白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

拘りしがみつく意識

何かひとつのことに対し、拘りを持つのはとても良いことだと思う。

そういった拘りは、自分の中の決め事やケジメにもなることもある。

だからといって、その拘りが拘りではなく。たとえばしがみつくような意識になったとする。
すると、たちまち拘りが執着になってしまったりもするもの。


仮に自分の中で、何かに執着していたとする。

その感情は自分にとって、とても良くない不の作用があるものだとする。
それだとしても頭(考え)と感情(気持ち)は相反することがよくあって、
だから結局、気持ちが何時の間にか執着している物事へと意識が向いたりもする。

この不の感情は車輪のように良く回り、しかも、終わりというゴールなどないかのように回転したりもする。


でもね


なんとなく思ったのは…


執着がいけないんじゃなくて


執着することに執着する意識がいけないのかもしれないと。
そんな風に思いましたよ。


本当は、心の何処かで

もういいよ。たくさんだ。なんて、何がたくさんなんだか分かんないけど、それでも、もうたくさんとか思っていたりする。

だったら

その感情に、自分自身の心の焦点を当ててみたら変わるかもしれない。
たとえばね、こんなのに拘っても仕方ないよねって。どうでもいいやって。

もしくは
行動していないから執着するのだとしたら、やってみたら変わるかもしれない。
案外、動かないでいる自分が原因だったりすることもあるし。


つまり

こんなこともうたくさん。という意識は自分が作り出す拘り、または執着でしかないのだと…。

だからこそ
更なる上空から起きている物事を眺めてみないと、本当のことは分からないと思う。


要は

現実は

実際は

そこまで縛られていないことのほうが多かったりもする。


まあ、だとしても

結局は自分がどう感じて、どう動くか。
ただそれだけなんだと思います。

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脳内麻薬と霊感の組み合わせ……

霊感とは

麻薬中毒者が見る幻覚のように

存在しないものを見て、霊だと言い。

しかも脳内麻薬が常時垂れ流れている状態でもある。


更に


理性と責任能力が欠如した、大ばかな人間。


ちょっと調べものをしていたら
ネットでこんな記事を多数見つけ………


ああ、そうなんですか。

まあ、そんなものでしょうと思いましたよ。


数年に1度くらいの割合で


「私は霊など信じないが、あんた(ハルカが霊感があるというなら)、コレをどうにかしてくれ」


という

挑発以外の何者でもない依頼をされることがあります。

そういう時は

ふつうにムカつきます。


でも


結果を出せば満足するのねとばかりに

実行します。


当然、結果を出せばしおらしくなります。


まあ、そういう人も含め、霊の存在等を信じない人は
実際に霊現象に会わない限り、理解どころか把握しようともしないでしょうね。

けどね
そんなものだと思う。

たとえば
私に霊感が無かったとしたら

霊能者なんて人をたぶらかして騙す人だとしか思わないかも。

当たり前だよ。

だって
自分に無いものは、分からないもの。こわいでしょ。
結局は恐怖が身構える方向に傾き、相手に牙を剥くものなんじゃないのと思う。



だとしても


なんだとしても


そんな一部の非難の中でお仕事をしている、私。


ハッキリいって、嘘だと言われないようにがんばったことなど(あほらしくて)ないけど。
人に見えた意味が通じるように、これからも現実的な努力も続けていくつもりですよ。

