人にはそれぞれの定めというものがあって
だから
生まれてくる場所なんて選べない。
その場所がたとえ地獄絵図のような世界だったとしても
誰もが子供のうちは力が無く弱いから、地獄絵図の中に棲む力の在る大王の支配下の元に居るしかない。
大王は王だから、王からの命令は絶対的な力を持つし、
結局は嫌でもその中で生きていかなきゃいけない。
その王、或いは地獄から逃げるには
大人になって力を持つしかなくて。
ふと気が付けば
逃げる脚が無くなっていて
防御する腕が抜け落ちていたりもする。
それはきっと、心の中でどうにかなってしまった
心の脚と
心の手。
そして大王の支配から受けた焼印は
宗教みたいに洗脳された脳。
そんなだから脳は半分くらい使い物にならなくて。
だから、ふつふつと過去の思い出を今としてすり替えながら
地獄を恨み
大王を恨んでみる。
しかしそれは、余計に辛くなるだけだったりする。
その環境はどうしようもないし、
生きてきた過程も消せやしない。
脚が無くても
腕が抜け落ちていても
もう2度と生えてくることも無い。
全ては自分の始まりを否定することから始まり
否定に終わる。
それは疲れること。
とても力の入ること。
いつでもどこでも、見栄えなく敵を確認する。
信じていた人まで敵に見えてくることも在る。
「生きていること
生まれてきたこと
愛されてきたこと」
そういった当たり前の物事をも
それは違うと否定しつづけ
果ては自分も他人も傷つけてしまう。
そんなに疲れるなら
認めてみたら良い。
生きていること
生まれてきたこと
愛されてきたことを。
たとえそれらが醜く見えるものであっても
受け入れたくないほどの醜汚にまみれた穢れに見えたとしても
それでも愛の深さには人それぞれの違いや限界があるのだし
脳機能的にどうすることもできない遺伝などの事情があったりするのだから、どうにもなら無い本当の現実を受け入れてみたら良い。
疲れてまで自分自身と戦わなくていいと思う。
戦うために生まれたわけじゃないのだし。
誰かからの愛ではなくて、自分の中でのダレカカラノ愛を受け入れてあげたらいいのだと思うのです。
その先に天国があるとか、光が満ち溢れているからとか
そんなことは言わない。
また霊能者という立場を利用して、奇麗事を書きたいとも思わない。
もしも「今も繰り返す、自分の中のどうにもならなかった何かに」自分で気が付けたとしたら
仮に今在る位置が同じ地獄だとしても
その先の自分の人生を歩くための本当の脚が生えてくる。
それはまだまだ赤ん坊のような脚で。それだから思うようには動かないけれど、
成長という月日の流れとともに動いてくれる。
自分の人生を歩くための脚が生えるということは
ただただ、そういうことなんだと思っています。
[6回]