白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

私は何屋ですか……?占い師なんですけど。

イベントのチラシを配布するに当たって、現在、知り合いを通し店舗や個人的に配ってもらったりとしている。

そんな中、店舗を持っている知り合いがA4サイズのチラシを店舗のよく見えるところに張ってくれるといってくれた。



なんだ、じゃあハガキサイズを拡大すりゃいいじゃんね^^☆



なんて余裕をかましていたら……

とんでもない事態に。

一旦スキャナーで取り込んでやらないと、だめだということになってしまった。


スキャナーで取り込むと色彩がおかしくなる。
それを修正すると、全部のバランスがおかしくなる。


ああ、なんてこと……orz


とか思いながら、地味に作業開始。


本当なら今頃、知り合いの各店舗を巡っている最中なのに。

ぶつぶつ思っていても仕方ない。まずはA4サイズを仕上げないとだめ。


途中、スキャン中に修正を何度もしながらチャレンジ。





つかさ私って何屋……………?





占い師なんですけど、なぜにこんなプロいことをして印刷しなきゃいけない?


いつも思っていた。

全国紙に掲載する広告をつくっている時も
ちまちましたチラシをつくっている時も


私は何屋なのかと。



結局は、がんばったかいがあり、ちゃんとできましたよ。

しかも原画と同じ色彩で。



こういう地味な作業て大変ですよね。ほんと。

なんだか今日は、印刷に時間がかかりすぎて疲れてしまった。

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Kurnik(カーニック)の話し


Kurnik(カーニック)


ここで気晴らしに、たまにオセロをやっています。


カーニックは何度かブログでも記事を上げています。

様々な国の人とオンラインゲームができるサイトです。



カーニックだと、日本人特有のせこせこした(あるいは、時としてうっとうしさが込み上げるような)対戦をしないので、主にネットのオンライン対戦(オセロ)はそこだけでやっています。



