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生きた化石といわれる根源についての考察
(タイトル 時代から抜け出せない事による後遺症について)
無責任の基盤があり
無責任の基盤の、その上へ責任という状況をつくる。
それって、筋が通るわけの無い話し。
けれど
日本人がなのか、
時代背景的になのか、
そうした屁理屈を正当化した話しはごろごろしてる。
そして世の中には
基本的に間違った考えを
間違っているのにも関わらず
「正しいもの」としてすり込みをする行為がある。
それは会社であったり、学校であったり、家庭であったり、様々な事柄があると思う。
そして、間違った物事を正しいものとして言われ続けると
全てではないけれど、
多くの場合、
人の神経はおかしくなってしまうもので。
つまり、この歪んだ時代に必要なのは「正しい心の目」であり、
正しい心の目が無いと、心が汚染されてしまうと思う。
また、間違っている事は間違っているし、正しい事は正しいはずなのに、
そういう当たり前の事が分からなくなってしまうほど、この世は混迷してて・・
見捨てられた心がたくさん浮遊しているように思えてしまう。
人は、どの時代とか関係なく、時代を走り抜けて今という時を迎えている。
そして、時代の最先端があり、時代の最先端とはある意味、何も見えていない被害者的な傾向があると思う。
それは、たとえばだけど、今の時代でイケてるという意味での最先端の人間が、大人から見て心が痛んでないのか?というのと一緒なんだと思う。ちょっと、これは心理学的な要素を踏まえているから、その道の人じゃないと、少し分かりづらいかもしれないですね。
ただ、言いたいのは、前を走る者は後ろを見ないので全体が見えづらいという事です。
さて、その最先端の被害者的傾向を含んだまま、世の中を歩いて行った場合、自分が最先端ではなくなっても、最先端という意識は変わらなかったりする事もあります。
つまり、前を走りすぎて周りが見えない分、考える事の短絡化とか、ある種の幼稚さを含んだまま大人になっていく事も可能性としてはあるという事です。
これは先にも言いましたが、どの時代だったとしても同じような事は言えるのではないかと思います。
これって、最先端を走っていた人だけが陥るツボというよりも、
たとえばですが、
最先端を走っている人のツボが70%
中間の人のツボが50%
低めの人のツボが30%
というように、単に割合が違ってくるというだけなんじゃないのかなと思います。
結局、その一定期間の若い時の時代のような波をくぐった後の後遺症のようなものは、どの時代を生きていてもあるんじゃないのかなって思うんです。
それも最先端を走った人ほど、後遺症が大きいんじゃないのかなって。
そういうのって、親子間だと日常過ぎて気が付かない事ってあると思うんです。
特に友達親子的な関係だと余計に。
(タイトル 時代から抜け切れない事で身近な人間を傷つけてしまう事について)
ましてや自分の子供がまだ小学生とかで、子供の事で友達関係のいざこざがあった場合、
今の時代というその子たちの象徴となる時代背景を知らないで、
自分の価値観で物を言いすぎると子供の心は孤立してしまうもので。
簡単に言うと、仮に自分が子供だったとして、「遠足に使うリュックを新しくしたい」と言っても「まだ使えるでしょ」という答えが返ってくる的な話です。
確かに次々に物を買い与えるのは教育上良くないけれど、「なぜ欲しいのか」という理由に「時代背景の」ヒントがあるというか・・・
(ちなみに何でも買い与えた方が良いですよという方向での話しではなく、あくまでも時代背景の事です)
単に、○○ちゃんも持ってるから、という答えだったとしても、それって、大人が10年も前の流行の物や服を何かの行事の際に着るとしたら抵抗があるっていうのと一緒なんじゃないかなって思うんですよね。
まあ、この話しは自分の若かりし頃の時代から抜けれない場合のひとつの例ですけどね。
たんに時代とはいっても、今生きているのも時代ですから、いろいろ考えて生きていかないと本当にたくさんの人を気付付けすぎてしまうという結果に成りかねないとも思い、この記事を書いてみました。
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