草むしり―人生の問題について
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忍び足で近づいてくる足音はリスクか?
確かにリスクと言える範囲になるとは思う。
でも時既に遅しとなり、どう見ても何かしら起ころうとしていたとしたらリスクの高さは激減するわけで。
既に何かが起きようとしていたとしたら、ソレをリスクとは言わないというだけのこと。
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たとえば家族の誰かがいつも通りにしていたとしても、その笑顔の裏側に問題を抱えていたりもする。
その家族が自覚した問題であれば誰かが話しを聞くことで、運が良ければ改善の道へと辿る事は出来るかもしれない。
しかし
自覚しているとは限らない事も在る。
勿論霊的な意味で。
仮に大きな大役が仕事上回ってきたとする。
その大役に本人は真剣に取り組む。
まわりも彼の熱意に応えようと協力者が徐々に増えていく。
そして彼の人柄は、多くの人間に慕われている。
コノ状況になにも問題などない。
どちらかといったら上手く波に乗っていると言った方が良い。
だけれども
霊的に見たら、その大役をこなすことでたとえば死相が浮上するとかが在る。
死神に魅入られたというべき状況。
まあ、家族の誰かが現実的に問題を抱えていた方がリアルに分かりやすいとは思う。だが霊的なことも現実でしかない。
霊的なことは霊感でしか分からない。
それだとしても
見えていない問題を知ろうとする気持ちがあれば問題は出てくるもので(霊的な問題を除外したその他の問題のみ)。
自分には無いよと言うケースはありえない訳で。その場合は自覚していないというだけのこと。
探せば出てくるもの。まるで叩けば出てくる埃のような問題が誰にでも付き纏い存在していると言う事。
ただの埃ではなく、雑草のように其々に特徴があり、其々の特徴も生息した場所によって大きく違いがあり、雑草のように成長していく問題が誰にでも在るということ。
その問題を知ろうとしない人は、自分の庭も家の中も家族の心もとてもきれいに見えたり、取りあえずはなんとかなるだろうとアグラをかいてしまっている。
要はなんとかなるじゃなくて、なんとかしなきゃいけないという事を自覚してないということ。
故に在るがままを受け止めその都度対処していないと、いつか現実となるというそれだけのこと。
問題意識のもとに成すべきことを知ろうという気持ちを持ち、そしてそれを最後までやり遂げること。
問題への取り組みとはそういうものかと思う。
[4回]