白月光
白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

乱れた呼吸に入り込む悪の声

一緒にいたい。
傍にいたい。

そういう気持ちって自然に泉みたいに湧き出てくるもの。

どうしようもないくらい、その人と一緒にいたくて
1分1秒その人との時を共有したくて
だから、どきどきしたり、わくわくしたり、そんな気持ちのまま相手を見つめて。

でも

その共有している時間は

お互いの心にどう映っているのだろう…。


あなたの心に映る私はどんな風で

だから、私の心に映るあなたとの違いは…

どんなものなのかなって……。


息の乱れも

快速なテンションも

そういう呼吸の全てが

少しでもずれてしまうと不安になったりして。


なんていうか…、こう、

今まで認識していた、私の中のあなたの全てが消えてしまうみたいな
そんな不安感が波のように次々と押し寄せてきたりする。


だから
たくさんのあなたを知ろうとする。
少しでも多くのあなたを知ることで呼吸を合わせることに真剣になったりする。


それは…
何時までもあなたの傍に居たいと心に誓う、その気持ちからの行動。


ただ

そういう誓いは
太陽の下で誓いをたてているかのように
堂々としてて。

だから誰にも恥じることが無いもののように思える。


けどね
何かの拍子に
人は太陽から、夜の闇に入り込み
あなたの心を繋ぎとめていたいのだと、悪の声に心が揺れることが在る。

きっと、あなたが聴いたら私の元から去っていくような、内容。

好きだから、何をしても善いなんてことはないし
好きだから許せることばかりでもない。


結局

最終的に思うのは…

仮にね
悪としての行動をしたとしても
善としての行動だったとしても
太陽のもとで堂々と行動するべきだと思う。


でも…
もとを正せば、ただの焦りから。或いは、ただ単に自信の無さから。

つまり
自分で自分の首を絞めてしまう行為が最善の手段だなんて思えないよね。

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休むことと裏切りは違う

人の思考はどうして堂々巡りなのだろうか。
こうしたくないのに、また同じことを同じように考え行動してしまう。

そして、それらを仮に失敗として捉えるのであれば
何時も傷む心の場所へ同じような刺激が繰り返されている。
これって、肉体的に繰り返されていれば、きっと病気になるだろう。
でも、心は臓器では無い。

だから心を病んでしまうという方向へ結果的には辿り着くのだと思う。


ここ最近、色んなことを考えなくちゃいけなくて
でも、そのことについて、やっぱりまとまらない。しかも飽和してる。


まあ、まとまらないのだけど、それでも、踏ん張っているところです。


文の始めに書いた思考だけど
単純に、思考が変換されてしまえばそれはそれに越したことなんか無い。
現実の何かを用いての思考変換には限界というのがあって、その限界の先に存在する延々と続く努力による、思考変換。

