逮捕されるまで
空白の2年7ヵ月の記録
市橋 達也
この本は現在私の手元にもあり、3分の1程度読んだところです。
読んだ人は分かるかと思いますが
人を殺した者が考え思うことなのだろうか、と。
人間の心理は追い詰められると幼児退行をすることもありますが、果たして市橋達也が書いている言葉は幼児退行としての言葉なのか、或いはそれそのものが市橋達也の言葉なのか。そうした疑問を抱いたまま読んでいるという状態です(←現在、四国に入ったあたりの話しです)。
またそうした疑問のラインと並行するように頭の中へ存在を主張してきたポイントがありました。それは彼の、日常。もしかしたらもともと犯罪の一線を軽く越える日常を送っていたのだろうかとも感じました。
悪いことと感じるポイントのズレ。
犯罪で在ると自覚するタイミングのズレ。
そうした感覚を感じたのは、本を読み始めてから間も無くでした。
現実感の無い状態での犯罪。
彼が書いている言葉から感じたものは罪悪感というよりも、強迫観念。そして逃避癖。
もともと嘘吐きだったのではと、文章を追う限りでそうも思いました。とはいっても、あと3分の2ほどのページが残っているので確信までは辿りついてはいないですが、それでもかなり高い確立でそう思いましたね。
ただ、さっきも書いたように、幼児退行と、日常的に犯罪の一線を越えた心理。これらについての疑問を保留状態にしたままでの、私なりの把握というだけのこと。
まあ、こういうのは読み終えてみないと分からないもの。
ところで数時間前のこと、犯罪の一線を軽く越えてくれた人間を知ってしまった。
詳しい内容などは書けないけれど、簡単いえば私の身内に対し犯罪を犯した人間が集団で数名いたということ。
その犯罪を犯した人たちは、犯罪を犯してしまった時は極々他愛も無い日常の風景に過ぎなかったことだろう。ただ、いつもの風景よりも少しだけ刺激的だったという程度のこと。羽目を外して、さぞ愉快なきぶんだったのでは……と
だがしかし、所詮、犯罪は犯罪なわけで。こちらも速攻行動を起こしました。当然ですよね。
犯罪とは相手が年端もいかない子供だとしても、かよわい年寄りだとしても、罪は罪です。犯罪です。
今回起きた事実について軽く説明をしても構わないのですが、念のためにやめておきます。
それにしても、考える機能が低下しているのかと思える人間があちらこちらに増えていると思うのは私だけでしょうか、ね。
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