白月光
霊感からの言葉|呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

呪術・霊感・福島の母 占い軒龍卑【白月光】

あなたは本当の自分で生きてますか?

自己評価の低さについて

心の軸がぶれる、つまり人としての正き行いがままならず人の道をいくばかりかだとしても外してしまった時というのは人が人ではなくなるのかもしれない。それはおそらく自分を無くしていくある種の過程でもあり、ゆえに自分にはそうした冷酷な一面があるのだと静観し悟った気になってしまうと、本当の自分は自らの手により地中深くへ埋められてしまうことにもなる。
しかし本当の自分が正義の元に日の光を浴びようと地上へ這い上がる気があるなら人として救いようもありまたその人生もどうにかなるのだけれど、地中深くにうごめくことが自分なのだと偽の悟りから心を動かさずにいると、ミイラ取りがミイラになるかのごとく地中に棲息するモンスターになってしまうこともあります。
そうして作られたモンスターはひとり歩きをするのですが、感じるもの聞こえるもの思考さえもモンスターの影響で歪んで伝わります。本当のことはほとんど伝わってはこないのです。
こうした状態は自分自身の評価を悪く考えていることだとも言えるのですが、自己評価を下げるということは自己を手放すことにも繋がるものなので、そういう意味で自分自身はどうなのか考えてみるのもありかと思います。

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引き寄せの法則と引き潮の法則と磁石の法則と




地震の前後あるいは後に出る地震に関連して出てくる波動があるんですが
ここ最近はその波動を体感しその結果異常事態として体が感じているようです。


それから

11月3日は流れ星の夢を見ました。
また3日は福岡で火球と言われる流れ星が出ていたようで
なんとなく夢の異様な状態に納得しました。


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生きることが罪~本当のことは何かを考えてみました

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先日、拍手からのコメントで「生きることが罪だと思っていました(過去形&一部抜粋)」というメッセージが寄せられました。

そのコメントについてここ数日間ずっと考えていました。

「生きることが罪」というのは、よく生きるという話しからのテーマにされやすいところでもあります。

まあ確かに生きていれば人は罪を犯します。

ですが、なにかそのコメントに違和感を感じました。

コメントをよせてくれた人は現在もその考えを継続しているわけではないので、その人の考えに疑問を持ったのではなく、あくまでも「生きることが罪」というその言葉に対してです。


私なりに考えた結果ですが

まず、違和感がどこから来たのかを考えたのですが、生きることが罪という方向からの思考はある断片からの考えになるのではと。つまりテーマのすり替えというところに辿りつきました。
テーマという単語は正しくないと思いますが、正しいこと、本当のこと、ではなく、正しいことや本当のことに依存している出来事なのではないのかなと思ったんです。

要は、肝心な話しを進めなきゃいけないのに関連している事柄にばかり目がいくというか、そんな状態のことを前文で言ってます。

「生きることが罪」という言葉に対し言わんとしていることをこの世の本当として言いなおしてしまえば「この世に当たり前なことなど無い」ということになるのではないのかと。

「生きることが罪」×
「この世に当たり前のことなど無い」○

という見方でいいのかなと考えをまとめました。



「この世に当たり前のことなど無い」とは謙虚さのことになりますが、

まあ謙虚さが無くなると人が人ではなくなりますからね。

謙虚さが欠如していくと脳が麻痺してきます。

欠如により起きうる事柄には「嘘・悪意・裏切り・犯罪」ざっと考えてもこれだけ出て来ますが、言い方を変えれば罪悪感の欠如のことになります。

そもそも罪悪感の欠如は謙虚さの欠如の中の一部分だと思うのですが、それらの欠如がある一定の深さまでいくと人の脳、つまり精神は破壊されていきます(あくまでも私の中でふだん見ている霊感の話しです)。

それこそ遺伝子レベルで人の基本系の構造である思考とはまったく異なった真逆のことを進行させるわけですから、最後はノイローゼとかになってもおかしくはないわけです。


結局、謙虚さとは人が人であり続けるための重要事項なのではないのかなと、結論の後の結論として考えが定まりました。

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運命の軸を決めているその一部の話し

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amazarashiの反応は予想していた反応よりも強く響いたみたいですね。お礼や感想のコメントを(拍手ボタンから)もらいました。

