今日はある事情により地位も名誉もある人物と、個人的にお話しする機会がありました。
子供の問題についてのお話しだったのですが…
まあ、女の子同士って陰でこそこそと悪口とか言うことって、割と多いじゃないですか。
面と向かって言えば良いのに、陰で言っているのがバレて、言いふらした人間を攻撃の的にする。
この場合の心理って、攻撃するまでの過去の段階で何かしらのうっぷんがあるわけで。
学生というか高校生あたりまでは、いわゆる家庭の機能不全が大きな影響を出しているかと思う。
その人物とのお話しはどうあれ、思った事をこの場でちょっと書いてみようかな、と。
まず(個人的に)女同士の嫌なところって、陰で悪口をいうところ。
あの子と仲良くなりたいという気持ちで仲良くする人も居るのだけど
それは少数派なんじゃないのかな。
たとえばあの子たちは嫌い。この子達も嫌い。そうやって似たようなのがたまたま集まるというか…。
これって自分の意思で思った事をやったわけではないのだから、流されているわけで。
つまり流されているということは、この仲間で、どうしたいとか何をしたいっていうのが在る意味ないということにも繋がる。結局、流されるままに仲間の悪口が発生する。
自分の意思が無いという事は、何が大事かという1番大切な暖かいものを忘れてしまっている事でも在る。
だからこそ平気で仲間の悪口が言えてしまう。
精神が病んでいれば尚更なんだけど、1番大切にしていることといったら、今起きていることだけに目が釘付けになるわけでしょう。
大切なのはそこじゃないんだって、本当の事を理解できづらい年齢かもしれない。
だからこそ、思う。
外部講師として自由な環境という何よりも重いハンデを持って人生を生き抜いたような、そういう人物のイベントのようなものが定期的に学校内であったら違うのに、と。
生きる意味とか
生きている実感とか
そういうのって息苦しい空間に入り込んでしまうと
そこだけが全ての世界になってしまって
なんていうか、鈍痛だけが肉体の中で広がっていくものなんじゃないのかな。
それゆえ視野を広げるというのはせめて高校生くらいまでに必要だと思う。
視野という広がりは、社会という荒波に出て唯一の糧となるわけだし。
なんかね、時間にして凄く短い間しかその人物とはお話しができなかったけど
凄く気持ちが伝わった感覚がありました。
地位や名誉に驕り高ぶりというアグラをかく人ばかりではなく、中には素敵な人間が居ます。
本当は私なんかが気軽にお話しできる立場の人じゃないし、年齢もずっと上の人なのですが
人として話しをしてくれるその人が、私は人としても男としても(恋愛という意味ではなく)大好きです。
そしていつまでも少年のような純真な気持ちを持ち続けたまま生きていって欲しいと、そう強く思いました。
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