ちなみにサイトを利用するには簡単な登録をしてから遊ぶんですが、たまに登録ができないことがあります。

そういう時は、国登録を日本で登録せずにポーランドですると登録ができます。


私も過去に登録をできなくなった経験があり、パソコンを新しく購入したら入れなくなったんですよ。

調べた結果ポーランドにすれば登録できると。確かにポーランドにしたら登録できました。


でも、現在は日本で登録して在ります。


第一、ログインしてからも訳のわからない言葉が羅列してて、そんなの意味不明じゃないですか。

英語さえ解らない私がポーランド語なんて………とてもじゃないけど無理ですよ。



カーニックの中にはオセロの他に、将棋、チェス、チェッカー、中国将棋、碁、バックギャモン、五目並べ、カードゲーム(スペード、ハーツ)があります。



その中で、私がやるのはオセロだけ。



調子が良いとレートが1500代くらいまではいくんですが

調子悪いとレートが1200代あたりまで平気でおちます。



レートを維持する気はさらさらないので、相手が望む限りは大抵は連戦してしまう。

結局、負けこむとレートがガタ落ちですよ。



あ、そういえば……



国コード en


その国コードの人と対戦すると、ほぼ変わった打ち方をしてくるんです。

意外性の在る打ち方。 いわゆる奇襲ですね。


頭が混乱している時は負けることが多いんです。

あと自分では混乱していないと思っていても、実際は混乱していて気が付いていないだけのような時って、ボロ負けしますね。




まあ…


息抜きが息抜きじゃなく


やりすぎて疲れてしまうこともあるんですけどね(笑


なんていうか

高速回転しつづけている思考を止めたいからという理由でサイトを開くんですが、

ある意味、今度は別の思考が止まらないという。





ところで

あなたの気分転換は、どんなことをしていますか^^

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人間関係~「謝罪について」

今日いう日は、今この時だけの存在。時間。


過ぎ去る瞬間々の時の経過は

生きる軸となっていく。


あなたがどう思っていたとしても、大切に思える何かが心に存在していたとしても

それでも、些細な事柄を気持ちを込めてやれたかどうかで

未来の結果が変わってゆく。



嫌なことが連続的に起こっている、その瞬間。
嫌なことだけに心を奪われてはいないか。


これしきの嫌なことと、今在る大切な何かを秤にかけた時に
嫌な気持ちの方を優先していないか。


また、大切な何かの存在をわかっているつもりになっていないか。




苦しい時ほど考えることを諦めてはいけない。




たったこれだけのことを意識したかしないかによって
未来に光を持ったり、暗転したりするもの。


そして、そういうささやかな気持ちは良かれ悪かれ自分へと還る。

忙しない状況で先約があったにも関わらず、忙しいという現状を優先したとする。
ごめんねと言葉を掛ける。

謝ったのだから良いのではなく

気持ちが在る者と気持ちが無い者とでは、謝り方も違う。

でも謝られた方は、謝ったという事実を優先し現実を受け入れてもくれる。


だが


その後の関係が壊れていくのは、謝った瞬間だったりもする。



謝るのに言い訳を優先する。もしそれが事実だったとしても、言い訳。
だから取り繕って嘘をつくとかじゃなくて
それでも正直に話す。






悪かったと感じる気持ちが





言い訳という言葉の意味を確実に変える。





心に響く謝罪。それができて当然ではないけど、そういう人間であり続けることは素晴らしいことだと思う。


そういうのが気持ちなんだと感じています。

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生きるということを考える

何かへの価値は心が決める。

yozora.jpg








あなたなら、このCGを見て

枯れ木に虚しさを感じましたか

それとも星が気になりましたか。


全ての物事の価値は
あなたの心が決めてゆくもの。


生きていく気持ちの原点とは
こんな些細なことでしかないのです。


たったこれだけの違いが未来を変えていく。

ささやかな違いのようですが
心の潤いや運の良し悪しとは、自分自身の気持ちが確実に関与しています。





それから
この大差が無いようにみえる違いは、心の気付きにも繋がっていることがあります。






生きているということは感じること。


そして心も生きているということ。


感じようとする思いが無ければ、気付きは生まれてはこないものです。




枯れ木があるという事実。だから虚しさを感じた。
その、ダメなことから信じるのではなく


星があると感じる気持ち、つまり善いものから信じること。





しかし
感じる違いは、個性の違いでもある。







だけれども


感じる違いは
この先の未来を確実に変えていくもの。







同じことを続けていたら何も変わらないものです。

変わるためにはいつもと違うことが必要。





生きている事実があるからこそ、生きることを考えるのはとても大切なことだと思います。

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廃墟に学ぶこと-「幸せの原点」

壊れていくものとは

壊れる方向へ向かい前進しているから壊れていくもの。

ceaf2b55.JPG








たぶんアノ頃からおかしくなった、のではなく

もっとずっと以前からの原因があるわけで。

その結果、壊れるという現実が成立する。


今だけを見ていたら

平和なことも

幸せも

あったりする。


しかし本当の幸せとは
平和や幸せに見えるその時にささやかな悪性の芽を摘み取り続けている、その現状維持を示す。


悪性の芽を摘み取るために必要なのは
いわゆる気付きと現実を見る目のこと。


幸せを継続している者は諍い(いさかい)が起こり続ける。


たとえば諍いの真っ只中にいたとして

本当の幸せを知らぬ者が本当に幸せな者へ


あなたの家はいろいろ起きるよね。なのに、あなたは呑気よね(或いは、大変よね)。


などと、異なった空間から、優越感を含んだ言葉を発してくることがある。




だがそれは、虚しい心の言葉でしかない。




清潔な空間がまめな掃除から成り立つように

幸せも
まめに気持ちを込めていれば必然的に気付きと現実を見る目が生まれ、いずれ成り立つもの。


そして……


幸せとは結果論でしかない。


なろうと思ってなれるものではない。


どんな思いで生きていくか、その思いの込め方が結果的に幸せになるというだけのこと。そういうもの。


また、記事にアップした廃墟が破壊に映るのか、僅かな光としての可能性を感じるか。

たったそれだけの感覚の違いだったりもする。





形だけを求める者は廃墟という現実を建て直そうとするだろう。





心を求める者は僅かな草花に安らぎを感じることだろう。





自分が本当に望んでいる事柄を自分では理解していないことが多いもの。


それが気持ちの違いから生まれる、気付きなのだと思うのです。


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不動のありかた

荒れない海を心の中で封印する。







それでも時として台風で風が巻き起こり



海は荒れる。


















海が荒れるのは自然の摂理。





力が加われば、当たり前に動くもの。





不動とは微動だにしないことではなく、しなやかなケモノが存在してそこで初めて覚醒するのかもしれない。








不動が不動であり続けるということは、いずれ破壊されるであろうことを予測し、不動の力にすがり、さらに構えるということになる。








それは怯えが防壁をつくり続ける、終わりなき作業でしかない。








故に不動とは、おそれを自覚しありのままに受け止めること。まずはそこから始まるものなのだと思う。



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浸入ではなくもともと入れないということ

月の光に混じり

黒い吐息が森へと辿り着く。

m_003.jpg










もしかしたら


誰のものでもない月だから、
森の住人のフリをした黒い吐息が
森の奥深くへと紛れ込んでしまうのかもしれない。



だけれどもここの森は

まるでそこら中が結界であるかのように

強い磁気を帯びている。



故に
黒い吐息は無へと還るだけとなる。



無となり生きる屍となった黒い吐息は




もともと無力である

ただそれが現実化しただけのこと。


偽りの力は何れ無に還るもの。

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「現実逃避の基盤になっている遺伝子」~生き辛いことを改善するヒント