まあでもあの歌詞はひびきますよね、確かにそうですよね。

生きるって一体なんなのとか

夫婦(恋人)ってなんなのとか

さみしさが埋まらないのはなんでなのとか

愛してもらえないのは?いつも孤独なのは?なぜなんだろうとか…

結局、人の気持ちって行き場が無いところまで追いつめられると自分の存在の意味と関連した部分を何かしら考えてしまうし、世界中を敵に回してしまったかのような感覚になるわけで。

でもここに味方がいるよって心の声を歌にしてエールを贈っているのだから、心の中に存在してる誰かの本気の生き様と共鳴してもちっともおかしくないはずです。


本気で生きるって上手下手じゃないんですよね。本気で生きてるという事実が全てでそれ以外の何物でもないんです。

本気で生きていると
本気で生きていない人よりも、本気で生きている人は衝突が多くなります。


知ろうとして知ってしまう。

理解しようとして理解してしまう。

納得しようとして納得してしまう。


それらがどんなに悲しく自分にとって辛いことだったとしても、気持ちの中へそれらの居場所を作ってあげてしまう。

それは大切にしたいナニカのためにそうしてしまう。

でも、居場所を守ってあげるためには時に戦わなきゃいけないこともある。

負けるとか勝つとかそういう勝敗に関係なく、立ち向かわなきゃいけないことがある。


泣きながら立ち向かわなきゃいけない時もある。


そういう時、誰かやナニカのせいにしてしまうとちょっとだけ気持ちが楽になるわけで。

てっとり早く誰かやナニカのせいにして怒りを丸投げしてしまえば良いわけですよね?


これは怒りの特徴的なものですが、怒りにはいわゆる尻に火をつけて動かす(行動を取らせる)事が出来る性質があります。

起爆剤のようなものですね。

※ 多くの人は怒りで動いていると自覚出来ない場合が多いです。


誰かやナニカに対し怒りを丸投げしている間は、辛いとか悲しいとかさみしいとかリアルに体感しなくて済むし、何よりも辛いとか悲しいとかさみしいとかの「生の感情を」見なくて済みます。

見えそうになると次々に行動をステップアップすることも可能です。実際、そういうケースが割合的に多いですし。


けれども起爆剤である怒りというのは、必ず効力を失います。
つまり怒りは永遠に続かないのです。

怒りが消えてしまった時に体感することというのは、辛いとか悲しいとかさみしいとかのリアルさです。それも起爆剤の効力が続いていた間に成長もしていますから、当時よりもより一層の深みを増しています。

怒りにより相手へ本当の意味で制裁を加えることは不可能なわけで、それをするとしたら法的にしかできないでしょうから。

仮に法的に制裁を加えることができたとしても、それが怒りの延長線上での制裁であったなら…

それでも辛いとか悲しいとかさみしいとかをリアルに体感しなくてはいけないのです。



結局、怒りを表現するために創意工夫をしたとしても、ただただ自爆するだけのものでしかなく。

つまり

噴水が勢いよく噴射しても、噴射した水が戻ってくるように、怒りを表現するという意味での原理も噴水と同じです。


感情とは人が人であるためのものだと思いますが、だからこそ慎重に扱わないといけない時もあるわけで。それに運命を支配しているのは感情だと言っても過言ではないです。


生かされている間は感情との共存が必要です。


本気で生きている人、本気でいきたいと思い生きようとしている人が、このブログを見にきつづけているのは知っています。

本気で生きているのを知っているからこそ尚更なんですが、自分の感情に流されて不本意な人生を歩いて欲しくないなと心からそう思ってます。


どんなに辛い時でも感情に流されないことを諦めずにいれば、道は開けるものです。

ただ、新たな道が最高か最低かは選択できないでしょうけど、気持ちに穢(けが)れはないです。

怒りによりわざわざ自分の中へ穢れを宿す必要も無いと思うし、自分から穢れを選び醜くなる必要も無いと思います。


また、諦めないことの辛さは人の意識レベル的に、私は誰もが同等の感覚を持っていると考えています。
そこは頭が良いとか悪いとか関与しない領域でもあるし、人生の成功者とか(言葉が悪いですが)敗北者とかも関与していない領域でもあります。
つまり諦めない気持ちにより未来が変化する可能性は、誰もが平等に持っていると考えています。

