白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

天地と共鳴する魂

もともと人は天地一体。

天地は

人の母であり

父であり

師であり

母体でもある。

全ての物事は自然の理により
川が流れるように
川が氾濫するように
鬼となり神となり時を刻むもの。

また

肉体に寄生している魂は
天地から“見えない力の震動”を受け
震え揺れる。

その震動のひとつに

因果応報がある。

善きことをすれば神の報いを
あくどいことをすれば相応の報復にあうもの。

しかし

魂は

生れ落ちることで穢れを知り

穢れは
天地との共鳴を遮るものとなる。

故に

魂の中心部から

魂を突き上げ
稼動させることは

自分の脚で考え歩くことと相通ずるものとなり。

それ故
魂が楽に呼吸ができるようになるまで
人は年月を要するもの。

だからこそ
この世の癒しとは

魂が望む魂の秘薬なり。

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霊媒体質という名称

※ 今回はnatumeさんの質問より抜粋した霊媒体質をテーマにして記事を書きました。

霊媒体質――
それは霊が取り憑きやすい体質だということを表す「言葉(表現方法のひとつの手段)」です。
近年の私はその霊媒体質について、巷の常識と自分の経験を比較し、更に深く考えるようになりました。

ひとつの原因があって、その原因が霊を招き寄せ、そして結果的には霊現象を引き起こしている。という状態。“その原因がどういう理由だったにせよ”「霊媒体質」という「言葉」で言い表されます。

つまり、もともと取り憑いているのが原因だとしても
いつもそばに居る誰かが原因だとしても
身内が原因だとしても
或いは、人間以外の事柄(たとえば土地建物など)だとしても。

そういう、

何が原因か?!

という原因と途中経過を無視し、

霊が取り憑くという

その「最終結果」だけへスポットを当て、
霊媒体質という言葉で締めくくっている(それが巷の常識になっている)のだということです。

(ただの言葉だからこそ、霊媒体質という曖昧な姿無き実体に翻弄される必要は無いのです。しかも、それは体質などではありません。取り憑きやすい状況におかれた現状が在るということでしかないのです。こういった知識を頭の片隅に置いておくといいかもしれません)

なので、natumeさん。その身内の方が何が原因でそうなっているかは分かりませんが
何にしても人間の精神が霊に関与しているということは、心の芯。要は精神力の中心部へ向かい、その人の精神を霊が食いつぶしていきます。その人間と霊が共鳴した事実をnatumeさんは鬼と見たのではないでしょうか。
(基本的に、霊の力の終点は人間の精神力を占領するという方向で力が働くものです)

また、その霊に関与した人がもともとどの程度の精神力があったのかにより、霊現象の進行は異なります。

心の芯=精神力

更にイコールで

人の信念となります。

結局は、自分という人間をどれだけ観察し、どれだけ真剣に物事に取り組んでいるか。

ああ、つまり、哲学を超えた宇宙論とでもいいますか…。

無意識であれ、本来、人が天地一体であるという真髄のラインの何れかに位置している者(簡単に言えば人として尊敬できるような精神を持ち生きているような人のことです)は、

「(例外を除き)霊に信念までは取られない」のです。

だけれども、信念が無い場合は当然、霊に翻弄され感化されます。
そうなれば霊の質により鬼にでも蛇にでもなってしまうでしょうね。

…それと、その他に霊と人間の関わりで起点として考えなくてはいけない不動の原理があります。それは、もともとの「??」。

まあ……、なんにせよ、natumeさんが気にしていた霊媒体質とは体質がどうこうというよりも、
原因がどうなっているのかにより対処法も異なっています。
ましてや、natumeさんのテーマにあった鬼(人格的なこと)でいえば、もともと人間本人が持っている「(割合はどうあれ)悪い性格」と
「霊の悪い部分」が同調し、その結果、鬼のような気性を招いているものだといえますね。

細かいことは見ているわけじゃないのでわからないですが、原理としたらそんなふうになっているのです。 

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物事の中心とか基点とか全体像とか

物事にはさまざまな捉え方というのが在る。

私には私なりの

あなたにはあなたなりの

誰かには誰かなりの

それぞれの意識により認識する事柄とは異なっているものなのだと思う。


しかし
それらの物事には
必ず物事の中心というのがあるのだと私は思っている。

物事の中心を基点にし
こっちに考えればこうなるし
あっちにすればこうなる
というような展開があるのだろうとそんな風に思っている。

この物事の中心は
日常生活の中で終始繰り返される人間の哲学なのかもしれないとも思う。
如何様にでも物事をこと細かく捉えることなど、考えようによってはできるわけで。

まあ、この物事の中心だけど。
以前は
物事の中心があって、その上でその物事の中心を「起点」にし、物事がさまざまに展開されていく。と思っていたけど
そうじゃなくて
起点じゃなく「基点」なんじゃないのかなと思うようになった。

なんていうの
物事の中心がこの世の唯一無二の本当だとしたら
それを基点にしてたくさんの考えが導き出せるでしょ。
そう考えると、やっぱり起点と考えるのは変で…
だから基点だよねとそう思うんだよね。


