新たな世界は人に恐怖を与えるもの。
それは当然の結果。
知らないことを知らないままに受け入れる状況は、誰だってこわい。
しかし恐怖とは自分がつくりだすモンスターなのだから、いくらでも巨大化するもの。
また、違う言葉を使うとしたら、恐怖は自分の中でしかつくりだせないもの。
恐怖感の存在するソノ現実から逃れるためのひとつの手段として
自分のテンションを上げる行為が在る。
恐怖の根源と接触する。
接触しなくてはいけない。
だから接触しつついつものテンションよりも、テンションを上げる。
平気なフリや
気にして無いような態度をし、良く笑う、饒舌(じょうぜつ)になるなど。
あるいは常日頃からシキリ屋だったりとか。
いわゆる、人間性の器を故意に上げたように見せかけた状態が、テンションを上げたというソノ状態です。
この状態を取り入れると不思議なくらい感覚が麻痺していく。自分に都合良く。そして後に、気が楽になる。開放される。
麻痺するのが当然だろう。
なぜならテンションを上げる行為自体が、現実に対し偽わりの行為なのだから。
ちなみに
それら数々の嘘を連続することで、全ての現実を破壊しているということにもなる。
また、ハッキリ言って、この場合のこれらの行為はストレスの根源でも在る。
第一、ありのままの自分が自分自身にびびってるんだから
びびりの根源に直面した場合、びびりがエスカレートしたソノ状態が自然体ということになる。
恐怖感に押しつぶされる時というのは
自分の中のモンスターを増幅した場合。
たとえば……
怯える自分など自分自身ではないとか
恐怖を感じるわけがないと思い込んでいる状態とか。
仮に
怯える自分は自分自身ではないと感じていた場合、事実の否定ということになるし。
恐怖を感じるわけがないと思い込んでいる状態だった場合は、自覚と真意の認識が間逆を向いているという途中過程の状況を省いたとしても、結論はやはり事実の否定ということになる。
こうした現実逃避って、健常者でも割合的に多くの人が気付かずにやっている。
ストレス社会というけれど、世の中の波が仮面を被っていないと泳いでいけない傾向が在る。
いや正確に言えば、傾向が在るように見える。または、見えやすいということだろう。
結局、服や外見の流行を取り入れる入れないは別として、世の中のうねりに飲まれているという現実を理解していなかった場合、気が付かないうちに仮面を被っているということも言えるはず。
それも
自分から進んで被るはず。
これは犯罪者が犯罪を続行している最中は現実が見えないという、その心境と同じだと感じる。
すなわち
事が済み、死刑直前に事の重大さを理解し現実を受け入れたとしても、時既に遅し…。
人が世のうねりに気付かずに飲まれ
(悪い気持ちが増え、それが当たり前の状況があり)
自分の意思で仮面を被った。
(自分の意思で犯罪を犯す)
という、その状況でありながら
主観としての現実感は存在しているのだろうが、
現実としての実感が伴なわないというソノ状況は
犯罪者が犯罪を続行している最中は現実が見えないというたとえと、とても良く酷似していると感じます。
つまり自分が悪いという自覚ではなく、何かが、誰かが、状況が、など。そうした現実に対し実感の無い感覚は、人生の落とし穴だったりもします。
あなたが見ている感じている現実とは
本当に本物の現実ですか……。
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