ゆえに辛い時こそ感情に流されないことを諦めないで生き抜いていって欲しいと思います。



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質問があったので~過去記事【こうなることが大事なんじゃなく、こうしたいという気持ちが大事】

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拍手からのコメントより質問が入ったので記事として取り上げました。



質問のあった記事→こうなることが大事なんじゃなく、こうしたいという気持ちが大事

質問内容は
精神の浄化=謙虚という部分をもう少し詳しく聞きたい、との事。

質問の対象となった文章をリンク記事から以下へ引用します。

>目的の構造を理解するということに思考だけではなく気持ちも同時に辿りつくまでは
>精神の浄化の入り口、いわゆる謙虚さの真意に到達しないと無理なんですが
>その位置は真剣に生きていないと謙虚さの真意にも到達できない位置でもあります。



質問に答えていこうと思いますが、答えていくというよりも上記引用に関連している部分を噛み砕いて説明する感じになると思います。
それと無駄に文章が膨れているように思うかもしれませんが、それは質問して頂いた内容から推測できるおそらくは理解していないであろう部分に対しての文章です。

ただですね噛み砕いて書くと逆に文章量が増えるのは防ぎようが無く、なので読みづらいと思います。しかもそもそも文章を書くのは苦手です。それでもなんとか分かりやすくまとめて書きますので、がんばって読んでください。
※ 分かりやすく書こうとすると文章力が無いのでおのずと抽象的な部分が目立ちますが、その辺は質問とかもらえれば説明します。

興味の無い方はスルーして貰っていいような話しです。たぶん興味が無いと、読んでもあまり意味が無い記事になると思われますので。




まずリンク記事の内容は【目的の構造について】書かれているようなものなんですが、
タイトルにも書いてある通り、こうなることが大事なんじゃなく、こうしたいという気持ちが大事ということをテーマに沿って話していると思います。






以下より本文です。



リンク記事のタイトルでもある、こうなるという結果を求めるだけなら気持ちは要らないはずです。
結果を求めるだけなら、単純に機械的に頭脳プレーで事を進めていけば良い事なわけですよね。そして最終目的である結果へ辿りつけばいいというだけです。
いわゆる気持ちがゼロでもできてしまうし無慈悲でも冷酷でも構わないはずです。結果を出せばいいわけですから当然そうなりますよね。
世間で言われている計算高いとか腹黒いというのは、こうした部分の多くが表面化されたゆえに言われていることだと推測できます。
また、結果を求めるのに対し善良な気持ちや真心などの気持ちを添わせるというのは、一般的な表現で汚い人間に値すると思います。

しかしたんなる計算やプログラムなら誰にでも出来る事とは言いませんが、計算やプログラムだけを追い求めて結果を出すという行為は人間の構造に対し相反する行動になると思います。

それはもともと人間が感情の生きものであるということが基本(=人間の基本の原理)になっているため、計算やプログラムだけを用いた応用(または機械的な実行や実践)とは、統計学を用いた占いと同じで肝心な時にハズレて役に立たない、つまりたんなる勘と一緒ということです。
(別に統計学にたいしての非難ではなく比喩としてのたとえです)

仮に人の感情を頭脳だけで操作できるとしたら、ある一定のエリアまでは操作が出来るかもしれません。ですがある一定以上は無理です。なぜなら人間の基本の原理を無視して上から押さえつけるわけですから、どんなに感情を把握したと思っても所詮どうあっても力で抑え込んでいるだけだしまたは操作していると思い込んでいるだけとなります。
※ 感情を操作する等は人間の基本的原理に対し逆行する行為ですので、根底へ行けばいくほど混じり合うはずがないです。ただし心理学というか医学としての療法などは別ですし、また霊感も原理としては同じです。なぜなら本当のことに辿りつくのが霊感だからです。

また人間の基本の原理を“理解するということはどういうことかと”いうと、私の考えという主観が無い状態で物事を理解しなくてはならないのですが、最低でも現実を見る目が無くては理解などできないし、ここは霊感と深く繋がる部分です。

ただし理解するというのはちゃんと理解した場合と教科書的に理解するという場合とに分かれているはずです。

要するに、理解するという部分に対し人間の原理を含んだうえでの気持ちがあるのか(ちゃんと理解したか)、無いのか(教科書的に理解した)で違ってきます。つまり無い(教科書的に理解した)という部分について言えば、テスト仕様としての模範解答ではあっても、この世の本当ではないということになります。


