波と波の合間をうまくすり抜けていく感覚。
その感覚をたとえたら何と似ているだろう…。
扉が丁度良い具合に開いているような、そんな感じかな。
それともバスケで敵のディフェンスをすり抜けながらの攻撃とか。
そういうのを風ともいうのかもしれない。
風はこの地球上の命の全てを知っているかのように
通り過ぎていくし
たくさんの悲しみも知っているかのように包んでもくれる。
こういう感覚は自分が求め願うからそういう風に見える。感じる。
けれど本当は風は風で在るがために
ただただ通り過ぎるだけ。
打ちのめされている時
冷たい風は心の温度を更に下げる。
だから更なる孤独を感じる。
人は自分の気持ちひとつで相手を如何様にでも見てしまうもの。
相手の性格も気持ちも、心の温度さえも
その時々の自分の気持ちという状態によって
相手の全てを否定してみたり受け入れてみたりする。
人は心が在るから
そう見える。
いいや、心というよりも感情が増幅しすぎてしまうと
何時の間にか心は加速してしまう。
しかし何時でも現実は目の前に在る。
だからこそ自分に自分で問いかける。
本当に相手は今思っているような人なの?と。
そして考える。
悪い心で見ているから悪く見えているんじゃないのかって。
だからといって相手の全ての善い所だけを見ていたら
それは相手を否定している事になる。
なぜなら相手の悪い所は受け入れないという否定的な態度でも在るから。
それだから
全部見てみるしかなくて。
一生掛けて見てみるしかなくて。
一生掛けて癒して上げるしかなくて。
だって、何10年という歳月を掛けたから分かるものでもないから。
今が辛いなら
辛くないと思えるくらい自分がでかくなったらいい。
表面の解決よりも根源の対応方法のほうが大事だし。
今よりも大きくなれるまでは
倒れないように歯を食いしばっているしかないでしょう。
自分が大きくなれてないから倒れたりするわけだから
倒れたら起き上がれば良い。
自分が諦めさえしなければ
ある程度までは結構いけるもの。
ただそこから先は未知数というだけのこと。
自分という人間が本気で生きたらどう生きてくれるのか
それは限界のその先に存在する魂の輝きでしかないと思う。
本気で生きる気持ちにだけ呼応する、たったひとつの自分の魂。
魂を先導できるのは自分だけ。
自分に負けないのではなく
自分の脳に騙されない事
それが生きる上でのコツのひとつかもしれないと思っています。
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