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愛の欠損という名のトラウマ

幼き時期に脳にダメージを負ったら当然トラウマになる。

小さい子は高速で脳が回転しているから
トラウマとの接触は、車を運転した幼児がスピードを上げた末に起こす交通事故のようなものかもしれない。

…もしかしたら

体のどこかが思うように利かないとか

機能しなくなってしまうとか

そういうのと似てて。


きっと

交通事故みたいに
愛情の欠損は
心の機能をどうにかしてしまうのかもしれないのだと思う。

剥離(はくり)した心は自分を忘却し、
自分の価値を
生きている意味を
大なり小なり奪うものなのかもしれない。

意味を失くした人は
闇の中から次々と溢れ出てくる自分の影と戦い続ける。

そのためには

執着とか

依存とか

粘着とか

そんなことを繰り返しつつ
影と直接の対峙を避けながら

いいや、そうして誤魔化しながら

自分の影を間接的に暗殺しつづける。


だけれども

そういった環境の人が全てそうなるものでもなく

ならない人も当然いて。


ただね

思うのは

トラウマとは

時代が吐き出した人間でも在るのだと

なんか、そんな風に思いました。

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愛という生き物

聞こえてくる言霊は縋りつくように愛に飢えた獣のよう。

愛は奪うことで

愛を分け与える心の余裕ができるもの。

だけれども
縋りつく言霊から零れる紅い涙は

あまりにも痛々しく。

だから
それを受け取る私の魂の芯までが激しく震動する。

いつも

最後は

飢えを貪られただけで骨と皮だけに成り果てる。


愛は

与えるだけでも

貪るだけでも

どちらか片方だけだと満たされることは無くて。


そういう場合
何時しか歩くことさえも困難になってくるもの。


結局

愛という最終地点に在るものは

自分の欲求を満たすことになるものなんじゃないのかと
そんな風に感じたりもする。

だとしても

もしも

それが本当のことで在るならば

受け入れなくては…

生きてはいけないかもしれない。


ただ

ただ

愛を吸い上げられたことに悲観するのではなくて

満たして欲しいという行為も自分には足りなかったりするのかもしれない。


だから

悲しいという心と繋がっている、その発信源がさびしさだとしたら

もう少し自分が素直になれればそれでいいのかもしれないと。

なにもふつうに甘えればいいだけだよと。

そんなことを思ったりもしました。

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潜在意識という自分たち

科学技術にはとうてい映し出されることはないはずの魂という存在が在る。

それは人間の体に寄生し

良くも

悪くも

死を迎い入れるまで休むことなく続く出来事だったりする。


人の体内には
無意識という潜在意識があり、
その潜在意識について学者や偉い人たちは日々研究をしている。

辿り着こうとしている目的地は人の心理なのか病気に貢献するものなのか
また、名声のためなのか、それはわからないけれど。

目的地が何だったとしても

そうした潜在意識の研究はリアルタイムで続いているのだろうと思う。


さて、人の体には生まれつき寄生している魂が在ると書いたけれど。
生まれつき寄生しているのは魂だけではないのです。
生まれつき寄生している霊もいます。

…生まれつき寄生している、霊。

これが

ユングでいうシャドーであり。

世の中の偉い人たちが研究を重ねている潜在意識なのです。

また、そうした肉眼では見えない者たちを扱うのも私の仕事です。


先日、仲良しさんからちょっとした相談がありました。
まあ、最終的には施術をしてほしいという内容でお話は終わりを迎えました。が…。

いろいろ、その人と話をしつつ、ホームページのことが一瞬よぎりました。

ああ、私のホームページで説明されている内容は余りにも昔のことだなって…。

今となっては当然技術もそうなんですが、(自分自身が)理解している内容が破壊的に違いすぎるんですよね。
たとえば、縁結びにしてもそうだし、あらゆる施術もそうです。あ、除霊も。つまり全てですね。

なんというか

ホームページを読み返すと

ハッキリいって

こんな人、知らない。と、言いたくなります。ほんとに。

だったら……。アップしなおせば?と思うでしょ。


でもね。

その前に
リニューアルをしようと思っているんで。

だから
今書き直してしまうことで

全てを書き換えなくてはならなくなるんですよね。

なんか
リニューアル前に、そういうのを事詳しく公開してしまうのも残念だし…。



ああ、言い訳ですね。はい。


というか、ホームページ関連に詳しい人がいたら講師をお願いしたいくらいです。本気です。
だって、やろうと思っていることがきっと無謀なんですよ。
その無謀さは、なんとなく予測がついているんですが
だとしても、諦めるつもりはないんで。

なので

教えてくれる耆徳な方がいたら
こっそり連絡してください。お願いします。


ところで
肉体の施術ですが。アレは、最終的に自分を出すということになります。
つまり、本当の自分です。

当然、善いところも、悪いところもでます。

なぜなら
分厚い卵の殻が抑圧だとしたら
その殻を割り、正常な機能にするのが私の仕事です。

だから
生まれてくる本当の自分がどんなヤツかによって
善いところも、悪いところもでてくるのは当然ですよね。

そして、それが手術だとしたら。

依頼者にはリハビリをお願いします。

なんせ
殻から生まれたての“本当の自分の筋力は”ゼロか、ゼロに限りなく近いかですからね。

筋力――、
要は心の筋肉です。


まあ、物凄く簡単に言うとそんなことをやっています。


潜在意識とは、生まれつきの霊。
だからこそ、意思のバラつきが在るのは当然です。
それを統括させているのが魂です。
それ故、自分の中の自分たちに翻弄(ほんろう)されてしまうのは仕方のないこと。

魂は、“精神という、脊髄のようなものに”依存していて
そのため、精神力という筋力を上げることで魂の中心をゆくゆくは稼働することは可能です(が、例外ももちろん存在します)。
ただ、人為的に行なった場合と比較したら、速度や密度に差が出ます。

だとしても

自分の中の自分たちに翻弄(ほんろう)されないために。
自分が生きた証を自分の中に残すために。
まずはひとつずつ取り組んでいくのも良いかもしれませんね。

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王である私

***********************************
 

人はひとつの世界である

その世界に蠢く者どもは

彼らを治める王である「私」に抗う
 

***********************************

これは、グンナル・エーケレフの言葉です。


書き続けているノートがあるのですが、先日、過去に書いたことを復習していたんですよ。
そして、とある部分で、過去に理解したことの起点がずれているのに気が付き、関連書籍を開いて疑問点を調べてみたんです。