これって、無闇に感覚や気分では絶対に換わらないもの。

だって、気付かないとだめだから。

気付くためには、並々ならぬ日々の思考との向き合いが必要。

でもね、そんなことを続けることに疲れてしまうことも在る。


たとえば
今日はいいや。

今だけ。

今回限り。

なんて、自分に言い訳をしてみたりして、正当化しちゃったりする。


けどさ、それって……
ゼロに戻すってことだよね。

たった一回かもしれないけど
もしかしたら、それだけをズルしたらあとはズルしないかもだけど

それだとしても

その一度だけっていうのは、自分への裏切り。
あんなにがんばった自分。その自分を裏切るということでも在ると思うの。


迷って、考えて、更に深く迷って

そんなことの繰り返しの時に

挫けそうになる自分へ云う、言葉。

ゼロになってもいいの?って……。


努力とは中断してしまうことも在るけれど
それでもね、踏みにじったら努力がゼロになってしまうもの。そういうもの。

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晴れでも雨でもなくて

泥のように混濁した、気持ち。

そういう気持ちの時って何もかもが曖昧で
白とか黒の気持ちも無くて

ただ、ただ、曇り空が頭上一面に広がり

泥水が流れていくみたいに

自分自身の意思が垂れ流れていく。


だから

やる気とか

自信とか

そういうのも、何処か違和感を感じ

自分のことなのに
とても鈍くて…

麻酔のかかった体の何処かを
刃物でえぐられているのに

それでも

他人事だったりして。


なんか

そういうのって

走りすぎたあとに起こる感情なのかな、なんて思う。


本気で走って
本気で疲れて

それだから
毎日の時を刻むその瞬間に
自分を溶け込ませ

そして
居るのに
居ない。

そんな状態をあえてつくって

これ以上の気持ちの高ぶりとか
今以上に考えないようにとか

なんていうか

そんな風に

自分の体が自分を庇ってくれて守ってくれているんじゃないのって思う。


だからね

曖昧な時や

どうしようもなくやる気の無い時

そういう瞬間瞬間があっても

少しくらいゆっくりしても善いんじゃないのって。


こういう時に無理してがんばることも無くて

地味に好きなことしてみたら善いよって

そんな風に思うんです。

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山下工美さんの作品


http://www.youtube.com/watch?v=dgkLIsCpuvE

どうでしたか、山下工美さんのシャドーアート。


こんな世界の住人でいれたらいいなと、密かに思っています。


きっとその世界には、不動の精神があるんだと思うんです。

そして

しなやかな、獣。


そんな静と動の混在した精神の世界。


そこは、呪術や占いの極みと共に存在している世界でも在るのだと思うのです。


だからこそ

何時か必ず……

そこの世界の住人たちと一緒に
視野を共にしたいと思います。


ところで

ここ数日、ずっとブログをあげていなくてごめんなさい。
ちょっと考えなくちゃいけないこととやらなくてはいけないことが重なってしまいました。

それと、ブログは毎日チェックはしています。

ただ、時間が余りにも無さ過ぎるという……。はい。

それからブログの拍手からコメントを入れてくれた方、ありがとうございます。
コメントを拝見させてもらい、逆に私の方こそ勇気を貰いました。心からの言葉、本当にありがとう。

これからもがんばります。

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魂たちの結晶

昔から私のことをよくよく知っている人間に

「人を信じているから、友達が少ないんだ」

と、言われた。


その言葉に答えなど無くて
無言の空気のやり取りだけがあった。


そこまで私のことを見ていてくれたんだ。
知ろうとしてくれて、知ってくれたんだ。

そんな気持ちが空中を飛び

代わりに、知っていたよという
あったかい気持ちが返されてきた。


人と人とが、それぞれに繋がった形が現実的にどう存在していたとしても


言葉無き会話というのは存在してて。


私の場合、その存在とは、霊感と霊感の交信でもあって。



ただ、それだとしても、



霊感という意味のだけのことじゃないから…



なんていうか

魂と魂の会話のように感じたりもする。



けどね
魂同士の会話って

誰とでもできなくて


時として

夫婦だったり
親子だったり
兄弟だったり。

また
身内だったりして。

そういう切れない何かがあって、
庭の外、或いは敷地の外みたいな位置に、
友達とか大切な人が居たりする。

だから
大切な人間が誰なのか
そういうのを自分の中できちんとしていないと
本当に大切な人を裏切る結果を招くし。

それに
何かや誰かを傷つけないと前に進めないこととかがある。


また

リスクは生きている限りついてまわるもので。

そのリスクが巨大な状態で、
大切な誰かを本気で守らなきゃいけない時が、生きていればある。



それだとしても



リスクのきつさよりも


大切な誰かが辛いことのほうが耐えられないから


喜んでリスクを呑むわけで。


そういうリスクは、少しも苦しいとか思わない。


結局、リスクを不満も無く当然のように超えて
何か思うところの結果を出せた時の、達成。

そういう空間には、本気で生きる意味も価値も在ると思っています。

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素直な気持ちで綴る言葉

誰かに対する愛はさまざまな形があって
いろんな愛しかたが在る。

その中で、とても大切な人の存在は
きっと、それほどたくさんなんていない。

そういうのって
多い少ないの問題じゃなく
どれだけその人たちを大切に思っているのかということなんだと思う。


言葉にできないくらい深い思いを持てる、存在。
それは、物凄く大きな割合を心の中で占めるもの。

そして、大切な人間の割合が、出会いによって変わったとしても
大切だと思う、その価値は何ひとつ変わらないもの。


暖かい気持ちに触れると
暖かい気持ちを返したくなるし
たとえ無意識だとしても、その人を裏切りたくないと考えたりもする。

そう思われる人で結果的にあり続けたいと、思う。
…思うというよりは、誓いにより近い感情で
また、誓いを立てるその気持ちは、
祈りのように純真な気持ちで自分を見たりしてしまうもの。

何時までも

何時までも

大切にしたい人。

そういう人間が自分の傍にいてくれていることに
何よりも感謝しています。

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人を信じる気持ち

信じること――。


それは、その人が起こした行動からではなく


その人自身を信じられるかどうかで決まる。



だから
どう考えたとしても不可解な行動をしていたとしても
その人をどこまで信じられるのか。

そういった出来事と共に明確になる
自分の本心も在る。

また、

浅はかな自分が
愚かな判断をすることも在る。


自分を信じること。
その思いは何時か本当に信じたい人と出会えば、必ず伝わるものだと思っている。


この数日での言葉の出会いと、心との出会い。
その両方に感謝している。

一番大切なものを失う時は
我が心の不信がそうさせていることが多いんじゃないのだろうか。


何処までも人を信じること
それは付き合いの深さと関連などしていない。


人を信じなくて傷つくことよりも
人を信じて傷ついたほうがずっといいよと
更に深い意味で理解した。そんな時間を過ごしました。


深い愛と信頼は心に勇気を与えるもの。
また、時として悪から善なる道へと導くものだとそう思います。

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泣かないと決めた日…いよいよ

反撃開始って、なによ。(あ、TVの話です)


そんなさ、番組が終わる直前にそんなのをのせちゃうのはずるいよね。

だって
気になるもん。ねぇ。


……美樹ちゃんを応援してます。うん。


あ、というか
うちのだんなさんは未だにタイトルを覚えられずにいます。
(過去記事を知らない人はコチラ)

今回、威張りくさって言ってきたタイトルが



負けないもん



でした。

“あたし”が先頭から抜けただけですね(笑


それにしても、続きが観たい

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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