始めに書いておきます。
本来ならこの記事を
精神の探求~Search for spiritの方へ書くべき内容だと考えています。
読んで解るようにと努めましたが、難しかったらごめんなさい。しかも長文です。
生きていることが大変だと感じる位置のみに固着(こちゃく:同じ所にとどまって、そのままの状態で定着すること)している人と、ありのままに受け止める位置を確保し、活用している人。
この違いは、心の距離や角度なんだと思う。
またこれをもっと正確に言ったら、気付きの違いということになるだろう。
或いは、個性。
現実を見るのがこわい。
誰だってそういう気持ちなんだと思う。
また医学的にも、基本はそれしかないと思う。
ただ現実を見るのがこわいという事実が存在していても、現実とうまく付き合っているかどうかというだけ。
たまに思考回路の接続が思うようにいかないままに生まれ、現実がこわくないことがある。
つまり現実を受け入れることができない人もいる。
或いは生まれた後にそうなることもある。
そういう医学的な領域を霊感で辿ると、正常と異常の境界などは混迷しているもので。
だけれども、それだとしても、現実では正常と異常が明らかになっているというだけのこと。
これは、たくさんの人を殺したのだから死刑になって当然。人権なんかあるものか、早く死んでしまえ。
と多くの国民が思ったとしても、現実は人権が在る。
自分的には、そういうのと似ている感覚だったりする。
実際、正常と異常の境界線は存在している。当たり前のこと。
それでも、当たり前の正しいことだけが正しいばかりじゃない時も当然存在します。
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こうした正しいとか間違っているとかの話しの関連で、自分が常に頭に在ることがあります。
ちなみに普段霊感で見えている事実です。
それは、ジャンルや形を求める遺伝子が人には強く残っていて、生きている間、終始表面化しようと試みている。
ちなみに前文で書いた「死刑になって当然…」という暴走した感情にあたります。そして表面化しようとしているものの正体とは、いわゆる主観のようなものです。
遺伝子が悪く作用すると
不安がとめどなく増幅した場合に、何かしらの異常が体内で起こり精神を病んでしまうこともあります。
…精神を病んでしまう人のために書いた遺伝子の話しではなく、誰にでも当てはまる話しです。
おそらくこの遺伝子は古代からの生活習慣で、本能に達するくらい強いものではないのかと思っています。
早い話が、ジャンルや形を求める遺伝子(原因)とは、強迫観念(結果)のベースになっているということです。
そして、この遺伝子は人によって遺伝する割合は大きく違います。
強迫観念とは常に何かに急き立てられた精神状態のようなもので、
そこには主となる強い(活性化した)遺伝子があります。
また強迫観念が出ている時とは
現実的に、こうするべきという気持ちに対し本当は拒否しているのですが、
受け入れないといけないと思い込んでしまいます。
いわゆる、結果的に、こうするべきとかいうアレ(思いや主観など…)に最後は辿り着きます。
ただ人によっては無意識のこともあります。仮に無意識だとしても、行動に現れるだけの話し。
更に深い話しをすると
この場合のこうすべきという気持ちは考えではなく、ただの気持ちです。
ただたんに主観とか思い込みとかであって、現実的な考えとは違います。
そして現実逃避に直結していることもあります。
さて、その状況で手っ取り早くいけそうなジャンルや形が目に入ったとしますよね。
酷い場合は後先を考えずに縋(すが)るようにして飛びつくでしょう。
遺伝子によりジャンルや形を求めるプログラムが、(脅迫的な)行動をさせているのだと…。
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更に今書いたことを仮に現実に例えるとしたら…
体だけの関係を維持しているカップルがいたとします。
本当は付き合いたいと言いたいのだけどいえない。
言わなくちゃいけないという気持ち(ジャンルや形)と、
言ったら嫌われるという気持ち(ジャンルや形)が交差する。
結局、言わなくちゃいけないのはなぜなのか
言えば嫌われると強制的に結果と結びつけ、ならどうすればいいのかと考えないのはなぜなのか。
こうした当たり前の考えが、余りにも感情的になると抜け落ちることがあります。
当たり前の考えが抜け落ちた状況こそ、(度合いの程度こそあれ)強迫観念に囚われた状態なのだと。
交差している状態では、付き合いたいという気持ちと、言ったら嫌われる。という、2種類の強迫観念が主になっています。
2種類が一緒になっているのではなく、ふたつ存在している状態です。
