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怒りのツボ――地雷
Aのことについて書いてあります。たぶん先に「怒りのツボ――地雷」を読んだ方が、この記事の内容がわかりやすいはずです。
Aは、疲れると時々イライラする。そこまでは仕方ないかもしれない。あくまでも「かも」しれないというだけだが。
で、その先にとある出来事が続く。
それは、自分よりも弱い立場の人間や、自分だけが有利で誰も口出しが出来ない状況。イライラしてストレスが溜まっている時に、そういう立場の人間に対し、支配的な権力を示してくる。
私は、そういう現場を多々みてきた。いつも思うことは、おまえは愚かだ。ということを事が起こるたび感じていた。本気でばかだと思うこともしばしばあった。
そんな中でしか、自分の権力というか、そういったものを振りかざすことでしか立場を認めてもらえない、A。
滑稽ともいえる。
Aと接触した時に、Aが、たまたまストレスが満タンだった場合、私は速攻の連打で風向きを一気に変えてしまう。だって、あとあとめんどくさいもん。そう、究極のめんどくさがりが生んだ知恵が成せる技。
技と言うからには、相当な訓練を積んでここまできている。その技は未だに磨き続けているから、まだまだ伸びていくことだろうと、密かな期待をしているけどね。
つまり、いかに簡単に、そして、完璧に、まためんどくさくなく、速攻で事をまとめる。それに全てを掛けてしまう瞬間が私には在るのだ。
でもね、そこでAが中和されて牙を無くしてしまうのは、本当の改善じゃない。
そんなことは充分にわかっている。
まあ、タイミングをみていうこともあるけど、蝿叩きよろしく(Aの)原型を留めないようなひとことを発する時もあるよ。
そりゃぁ仕方ないよね。その時点で、Aの辛さよりも、もっと辛い状況が成立しかけた場合、後者を優先にするだけだもの。
そんな時は、私を怒らせたAが悪いとしか思えない。まあ、事実でもある。
やっぱ、人って気付きが無いといけないよ。
他人に映る自分がどんな風なのか。そんなこと安易にしか捉えないのが多くの人の心理だと思う。
それだとしても、疑問を疑問のままに。今解りうることに集中すること。そういう姿勢は大切じゃないのと思う。
けど、それは、本気で生きて生きたい。そう、思う人へのみの言葉にしか過ぎないよ。
本気で生きている人間が、金太郎飴みたいに一本の通りに集結する精神の領域がある。
また、それら精神は感性という感覚によって支配される。
感性の感覚を研ぎ澄ますには、感度を上げることでしかない。
だとしても、金太郎飴の中に辿り着く人間は無限大にいるのかもしれないけど、偽りの本気には、偽りの…紛い物の金太郎飴に辿り着くだろうし(例えでいうなら偽善者とか)。本気には本物の金太郎飴だろうし。
なんにせよ、生きてて命があることは当たり前じゃないからね。
もっと自分を大切にしないとね。
Aのことにしても、自分を傷付けているからこそ周りを傷付けてしまう。
ストレスが溜まることで、本当は1番やりたくない周りを傷付けることをしてしまう。
単純に周りを傷付けるのはやめなさい。では、意味が無い。
だって、周りを傷付けても傷付けなくても、自分を傷付け続けているのには変わりが無いんだもの。
だからこそ、Aにはちっさく爆発してみたんだけどさ。
なんにしても、自分を傷付けていたら、何処かで必ず大切な相手を傷付けてしまうものだと、そう思います。
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