生きる人の多くは意図的に、自我を破壊へと導いていく。
自我に似つかわしくない、想像的な自分をつくりあげ
自我へ押し付け、そして想像的な自分である非自我(正しくない自我)の強制を、自我へ行なう。
非自我とは、自我へ対する破壊的な思想者であり、自己の中のカルト教の教祖的な役割を所持しているものでもある。
ゆえにそれら強制は、洗脳ではなく、自我へのより酷いマインドコントールともいえるはず。だからこそ生きる人の多くは自我を破壊していくということへと繋がるわけで。
※ 記事とは関係ないけど、こうしたものが心理学でいうところのスキーマー、いわゆる思考癖のひとつかと。また脳が脳に騙されるという発信源の一部ではないのかとも思う。
※ 洗脳とは、キッカケとなった外圧、のない環境を与えられることで、思い込んでいた世界観が消滅します。
※ マインドコントロールとは、結果的に自分で進んで気持ちの書き換えをしてしまうことで。洗脳のように完全に意思が麻痺している状態ではなく、自覚も意思も存在しています。また誰もが掛かる可能性があるもので、気持ちがしっかりしていればというのは無意味なこととなります。
(洗脳とマインドコントロールの違いを詳しく知りたい人は、ネットで調べてみてください)
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また自我と非自我の配線を、非自我は意図的に断絶し
自己満足という意識をその時々の非自我の都合で、新たに形成する。
形成したものは、本当の自分よりもより自分らしい人格、を持ったかのように自然に振舞う。
それら振る舞いを止めない心理または真理とは、異常な世界を快感として捉える人間の本能的(堕落な遺伝子の目覚めのよう)なものだと思う。
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たとえば自分を形成するために学問から知識を吸収しようとする。
しかし学問という知識も、技術という鍛錬も、自分のものではあるが、自分ではないのだから自我の中の世界ではないわけで。
すなわち
自分が自分の中に存在した上で、世界が存在しているのか、
自分が自分の外に存在した上で、世界が存在しているのか。
というソノ部分にあたるわけで。
本当の自分とは腹の底に沈みこんだ自我で在るということ。
同時に自分の外に存在した上で、世界が存在した状態を自分が無いという。
自分があるとは
自分が自分の中に存在した上で、世界が存在した状態をいう。
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結局、自我という名の本当の自分は、自分以外に存在した世界からの知識を思考内で翻訳した事柄を、自我と協力し共に生きること。それが自分らしさへとなっていくものだと思う。
ゆえに本当の自分というありのままの単独で生きることは、自分以外の人間には狂気として映るものではないのだろうか。
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対極の人格のようなものが混在する、肉体。自我と、非自我。
それらを総括し統合できる、もの。
それは気持ちの込め方だけだ、と。
気持ちを込めている自分を補助するのが、翻訳された知識。
またそれらは、既に自己内で起こっている集団行動なのだと思う。
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