始めに書いておきます。


本来ならこの記事を精神の探求~Search for spiritの方へ書くべき内容だと考えています。


読んで解るようにと努めましたが、難しかったらごめんなさい。しかも長文です。




生きていることが大変だと感じる位置のみに固着(こちゃく:同じ所にとどまって、そのままの状態で定着すること)している人と、ありのままに受け止める位置を確保し、活用している人。

この違いは、心の距離や角度なんだと思う。
またこれをもっと正確に言ったら、気付きの違いということになるだろう。

或いは、個性。


現実を見るのがこわい。


誰だってそういう気持ちなんだと思う。

また医学的にも、基本はそれしかないと思う。
ただ現実を見るのがこわいという事実が存在していても、現実とうまく付き合っているかどうかというだけ。


たまに思考回路の接続が思うようにいかないままに生まれ、現実がこわくないことがある。

つまり現実を受け入れることができない人もいる。

或いは生まれた後にそうなることもある。


そういう医学的な領域を霊感で辿ると、正常と異常の境界などは混迷しているもので。

だけれども、それだとしても、現実では正常と異常が明らかになっているというだけのこと。

これは、たくさんの人を殺したのだから死刑になって当然。人権なんかあるものか、早く死んでしまえ。
と多くの国民が思ったとしても、現実は人権が在る。


自分的には、そういうのと似ている感覚だったりする。



実際、正常と異常の境界線は存在している。当たり前のこと。

それでも、当たり前の正しいことだけが正しいばかりじゃない時も当然存在します。




*****




こうした正しいとか間違っているとかの話しの関連で、自分が常に頭に在ることがあります。
ちなみに普段霊感で見えている事実です。


それは、ジャンルや形を求める遺伝子が人には強く残っていて、生きている間、終始表面化しようと試みている。

ちなみに前文で書いた「死刑になって当然…」という暴走した感情にあたります。そして表面化しようとしているものの正体とは、いわゆる主観のようなものです。

遺伝子が悪く作用すると
不安がとめどなく増幅した場合に、何かしらの異常が体内で起こり精神を病んでしまうこともあります。



…精神を病んでしまう人のために書いた遺伝子の話しではなく、誰にでも当てはまる話しです。



おそらくこの遺伝子は古代からの生活習慣で、本能に達するくらい強いものではないのかと思っています。
早い話が、ジャンルや形を求める遺伝子(原因)とは、強迫観念(結果)のベースになっているということです。



そして、この遺伝子は人によって遺伝する割合は大きく違います。



強迫観念とは常に何かに急き立てられた精神状態のようなもので、
そこには主となる強い(活性化した)遺伝子があります。

また強迫観念が出ている時とは
現実的に、こうするべきという気持ちに対し本当は拒否しているのですが、
受け入れないといけないと思い込んでしまいます。


いわゆる、結果的に、こうするべきとかいうアレ(思いや主観など…)に最後は辿り着きます。


ただ人によっては無意識のこともあります。仮に無意識だとしても、行動に現れるだけの話し。



更に深い話しをすると

この場合のこうすべきという気持ちは考えではなく、ただの気持ちです。
ただたんに主観とか思い込みとかであって、現実的な考えとは違います。
そして現実逃避に直結していることもあります。


さて、その状況で手っ取り早くいけそうなジャンルや形が目に入ったとしますよね。
酷い場合は後先を考えずに縋(すが)るようにして飛びつくでしょう。


遺伝子によりジャンルや形を求めるプログラムが、(脅迫的な)行動をさせているのだと…。




*****




更に今書いたことを仮に現実に例えるとしたら…

体だけの関係を維持しているカップルがいたとします。

本当は付き合いたいと言いたいのだけどいえない。

言わなくちゃいけないという気持ち(ジャンルや形)と、
言ったら嫌われるという気持ち(ジャンルや形)が交差する。



結局、言わなくちゃいけないのはなぜなのか
言えば嫌われると強制的に結果と結びつけ、ならどうすればいいのかと考えないのはなぜなのか。


こうした当たり前の考えが、余りにも感情的になると抜け落ちることがあります。



当たり前の考えが抜け落ちた状況こそ、(度合いの程度こそあれ)強迫観念に囚われた状態なのだと。



交差している状態では、付き合いたいという気持ちと、言ったら嫌われる。という、2種類の強迫観念が主になっています。

2種類が一緒になっているのではなく、ふたつ存在している状態です。


そして現実ではどうしようという混迷が実際起きていて、葛藤が酷ければ気持ちが苦しいと感じる。
また気持ちへ出ない場合は、苦しいと感じている分だけ身体に異変が起きます。