そして現実ではどうしようという混迷が実際起きていて、葛藤が酷ければ気持ちが苦しいと感じる。
また気持ちへ出ない場合は、苦しいと感じている分だけ身体に異変が起きます。
こういう状態は誰にだって在ります。
ただ医学的に、起こっている状態が病的なのか正常な範囲なのかというだけです。
遺伝子の話しはここまでです。
次は改善策の話しへと移ります。
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ところで、この状態って辛いですよね。
歳月をかけて考えました。
なぜ人は主観が表面化しすぎると現実逃避へと向かうのか。
そして現実逃避の根源は何者なのかと。
ちなみに…
強迫観念と書いていますが
解りやすい表現に変換しているだけです。
そして、強迫観念のことで言えるとしたら
強迫観念のもとの「ひとつに」なっているというだけのことです。
強迫観念の全ての要因ですという意味ではないです。
しかし実際私が理解していることとは異なります。あくまでも伝わるために書いた単語が、強迫観念ということになります。
霊感で見えている事実を現実的に言葉として表現するまでには、時間(または歳月)が掛かる場合もあります。
だとしても
強迫観念は、頭のパニックのもとです。
酷ければパニックが原因で人生が暗転してしまいますから。
結果(答え)から言うと
頭が良くなると違います。これが答えです。
また、この部分は前文で書いた、法的な意味で「人権がある」という現実を示します。
重複になるのですが、軽くまとめておきます。
「人権などないという気持ち/付き合いたい、言えないという気持ち」
○これは主観です。現実ではありません。
○現実的には法律が在ります。
○この主観が暴走した状態は、酷くすれば現実逃避に直結することもあります。
○現実逃避が増幅すると医学的に病気や症状が発生することも在ります。
「人権がある/なぜ言わなくてはいけないのかという考え」
○これが現実です。
○理不尽だとしても間違っていたとしても、それでも現実は存在します。
結局、ハンデの量に負けないだけの頭脳があればいいということです。
とはいっても現実を見る目のことなんですけどね。
現実とは、事実としてのありのままの状態のことです。
ついでなんで、現実と本当のことは違います。
ちなみに現実について議論する哲学的な発想や考えなど、そういうものではないです。
(よく見かけるのが、真実とはなにか…とかいう議論なんです。が、そういうのじゃないですよという意味で書きました)
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現実が少しずつでも見れるように努力することって、おそらく頭の善い人と同じ脳の領域を使うはずですよ。
まあ、使うはずですよといったのは霊感で見ている結果なので、そう書いているだけで。
結局、現実を受け入れるということは、本当のことを知ることへと繋がる過程のひとつです。
また、現実を無視した状態で本当のことを理解することは不可能です。
なぜ頭が良くなると違ってくるのか。
それは、結果的に思い込みとも言える主観になってしまう、遺伝子の影響がありますよね。
主観を止めることが出来るのは、主観が暴走した状況を「暴走していると」判断できる頭脳だけです。
それで頭が良くなれば違いますと書きました。
頭が良くなれば良いのですと書かなかったのは、遺伝の割合がどの程度かによって改善の度合いが大きく異なるからです。
また
別ポイントの劣勢の遺伝子が強かった場合で、頭が良くなることを阻害する遺伝子があったり、現実を受け入れる機能自体が阻害されていて、改善まで辿り着かないこともあり得るからです。
まあなんにせよ…
興味が在る人は地味に実践してみてください。
気長に、一生掛けて成長していくつもりで。
今書いた脳の領域は私の霊感の結果が間違っていなければ、年々成長していく脳の領域です。年をとっても頭は良くなっていくとかいうアレですね。
でもほんと、地味な作業ですよ。ただ諦めずにやっていくことができたなら、一年後くらいには成長の成果が明白に出てくるんじゃないかなと思います。
きっと、少しずつだけど自分なりに正しいと思える選択が出来るようになってくと思いますよ。
今の自分が選んだ選択を信じることは、自分を信じることにも繋がっています。
それは人を信じることにも直結です。
自分を自分が信じることができるということは、当たり前じゃないからこそ素晴らしいことです。
明日からの風景が変わるほどの意気込みじゃなく
おかずが一品増えた程度の気持ちで進むことが、長続きの秘訣だと思います。
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