mixiのニュース記事を読み、ちょっとブログでアップしてみたくなった。
「愛の疑惑 許す女と許せない男」というmixiの記事。その記事の中にあった心理学者の、発言。
その心理学者、渋谷昌ニ先生とやらのコメントを読み私の頭がゆっくりと回転。
ああ、なるほどと思う。
記事の内容は、映画になった「幸福の条件」をもとに、男と女では愛の捉え方が違うのだという展開のもとに記事が書かれている。
映画になった幸福の条件は観たことが無かったけど、「幸福の条件」のキーワードで検索すれば当然のように引っかかってくる。
とある男が1億円をあげるから1晩だけ付き合いなさいと、(よその)奥さんに言った。(奥さんの)だんなも了解した。
しかしだんなは、男と1晩過ごしたことで、奥さんと男がその後(1晩過ごしたあと)も繋がっているのでは?という疑惑を持ってしまう。
奥さんはだんなとの溝を埋める為に云々というストーリーらしい。
そして登場したのが心理学者。
事が起ころうとしていた時点でだんなは、起こっていることも、自分の気持ちも、妻の気持ちも、不明瞭だった。
実際に1晩過ごしたという事実が起こったことで、だんなは自分の本心を知った。
そうなると初めにだんなが決断した、合理的な考えは訂正され、奥さんはもともと男にその気があったに違いないと(だんなの頭の中では)考えがまとまる。ついでにだんな自身は、初めからイヤだと思っていたのにという、無茶苦茶で身勝手な理論がでっちあげられてしまう。いわゆる意識無きゆえの正当化。
まあ、心理学者のコメントとして書いてあった言葉を私が解釈したのは、こんな感じのこと。
なるほどねと思う。自分がいつも霊感で見ている経路からの言葉ではなくても、辿り着く意味が全く同じもの。それゆえ心理学者という立場からの言葉は容易に私の頭の中へと入ってくる。
(後悔しても)後の祭り。
ことわざは何ものかにぶち当たったような時にだけ、風のごとく脳裏へと浮かんでくる。
何か事が起こり
そして初めて自分の気持ちに気が付く。
それって
ただの結果でしかないのだと思う。
本当はどう思っているのかという、1番大切な暖かい何かを無視し生きているから
簡単にそして浅はかに考え捉えていた気持ちに対し、相応の事が起こり、自分の本心を知り慌てる。
だがしかし、人はそれらを正当化しようとする。正当化は、人の心に根深く浸透した原始的な遺伝子ではとも思える。
いかにもの結果を、目的として話しをしてきたり。
あるいはただの結果でしかないのに、他の言葉を用いることで意味をすり替え、真実は神にしか分からないだろう的な気持ちで誰かを欺く(あざむく)。
それを嘘ともいう。
また場合によっては勘違いともいう。
だとしても本当のことはひとつだけ。
誰かを簡単に欺けたとしても、誰かは欺けなかったとしても、本当のことはひとつだけ。
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