それからね、思ったのだけど…
というか私の中だけの発見とも言うべきかな。

「物事の全体像が見えると同時に物事の中心が見える」

つまり、
なんというか

物の裏と表。
鍋の蓋と鍋。

そんなイメージとでもいうか…

全体が理解できれば
自動的に物事の中心も理解しているものなんだと
(まあ、物事の中心を理解すれば自動的に全体像も理解しているというパターンもあり)
なんとなくですがそんなふうな発見がありました。

ああ、でもね。
まだまだ順序だてて表現できるほどの理解はしていないんですけど。

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千住真理子さんって凄い魂の人ですね




高島ちさ子さんとは違う魅力が在るという千住真理子さんを探してみましたよ。



なんて感想を言えばいいんですかね…

こう、時空をスリップして

魂が視てきた前世へ移動してしまう感じとでもいいましょうか。

知らないのに
知っている
そういう時の狭間に
魂が流れてしまうような

そして

今という時から僅かながら開放され
ひと時の安堵の時を与えてくれる。

凄い人ですね。
まるで魂同士の演奏会に溶け込んだみたいになりましたよ。

sekiaさん、ありがとうございます。

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バイオリニストの高島ちさ子さんとは

もしかして

この人かな…?!



http://www.youtube.com/watch?v=tFVU9pmY8pA

凄い音色をだす人だね。


何かと何かが交わり

そして
人と楽器をひとつにしてしまうような…。


そういう人もこの世にはいるんだね。


akiちゃん、素晴らしい人を教えてくれてありがとうね。

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独奏そして重奏

才能とは独奏という音色をどんなに奏でても
肉体に埋もた仮死状態でしかない。

この世の見えない法則では

重唱という共同作業でのみ
才能に対する最高の効力を発揮するもの。

それはどうしてなのか
今の私には明確に理解できないのだけれど
ただ、そうだとしてもハッキリと言えることは
感覚や思い込みといった曖昧なものではなく
紛れもなく論理的な順序だった法則に則り
そういった効力が発揮できるものなのだと
そんな風に思っています。


http://www.youtube.com/watch?v=iufvavUPwNI

独りで生きてはいけないというその意味を
安易に捉え
曖昧に把握してしまえばそれまでだけれど

そうじゃなくて

独りでは生きていけないというその意味の本当を
もう少し思案してみてもいいのかなと
なんとなくですが感じました。

まあ、そう思えたので忘れないうちにここへ書き留めておこうと…。
そんな気持ちで書いてみました。

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希望的観測と論理的な真髄

こうだったらいいな

そんな希望的観測で安易に物事が進んでいけるのなら
どんなに楽だろうね。

希望的観測とはいっても、
自分では論理的だと確信している場合も在る。

それって、危険。

人が時として犯してしまうミスだよね。

対象となる物事や人物をあなどると痛い目に合うもの。


けどさ…
最近はよくよく思うんだけど

結局は全体を読めない。

ここに焦点が当たるだけなんじゃないのと思う。

確かにおごり高ぶりは足元をすくわれるけど。
でもね、そうじゃなくて
すくわれるということ自体、見落としているということだよね。
精神や意識を集中するのにたいし、無駄なポイントに(精神や意識の)割合が偏ってしまっているということ。

つまり

本当のことが理解できる体制では無いということでしょ。

まあ、思考を整理し思案するには感情が邪魔。だとしても、そう簡単には消せないよね。と思うだろうけど…。
人間はもともと動物というか、遺伝子に組み込まれた本能が窮地に立たされた人間へ(遺伝子が自動的に)智を与えてくれるもの。
智には感情という物事は存在しない。

その域を飛び出た

なんというか…

聖域のような

そんな時空があって

その時空とは
遺伝子に依存した脳が
智という名のもとに稼動する状態。


これがまた人間の神秘なんだと感じている。


人の脳は使い方。
ひとつひとつが素晴らしい才能を持っていても
組み合わせという表現(コミュニケーション)をした時に
イメージをマイナスにしてしまうこともある。

組み合わせとは、点と点を結ぶ「線」のこと。
線を何処に引くかによって表現方法が異なり
果ては、人間性という評価となっていくもの。

だからこそ

本能という遺伝子に依存した智を引き出せるほどに思案し
希望的観測という安易な人生ではなく
論理的な真髄に的を当て生きていけたらとそんな風に思います。

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才能という美

世界には凄い人がいるね。

そして凄い人の中には素晴らしい作品を生み出す人もいる。
生みの苦しみとはよく言うけれど
どんな作品にも生み出すためには苦痛という苦悩が潜んでいるからこそ美しい。

それはまるで自然の法則に則った
四季のように素晴らしいもの。


http://www.youtube.com/watch?v=kSvDhJlFaec



http://www.youtube.com/watch?v=CAS7jrwT01U


↓最近、知りました「ストラディバリウス(バイオリン)」
名バイオリニストに弾かれて、そして初めて本来の輝ける音色をだせる楽器だそうです。

http://www.youtube.com/watch?v=dzKelLOwL5A

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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