白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

愛欲と愛について思うこと

誰かを本当の意味で愛する事ができるのは
精神が大人になっていかないと
愛される事も愛する事もできないのかなと思う。


愛は熱いものだけれど、
それでも真ん中はとても暖かくて柔らかいものでしかないんじゃないかと思う。


飢えた獣のように

心を貪り

小細工をし

自己を美化して見せつけ

ナニをしたいのだろう。

そうして手に入れた幻の幸せを後生大事に扱えるのだろうか。

永遠の眠りにつくその時に永遠の虚しさと共にこの世を後にするというのだろうか。


愛と愛欲を混合し愛欲というただの欲の執着を、平然と愛と呼ぶ。
そのミスは逃避から始まっているように思う。

もともとの現実逃避が習慣化している人の、逃避癖が表面化されたその中のひとつの行為。逃避。



問題に対する解決ではなく、問題を回避して、結論を出すという事は、そもそも問題の解決ではないわけで。



良い意味で大人になる事。それは生きる上でとても重要なことだと思います。


関連記事

(大人になるという事と、逃避についての記事)
現代思考の波の最先端―破壊され続ける精神

(愛と愛欲について)
愛欲と愛

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愛欲と愛

「恋人(または旦那)には、私以外の女が居る。それは私に対しての裏切り」

勿論、伴侶のその行為は裏切りだと言える。

だがしかし裏切りだと思うその思いは欲でしかない。

愛はその位置には存在しないもの。

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屁理屈の正当化

この世が狂ったら自分が狂ってしまうことは必然なのか。

世の中が狂ったから、自分が狂ったのか。


ナニがどうであれ

自分が無いという事が全ての根源でしかないのではと思う。
そして全ては自分が選んでいる。

ナニかがあったとしても

その中でナニをしたいのかというのが現実。


その事実を履き違えれば
屁理屈を正当化させてしまうもの。

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現代思考の波の最先端―破壊され続ける精神

自分自身の思考が平坦で浅はか。だがしかし複雑な思考を持つ者をウザイと思う。
今の日本の主流になっている波の先端は、そんな感じに見える。
そのポイントを主として考えているわけではないのだけど、たまたま目にとまったポイント。

○ 誰かに相談する事
○ 自分からや相手からの思いやり

そうした事をするのはウザイとなる。

そしてその感覚を維持しているのは多くの人だけれども、特にある年代での割合が多い。

人の感覚として当たり前のこと、それらを全て否定し生きている多くの人々。
人間の遺伝子へ反逆した行為を繰り返していれば、遅かれ早かれ精神は崩壊への道のりを辿るもので。


医学的に立証されていないだけで、既に、新たな病名と成り得る病巣を持っているのではないのかと感じています。


また

○ この程度の事は気にもしていないとばかりにクールを装う。

○ 私が悪いんだよねと悟ったフリして、肝心な物事への取り組みや解決を避けて結論に到達する。

○ 私って最低だよねと自分の不運を冗談のネタにして、自虐的にする。

○ そして自己と他人を冷酷(または醜汚に塗れた思いで)比較する。

どれもこれもが逃避から分岐した結果でしょう。ただその結果がたまたまどれかの状態に落ち着いたというだけ、かと。


自分は関係ないのではなく、自分自身も世の中という位置に存在している。
だからこそ他人事ではないのだと改めて考えてしまいます。

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生活創庫-堀之内 九一郎


1d0df996.jpg
















才能というのは 何がなんでも やりたい ことにこそ あると思うんです。
だから 自分が何に 向いているかではなく 何がやりたいか で考えれば いいのです。
堀之内 九一郎


その通りだなと思いアップしてみました。

才能のあることを好きだとは限らないもの。
ゆえに好きな事だからこそ才能の意味が在るのかと思います。

 

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音無きこと色無きこと



人と人
人と自然
人と地球

宇宙の中の人

自分自身のテリトリーの中で
人は生きているけど

人はとても大きなものと終始繋がって生きている

自分をどんな風に見せたとしても
不動の真実は 存在してるもの

ナニを感じるも

ナニを見るも

その人の自由だけど

そこに微動だにしない現実が存在している

現実は受け入れるものではなくて
ただそこに在るだけの無音で無色の存在だと そう思う

現実に 音色や色彩をつけていくのが人の心というだけ



ゆえにありのままという言葉の その意味は

計り知れないほど精密なものなんじゃないかと感じています


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組み合わせと割合


人の心内に存在する、醜くく、汚く、酷いのも。

人が人で在り続けるための必須要素でしかないのではと思う。


それがなんだというのだろう。

手足が在るように
心もあった。

ただそれだけのこと。



悪いところばかりが目立つのではなくて

良いところの生かし方が分からない



ただそれだけのことに
人はもしかしたら囚われて生きているのかもしれない

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分かるようで分からなかったりするものってあると思う



醜いものばかりを背負わされているから心が醜くなるわけじゃない。



醜い心で見ているから、背負っている醜さを増しているだけなのかもしれないし



あるいは出来ない事の言い訳を何かしらしたいだけなのかもしれない。



背負っている事実と、その事実に対して込み上げる惨めさと、どう生きたいか。
それらは初めから別々のもので。初めから別々のもの同士が、こうなって当然だという、ひとつの結末にはならないはず。

背負っている事実があるならば、それは紛れもない現実であり、
その事実に対して込み上げる惨めさは、気持ちであるけれど現実ではない。
究極の場合このふたつをひとつのようにして考えるから、心が壊れたり壊れてしまいそうになるのだと思う。

現実を変えるのはナニカ?

現実を変えるのは現実の行動でしかないはず。

それには目的がないと進まない。だからこそ、どう生きたいか。
すなわちナニをしたいのかということになるのだと思うのです。


心を救うために行動した場合、実際は救えないもので。…この世の方程式でもあるので。
だからこそ、思いに焦点をあてるのではなく、現実的に何をしたいのかということになるのだと思う。


気持ちで現実の行動を決定する事と
気持ちがあるから、現実の行動を決定する事は同じではないはず。

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福島の母 占い軒龍卑(haruka)
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1969/11/01
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趣味:
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軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

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それから私はかなりの方向音痴です。
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