霊媒体質――
それは霊が取り憑きやすい体質だということを表す「言葉(表現方法のひとつの手段)」です。
近年の私はその霊媒体質について、巷の常識と自分の経験を比較し、更に深く考えるようになりました。
ひとつの原因があって、その原因が霊を招き寄せ、そして結果的には霊現象を引き起こしている。という状態。“その原因がどういう理由だったにせよ”「霊媒体質」という「言葉」で言い表されます。
つまり、もともと取り憑いているのが原因だとしても
いつもそばに居る誰かが原因だとしても
身内が原因だとしても
或いは、人間以外の事柄(たとえば土地建物など)だとしても。
そういう、
何が原因か?!
という原因と途中経過を無視し、
霊が取り憑くという
その「最終結果」だけへスポットを当て、
霊媒体質という言葉で締めくくっている(それが巷の常識になっている)のだということです。
(ただの言葉だからこそ、霊媒体質という曖昧な姿無き実体に翻弄される必要は無いのです。
しかも、それは体質などではありません。取り憑きやすい状況におかれた現状が在るということでしかないのです。こういった知識を頭の片隅に置いておくといいかもしれません)
なので、 、
何にしても人間の精神が霊に関与しているということは、心の芯。要は精神力の中心部へ向かい、その人の精神を霊が食いつぶしていきます。その人間と霊が共鳴した事実を鬼と見たのではないでしょうか。
(基本的に、霊の力の終点は人間の精神力を占領するという方向で力が働くものです)
また、その霊に関与した人がもともとどの程度の精神力があったのかにより、霊現象の進行は異なります。
心の芯=精神力
更にイコールで
人の信念となります。
結局は、自分という人間をどれだけ観察し、どれだけ真剣に物事に取り組んでいるか。
ああ、つまり、哲学を超えた宇宙論とでもいいますか…。
無意識であれ、本来、人が天地一体であるという真髄のラインの何れかに位置している者(簡単に言えば人として尊敬できるような精神を持ち生きているような人のことです)は、
「(例外を除き)霊に信念までは取られない」のです。
だけれども、信念が無い場合は当然、霊に翻弄され感化されます。
そうなれば霊の質により鬼にでも蛇にでもなってしまうでしょうね。
…それと、その他に霊と人間の関わりで起点として考えなくてはいけない不動の原理があります。それは、もともとの「??」。
まあ……、なんにせよ、 「霊の悪い部分」が同調し、その結果、鬼のような気性を招いているものだといえますね。
細かいことは見ているわけじゃないのでわからないですが、原理としたらそんなふうになっているのです。
[0回]