で、たまたま開いた本に今の言葉が書かれていました。

この言葉は一瞬で納得してしまうほどの説得力があり、また、私はその部分がとても好きで自分なりに解説してみたりしていました。


つまり、この言葉は何が言いたいのかというと…

私の中に存在している複数の自分たちが居る。

でも、その自分たちは各々が好きなことを言い、好き勝手な行動を取ろうとする。

更にいうのであれば
それらの自分たちはまるで蠢く虫のようにそれぞれの欲が強くエゴイストでもある。


だとしても

この体も

この心も

自分という私が支配している。


なのに
自分たちは私という王に逆らうのだ。


ということなのかもしれないと私は思っているのだけど

でもね、グンナル・エーケレフがいった言葉へ

少しだけ補足するとしたら…

支配しきれないのは
自分自身の精神力という筋力が衰えているからであって

もう少し筋力を地味につけていくことで
統括していくことは、決して不可能ではないのだ、
と――。

そんな風に思っています。


たまに、心理や精神の本を読んでいると
人が考える限界の領域を感じることがあって。

要は、

これは、こうである。

そんな断言された物言いが、そういった類の本に書かれていたりすると
なんとなく未来の発展に対し心細い気持ちになったりもします。

この世には、

人知れず心を傷め精神を食いつぶされてしまった人。

或いは
食いつぶされている途中過程の人。

そういう人たちがいくらでもいる。

だからこそ

日本は他国を見習い
学問としての精神(学)や心理(学)のレベルを(関連者たちは)上げるべきなんじゃないのかなと思っています。が、

そういった実現は、お国柄を考えると途方も無く難しいのでしょうね。

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遠い土地からのメッセージ

この世の海は無限の命を吸い込み、無限の命を吐き出す。

無限の命を宿し続けてきた魂たちは
新たな命の中で姿を変え生き抜いていく。

複雑に張り巡らされた大自然の掟は
海という、死と生の運命の車輪を回し続け
この地球とともに生きてきた。

天は

太陽という光を与え

嵐という猛りを与え

そして

生かされ

生き抜いてきたのが海だったりする。


先日から
とある人物の気配がありました。

自分自身を浄化するために
地元から遠く離れた土地で
去年の暮れから今現在まで瞑想という空間にいるようです。

指導者らしき人間もいて、学んでいるようです。

だけれども

その瞑想の会は

本人の中で、失敗という言語が浮かび上がってきているようです。


確かに、失敗でしょう。

なぜなら、その人物が人としての心を浄化したところで何も変わらないのですから。

そして
やらなくてはいけないことは

他にあるのです。


結局、この世に蔓延る

多くの浄化とは

人間の自分。
それをきれいにしていくことしかできないのです。


言い換えれば
それが頂点となり極めていくだけの技術が限界だろうと思っています。


なぜ、こんなことを書いたのかというと
その人物から時折送られてきているメッセージ。
そのメッセージを受け取り、また、絶望に近い言霊が聴こえました。

だから

ここに書くことで

きっと

見るだろうと予測し

書き残しておこうと思いました。


まずは

超越的な力を吸引することではなく
人として当たり前のことをこなしていくことが先決なんじゃないのかと思います。

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人の器

言い訳。

その顛末は嘘でしかない。

そういうつもりも、こういうつもりもなく。
事柄の全体を捉えた時に嘘となる。


世の中には、魂が黒く生まれたからこそ白へ近づく努力をする者もいる。
また、黒いままこの世の終わりを受け入れる者もいる。

そして、白く生まれ白であり続けるがための努力を怠らない者もいる。
また、白で生まれたのにも関わらず、黒と成り果てる者もいる。

更にいうのであれば

悪と生まれ善の努力をする者。
善と生まれ悪と成り果てる者。

こんな風な魂の捉え方や考え方も在る。


黒い魂が白くなるための努力。

それは並大抵のものではない。

そう思うのが、この世の常なのだと思う。


しかし、それは違うと思う。


黒と白、悪、善。何だったとしてもそれらは、生まれ持っての魂の器というもの。

だから
黒だけ。白だけなど、特定の単体は存在していないし。

ましてや
その人の中で、たまたま目立つものが

黒だったり

白だったり

善だったり

としているだけのこと。


目だっていない部分を磨き続けることは
自分を変えるという意味があり。

白を磨き続け、更なる白を開拓していくことを
地道な努力というのではないのかなと思う。

結局、器という起点に対し

人生の色を決めるのは今の繰り返しでしかなく。

どういう器の人間にも
平等に苦悩は分け与えられているもの。

仮に、あの人は苦労知らず。という人もいるかもしれないが
それは、日々の誰かに対する行ないや言動。或いは、誰も見ていない時の自分自身の生き方など。
そういった、僅かな部分の違いが運命を振り分けているだけのこと。
つまり、楽に見える裏には、積み重ねという努力の賜物が存在しているというだけのこと。


また

たとえ、とても大きな器を持って生まれてきたとしても

精神の筋力を養わなければ、自分の腕で器を使うこともできないもの。

そういうものが器だと思っています。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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