テスト仕様の模範解答が気持ちが無く教科書的に理解したものであるならば
気持ちがあってちゃんと理解したというのは、謙虚な気持ちを持てたことによりちゃんと理解できるということになります。

つまり

自分の浅はかな主観によってたとえば大切な誰かの気持ちを理解できない事に遭遇したとしたら、それは結果として多かれ少なかれ【誤解】が生じていたはずです。その誤解が存在するということは、最低条件として“真剣に考えていない”ということになります。そしてそれはつまり大切な誰かの気持ちに気付こうとしていないし知ろうともしていないということにもなります。優しく言うと他人事であり割合はどうあれ無関心です。

ですが他人事でも無関心でもいられない状態に直面した場合、いわゆる嫌でも考えを改めなくてはいけない、または考えることを避けられない事態というのが生きていればあるもので。

考えを改めないと(たとえばですが、大切な誰かやナニカを守ることもできないので結果的に失うことになると)気づけば、考えを改める方向へ意識が働きます。この状態は今までよりも真剣に人生と向き合った瞬間というだけのことです。


その場合、まず何が起きたかを把握しようとすると思います。

そして主観などの私はこう思う的な部分を出来るだけ取り払う努力をしつつ状況把握に努めると思います。

状況把握が進めば必然的に、見ている視点を広げる努力をしなくてはいけなくなるはずです。

全体像を把握しようとするはずです。

現実の事態がどうなっていたのかを把握したら、事態がどこへ向かおうとしているのかを理解しようとするはずです。

(中略)

過去記事【こうなることが大事なんじゃなく、こうしたいという気持ちが大事】

(以下略)


といった具合でコレまでの考えを改めるがゆえの働きかけを実践していくと思うのですが、
この心境の境地(心の立場)になるキッカケになった前文の気づけばという部分は、謙虚という精神的姿勢と引き換えに発生します。それはつまり“考えを改めないと大切な誰かやナニカを守ることもできない”という気持ちが謙虚さそのものであり、その謙虚さに人として気付かされるわけです。
※ あくまでもたとえに対しての説明です。

この謙虚さが自分の深みを出していくものなんですが、謙虚な気持ちを持つということは自分の謙虚さで自分の醜さを洗うという行為とイコールになっていきます。これはこの世の法則です。

謙虚な気持ちを持つ
||
謙虚さで自分の醜さを洗う
||
醜さが洗い流されるわけなので精神の浄化とイコールになる

となります。

謙虚さを持つということは気づきが必要不可欠でありまた自己内の自動浄化装置のようなものです。

※ 謙虚さを持つ=(ただしくは持ち続ける事が出来る場合のみ謙虚さを持ったとなります。つまり本当に気付いたという意味)=謙虚さの真意
>精神の浄化の入り口、いわゆる謙虚さの真意に到達しないと無理なんですが


謙虚な気持ちとは、これまで当たり前だと思っていた何かしらに対し、当たり前ではなかったと知ることなんですが、本来はやってもらって当たり前のことなど存在していないという、この世の本当を知っていきながら多くの人は年齢を重ねているように思います。



と、こんな具合ですが納得して頂けたでしょうか?


引き続き疑問があれば折角の機会なんで迷わずに質問してください。





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生き方や考えの原理的なこと~数学

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物事の考え方の原理は数学なんだと常々考えています。
つまり物事の本当というのは数学で成り立っていると考えています。

なので物事をまとめなくてはいけない場合、数学的思考で考えなくてはいけないので国語的思考だけでは曖昧だとそう考えているということです。

この部分について時間があって気が向いたら記事にしようとは思っています。


正直、私は算数さえも苦手なんですがそれでも数学的な考えを取り入れて生きていかないと
女性によくある都合よく問題のすり替えをしてしまうという結末へと辿りつきます。

なので、普段からこうとも言えるしああとも言える的な曖昧で抽象的な観点を捨てて生きています。なぜならそうやって考えていかないと現実的に行きたい場所や辿りつきたい位置へ到達しないからです。