こういう状態は誰にだって在ります。

ただ医学的に、起こっている状態が病的なのか正常な範囲なのかというだけです。



遺伝子の話しはここまでです。


次は改善策の話しへと移ります。




*****




ところで、この状態って辛いですよね。

歳月をかけて考えました。
なぜ人は主観が表面化しすぎると現実逃避へと向かうのか。
そして現実逃避の根源は何者なのかと。



ちなみに…

強迫観念と書いていますが
解りやすい表現に変換しているだけです。

そして、強迫観念のことで言えるとしたら
強迫観念のもとの「ひとつに」なっているというだけのことです。
強迫観念の全ての要因ですという意味ではないです。

しかし実際私が理解していることとは異なります。あくまでも伝わるために書いた単語が、強迫観念ということになります。


霊感で見えている事実を現実的に言葉として表現するまでには、時間(または歳月)が掛かる場合もあります。


だとしても

強迫観念は、頭のパニックのもとです。

酷ければパニックが原因で人生が暗転してしまいますから。



結果(答え)から言うと


頭が良くなると違います。これが答えです。


また、この部分は前文で書いた、法的な意味で「人権がある」という現実を示します。



重複になるのですが、軽くまとめておきます。


「人権などないという気持ち/付き合いたい、言えないという気持ち」


○これは主観です。現実ではありません。

○現実的には法律が在ります。

○この主観が暴走した状態は、酷くすれば現実逃避に直結することもあります。

○現実逃避が増幅すると医学的に病気や症状が発生することも在ります。




「人権がある/なぜ言わなくてはいけないのかという考え」


○これが現実です。

○理不尽だとしても間違っていたとしても、それでも現実は存在します。






結局、ハンデの量に負けないだけの頭脳があればいいということです。
とはいっても現実を見る目のことなんですけどね。



現実とは、事実としてのありのままの状態のことです。



ついでなんで、現実と本当のことは違います。



ちなみに現実について議論する哲学的な発想や考えなど、そういうものではないです。
(よく見かけるのが、真実とはなにか…とかいう議論なんです。が、そういうのじゃないですよという意味で書きました)




*****




現実が少しずつでも見れるように努力することって、おそらく頭の善い人と同じ脳の領域を使うはずですよ。
まあ、使うはずですよといったのは霊感で見ている結果なので、そう書いているだけで。


結局、現実を受け入れるということは、本当のことを知ることへと繋がる過程のひとつです。
また、現実を無視した状態で本当のことを理解することは不可能です。



なぜ頭が良くなると違ってくるのか。

それは、結果的に思い込みとも言える主観になってしまう、遺伝子の影響がありますよね。
主観を止めることが出来るのは、主観が暴走した状況を「暴走していると」判断できる頭脳だけです。


それで頭が良くなれば違いますと書きました。


頭が良くなれば良いのですと書かなかったのは、遺伝の割合がどの程度かによって改善の度合いが大きく異なるからです。

また

別ポイントの劣勢の遺伝子が強かった場合で、頭が良くなることを阻害する遺伝子があったり、現実を受け入れる機能自体が阻害されていて、改善まで辿り着かないこともあり得るからです。


まあなんにせよ…
興味が在る人は地味に実践してみてください。

気長に、一生掛けて成長していくつもりで。


今書いた脳の領域は私の霊感の結果が間違っていなければ、年々成長していく脳の領域です。年をとっても頭は良くなっていくとかいうアレですね。



でもほんと、地味な作業ですよ。ただ諦めずにやっていくことができたなら、一年後くらいには成長の成果が明白に出てくるんじゃないかなと思います。



きっと、少しずつだけど自分なりに正しいと思える選択が出来るようになってくと思いますよ。

今の自分が選んだ選択を信じることは、自分を信じることにも繋がっています。
それは人を信じることにも直結です。



自分を自分が信じることができるということは、当たり前じゃないからこそ素晴らしいことです。



明日からの風景が変わるほどの意気込みじゃなく
おかずが一品増えた程度の気持ちで進むことが、長続きの秘訣だと思います。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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