邪気が成長する。いいや、新たに発生し進化するというところだと思う。(自覚をしている。していない。或いは、直接。間接に関わらず、確実に邪気は発生する)
つまりは、邪気を持つ事で災いが降りかかってくる。
災いは、因果応報の原理で必然的に発生する。悪には悪がかえる……。
例えば、してやったりという相手に対し、僅かながら優越感を持ったとする。正義の優越感は問題ではない。しかし、悪から生まれた優越感へは何れ罰がかえる。
動物をいじめればいじめ殺される。そういう現実が我が身にかえる。
誰も気がつかない。自分しか知らない悪だとしても、真実はひとつだということ。
歪んだ思いを持ったらいけない。そういう意味ではない。
ただ、もしも、歪んだ気持ちを持っているが、自分でも変わりたいと思っていたのならば――、
どうして歪んでしまうのか原因を考えてみる。
或いは、現状の生活習慣を変える。
何かしら、今の自分のパターンを消していく作業は必要だと思う。
勿論、心を入れ替えるという真実のもとでのみ、その作業は意味を成す。
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