ひとつの物事を理解する場合、どういった理解の仕方をするのかという会話をした。
たまたまのプライベート。それはただの会話。
だけれども改めて口に出し、自分の思考パターンの一部を更に深い意味で納得したという話し。
絵の具の、赤と青を混ぜれば、紫になる。
なぜそんなので紫が理解できるのか分からないと、私。
それは、その時に例としてあげた内容。
赤の顔料と青の顔料。
それだけじゃなくその他の色の顔料の素材による公式が分かって、そしてはじめて紫が理解できるわけで。
(自分の頭の中の話しであり、絵の具の話しはただのたとえ話しです)
すなわちお手軽品(絵の具)の成り立ち(顔料)を理解していないのに分かるわけがない。
絵の具そのものにしても、紫にしても、分からないことをなぜ分かったと思えるのかが分からない。
教科書に書いてある上澄みを理解しても、分かったけど分からないはずのナニカ。紫。
結局、顔料が分かれば紫に辿り着くのは簡単。
紫の色を出すのに、絵の具をわざわざ作る必要性もないわけで。
いや、簡単にすることが文明なのだろうけど。やりたいことに対して根源が分かれば、無駄な知識は要らないわけでしょう。
私が知りたいのは顔料という範囲の、本当のことだけ。
結局、知りたい病気の症状があって。そのことを理解するには脳内でなんの分泌物が出ているのかという知識が必要だったんです。医学的に。
だから自分の考えを書いた本じゃなくて、顔料の部分だけが書かれた医学書が必要なんだということが、会話のキッカケでした。
すなわち霊視により見えていること。
それらのどれを持って医学的にその病名となっているのか。
そこに含まれた私が見えている脳内の分泌物は、医学的になんという名称の分泌物か、といったところです。
いわゆるパターンという絵の具(臨床や主観)は知らなくても発信源が理解できれば、分かるんだけどなあ。という私側の話しから発展していった結果が、そうした話しにまでなったということなんです。
それでもねその後、そうか私は数学ができないからかとこっそり自覚した。
きっとこれは無限に近いほど数学ができなすぎる私ゆえの、頭の中の構図。
理数系の考えというか、思考って、どうしてか分からないけどこうなる。それが簡単に理解できるわけで。
数字に置き換えて考えることが多いでしょう。理数系が得意な人の頭の中は、すごいことになっているんだろうなって思う。
やっぱり違うんだよね、理数系が得意な人は。
それを理解したところで問題は解決されはしないけど。それだとしても更に深い意味で自分のことをひとつ理解したかな。
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