たまたまなんですが、数学の勉強方法を説明した動画を拾いました。



http://www.youtube.com/watch?v=pBRE2DAawJ4



ふだん考えていることの全てがこの動画に刻まれているわけではないですが

物事を考える時の原理はこれだよねという動画だったのでアップする事にしました。




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こうなることが大事なんじゃなく、こうしたいという気持ちが大事

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気持ちの温度、それは人生に対する真剣さの目安。

心のすれ違いとか

意見の食い違いとか

生き方のスタイルとか

おおまかに性格とか

そういうのが違ってたとしても

心の温度が一緒だとどこかで相手を認め受け入れてしまうもので。


その状況を知っている人は、ちょっとだけ不思議な現象に感じたこともあるかもしれません。


どうしたら相手の気持ちに辿りつけるのかという疑問は
たぶんきっと仲良くしたいという思いと結びつくのだけど


本当に辿りついたり仲良くできたりしているのは、
相手の気持ちを知りたいという仲良くしたい思いがあるからできるのですが
ただ仲良くしたいと思って行動すれば仲良くなれるのかというと、そういうものではなくて。

それはつまり仲良くしたいという目的のままに突き進めば

目的は時にことごとく目的のすり替えとなるから

結果的に辿りつかないのです。


これは

思いを思いのままに表現することが目的のすり替えになるという、この世の法則なのでどうしようもないこと。


仲良くしたいという思いがあるならば
たとえば相手を知りたいという目的に変えないといけない。


しかし多くの人はこの法則を違った形で目の当たりにすると

計算高いとか

腹黒いとか

そうした類の感覚を覚えたりする。


確かに計算や腹黒さからの法則に似た汚い気持ちの公式を使う者が割合的に多く居るのも、事実。




また、汚い気持ちの公式だという感覚からから、生涯にわたって抜けれない者も居るわけで。



ですが汚い気持ちの公式ではなく
ただたんにこの世の本当を書いているだけのことです。


要は目的の達成の仕方や方法(の一部分に汚い気持ちの公式が含まれる)を書いているのではなく、目的の構造(つまりこの世の法則)の話をしているだけです。


目的の構造を理解するということに思考だけではなく気持ちも同時に辿りつくまでは
精神の浄化の入り口、いわゆる謙虚さの真意に到達しないと無理なんですが
その位置は真剣に生きていないと謙虚さの真意にも到達できない位置でもあります。



ちょっと難しい話かもしれませんが自分の言葉で置き換えて解釈してみると
理解できたりするかもしれないです。


この話しを機会に、仲良くしていきたい人ともっと仲良くなるための道しるべが出来たらいいなと思います。


質問や疑問があれば気軽にコメントか拍手からのコメントにメッセージを入れてください。





ここ最近の気候のおかしさ(←霊的な妖気)から心の闇が広がり闇の深度を増している人が増えていると思います。

今回の波は波の勢いに任せて何もせずに身を任せていると、後々悪化とかするかもしれないです。

なので

まずは好きなことを少しでもやってみるとか工夫して生活をしてみてください。




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人生で足を踏み外すタイミング

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魔は運命の中へ静かに入ってくるもので

静かだけれども意外に幸せそうな仮面をつけていたりする。

その幸せそうな仮面はひと時の安らぎや笑顔を繋ぎ
そして程よく溶け合うような愛情を生み出してくれたりもする。

だがしかし…

それはやはり魔そのものが幸せそうな仮面を脱ぎ捨てる時までの話しであり
仮面を脱ぎ捨てた瞬間に現実という深刻化された何者かが姿を現してくる。

運命へ静かに魔は入り込み

運命の中で静かに魔は育つ

それもしっかりと育ってしまう。



**************************************


そして過去を振り返り思うことは

なぜあの時は笑っていたのだろう。
あの時に少しは予感があったのに…。
今という時を優先してしまった。

あの時に
意を決し戦えば良かったのだろうか。

たぶんそんなことを考える。


結局そういうのって
大変なことを後回しにするか
大変なことを先にやってしまうか
ただそういう日常の習慣がついつい出てしまうもので
いや、日常の習慣というよりももしかしたら心の癖かもしれないけれど。

なんていうか…

つまりこういうのって、真剣に生きているかどうかということなんじゃないのかなと思ったりします。

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プロフィール

HN:
軒龍卑(haruka)
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/11/06
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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