白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

残暑お見舞い

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まだまだ猛暑が続いています。

こう暑いと食欲もなくなってしまいますが

それでもちゃんと食べて、しっかりと睡眠をとっていきたいところです。



夏ばてなどされぬよう、どうぞご自愛ください。


軒龍卑




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なんとなく思うこと

人との繋がりの中に存在する、心と心のやり取りってどんな風に捉えているのだろうと思う事がある。

笑っているけど

なんでもない顔しているけど

怒っているけど



本当は違う思い。



それって誰もが辿る儀式のようなものだけど

でもね、本当は違う思い。その思いは見えないけど、風の震動のように感じるものだと思う。
感じた震動は何時の間にか(心と心の)関係性の、1番温度の高い部分へと侵入していく魔法の媚薬だったりする。

魔法というか…。まあ、実際は現実的な話でしかないのだけれど。

その媚薬は善くも悪くも未来の関係性を固定してしまうものだから
見えないからといって、分かるわけが無いからといって、
人を欺(あざむ)いてしまうと何れ誰よりも大切にしたい誰かを失うことになってしまうものでしかないわけで。

たとえ他の人にはしても、この人にだけはしないなんてことは絵空事でしかなく、
結局この人という大切な誰かにもやってしまっているはず。



最近、鑑定でも個人的にも出てくる(心と心の)関係性の話し。

また近いうちにもう少し違った角度から記事を書けたら良いなと思っています。



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生きることについて

人が生きる意味って何なんでしょうか。

きっと誰もが1度は考える疑問なのだろうと思う。


生きることとは苦悩だと偉い人の言葉であったかと思う。
けれど思う……
苦しい、辛い、という思いはある種、幻でも在るのだと。

人生において在るとしたら苦しいとか辛いということじゃなく、問題と言うソレだと。



失う何かに対し怯えるのが人の反応なのだろうけど
もともと無い何かを失うことはできないもので。

仮に失う何かが人の命だったとしても
それは自分のものではなかったのだから

だから結局、そういうのを失ったとは言わないものだと思う。


故に思う、初めから何もないという在りのままを受け入れない限り
幻の幸せと巨大な恐怖、そして苦悩が自分を支配してしまうのだと…。


哲学でも説教でもなくて
ただただ在りのままの現実を思いのままに書いただけでしかないのだけど

まだ見ぬ死臭が鼻の奥に届いたので、届く事を願い書きました……。



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死を受け入れる時まで存在する人の気持ち


孔子の言葉 で

これを知る者はこれを好む者に如(し)かず
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず

という論語が在ります。

これを知る者はこれを好きな者に敵わない
これを好きな者はこれを楽しむ者に敵わない

という意味になるのだと思いますが

楽しむということは気持ちです。
人は気持ちを失くして得た結果とは、とても空虚なんじゃないのかと思う。

いわゆる価値の無いものでしかないんじゃないのか、と。


価値の在る人生は人としての気持ちが何よりも大切だと思う。
1番大切な何かを失うことを恐れるのではなく
失う事を恐れる余り、失うことだけに目がいくその様を恐れなくてはいけないわけで。


どんなに醜い様をしていたとしても
どんなに無様だとしても
心だけは大切な本当を見ていないと、精神が枯れてしまうものなんじゃないのと思う。


それは立派なんかじゃなくて良いし
褒められる事じゃなくても良いのだと思う。

自分がこうしたいという、本当の事。

それさえ分かっていれば生きていけるもの。




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シャボン玉のような性(さが)について

変わったのではなく

もともと在るもの。

ソレが組み合わせを替え

現実へと顔を出す。


ソレを見て人は言う、変わったねと。


ソレの中に在る個々の割合を変え
組み合わせを替える。


たったそれだけのことなのだけど
使われる機会の少ない思考は
ソレの事も、ソレの中に在る個々の事も
それらの姿を捉えることはできないもので。


悲しいけれど姿が見えないということは
藻を掴み今在る世界も何よりも大切な願いも、藻へ全てを託している事と似ていたりもする。



この世には闇よりも濃い闇が在るのだと、ただただ感じています。



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許されざる者

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許されざる者


この世には
決して許されることの無い者が存在していたりする。


それは現実的にというよりも、霊的な意味で。


この現実に潜り込むようにして、霊界の魔が棲む。

取り囲むように

覆うようにして

許されざる者の行く先を包囲していく。


魔の闇の中へしか行けぬように、
魔に導かれるようにして破滅へと突き進むように、
道が定められる。


後戻りも

道の選択も

許されること無く

封鎖され

闇の中に在る破滅へと導かれて行く。


故に言えることは
結果的に自ら選んだ道でしかないのだと、そう思う。


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ヘンリー・デイヴィッド・ソロー


アメリカ合衆国の作家、思想家、詩人、博物学者であるヘンリー・デイヴィッド・ソロー の言葉

「すべての不幸は未来への踏み台にすぎない」


そういう風に考えられたら良いのにというよりも、その言葉自体が現実なんだと心から思う。

だけれども人は時として人生の視点を大幅に離脱してしまうもの。
生と死、その狭間に生きる心の死を持った人間も居るわけで。
その場合、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの言葉は正しいというだけの産物に過ぎないのではと思ってしまう。



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安息の地

人生、山あり谷あり。

その通りだと思う。



安息の地--。
それは心の中に在るもので 、人生の中に存在するものではないわけで。

心に安息の地が存在していれば
幸せの意味はマヒしないで伝わるものだと思うな。



※上記の安息はキリスト系の安息の地の意味ではないです。
※ アロマオイルには安息香(ベンゾイン)というものがあります。読んで字のごとく安息を得るのに効果があるらしいです。




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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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