とある人間と、お互いの関係を清算するために話をしたのだけど…
話を進めていく中で
何処をどうやったら、そんな誤解が生じるのだろうと思ったことがありました。
まあ、テーマになった話はどうあれ…
誤解というソレは
「自然に振舞うという」行為についてなんです。
つまり、相手が私を誤解しているという意味ではなくて。
相手の中で「自然に……」という行為についての誤解が在るという意味なんですよね。
さて、その内容だけど、相手は、
「自分は自然に振舞い生きている」
と、断言していました。
意味的には自然な振る舞いが完成したものとして、そこに至るまでの話の流れから、そう私は受け取りました。
でもね、その言葉を聴いて直ぐに私が返した言葉は、
「自然に生きているって言うじたい、不自然だよ」
と、言葉を繋げたんです。
だって、自然に生きていくことを目指し、日々、努力をして生きているというなら分かるけど。
断言したんですもの。その地点で多いに不自然ですよね………。
だからといって、自然に生きるというのが、行動していることから推測する訳じゃないでしょ(つまり、ターザンみたいに生きてりゃ自然ってわけじゃないし)。
自然に生きるとはいっても、所詮、気持ちの問題でしかないのだと思うの。
まあ、それでね、相手の言い分としては、
ずっと昔、それも子供の頃から自然と共に生きてきて
自然しか知らないのだとのこと。
だから、自分は昔も今も自然なのだと。
それを聴いて
分かるけど分からないというのが人間なのにと思いましたね。
勿論、その言葉は相手にも伝えたけど。
要は、知識と才能、智恵、閃き、回転など。そういう今現段階での限界の「完成」でしかないわけで。
しかし、本当のことと並べて思案した場合、それは「未完成」なわけですよね。
その話の時だったかな、じゃあ、本当のことってなに?!という話になり。
本当のことはひとつしかないよ。という私に対し、人により受け取り方が違うのだから、その人によって本当のことは変わるのだと言ってきましてね。
だから、それは、主観というもので。
本当のことへ向かう一筋の線みたいなものでしかないわけで。
しかも、本当のことというのは線でもなんでもなく、点みたいなものじゃないですか。
あ、思想とか哲学とかいろいろあるけど
事実というか、本当のことはひとつですよね。子供でも分かる。
と、まあ……。そんなこんなのエピソードがあったんですが。
結果的には、過去の清算としてけじめをつけました。
繋がっていたい人。
繋がっていたくない人。
そのどちらでも良い人。
そういう人間関係は誰にでも在るし。柵のようなもので。
その中で言うなれば、その相手には、いい加減にして欲しいという気持ちでしかなく。
自分(私)の気持ちをいってないよという、突っ込み方もされましたが、
お互いの関係上、それをいうまでの意味も無く……。
ああ、なんというか……。
………まあ、清算という形式だけじゃなく、気持ちの面でも清算して欲しくて話をしたようなものなんです。
だからこそ、私はこう思うとかそんなんじゃなくて、今の現実を考え、お互いが清算を受け入れないことにはどうにもならない。結局は、前に進めないよということなんですよね。
なんていうんですかね、こういう気持ちって…。
話の展開上、自分の気持ちとかじゃなく、言いたくも無いことをいわなきゃいけない時の、ツボにきそうでこない、あの感覚……。そんな感覚でしたよ。
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