白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

魚の意味は胎児の中に居る胎児

魚は生まれてくる河を選べないけれど
魚の事情は自分自身の中の宗教と友情関係にあり
上記の記事を読んでない人は、先に読んだほうが理解しやすいと思います。


人が生まれるということはある種、コンパクトな宗教の中へ放り込まれるのと同じなのかもしれない。
当然自分の意思なんかお構いなしで、支配下の元におかれてしまう。

その後、学校という集団行動があり弱肉強食を身をもって体感するしかない。たとえそれらが弱者側であれ強者側であれ、結局はそういうことになってしまう。それでもこの世の、いや日本の仕組みが皆平等に的な美談の元で教育が進行するのだから、息苦しさを体感しない者はいないだろう。

でも昨日今日と、魚?の記事を書いていて思ったのだけれど、生まれつき持たされる宗教とは、後の胎盤なんじゃないのかと思えた。
ただ生まれるためだけの肉片だとしても、生命のパイプとして無くてはならないもの。338aa55e.JPG

まあ、胎盤が形成される以前に受精が必要だけど。受精自体が前記事にも書いたとおり、友情の結束なんじゃないのかなと思う。

ただね、そういった宗教の中へ未だにいづける人は、受精はしても流産とか。流産以前に受精できなかったとかして生命にまで辿り着かないのかもしれないよね。

でも、大人になるということは、心の中で命を誕生させること。
命が生まれてくれば自然に、胎盤も取り出されてしまう。

胎盤はそれまでの全てが凝縮された、なくてはならないもの。

でも生まれたら必要がなくなってしまうものでしかない。


なんかね、この記事を書くきっかけとなったのは宇宙観的な不思議な映像が視えたからなんです。
「宇宙に浮かんだ、胎児の中に居るミクロの胎児」
それが視えて。だからたぶんきっと、このお話がとても必要の在る人が居るんだと思い、アップしたところです。

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魚の事情は自分自身の中の宗教と友情関係にあり

生き抜いてきたそれまでの世界から離れるのではなく、それまでの世界もあなたの肉体の一部。


肉体を切り離すということは、心の手足を切断することに等しい。


「離れること と、切り捨てること」


ではなく、あるがままの姿で疲れたことを認める。それは現実でいうなら入院し医師に頼るところだろう。


心の中にも自分自身という医師が存在し、患者という自分自身も存在している。

ただただ生命や肉体の維持の助けを続ける医師と一緒に、たったふたりで共同作業をすることでしか生命と肉体の存続はなく。


だからこそ、病める肉体をひとりでどうにかしようとしたら、生き抜くために努力した医師である自分自身はどうなるのだろうか………。


また逆もあり。患者の心理と疲労を無視し手術を繰り返す。見てて異物を飲み込んだ過程でそのまま留まり続けるかのような痛々しさが残る。


過去の傷痕も大きな手術痕も、そんな体で生きてなにがいけないのか。



そんな体になっても生き抜いている、自分自身。大切にしないと大事にしないとかわいそうです。


故に、そういう意味で切り捨てるということは、自分の中で現実とリンクしている最悪のナニモノカへ、首尾よくへつらうことでもある。つまり最悪の大王に自分の意志でへつらい続けているのと同義ということです。

それ故、自分と自分との結束のあかしである友情は、新たなる生命を生み、漲る結束は生命の誕生と共にセンノウという形在る宗教的世界観の胎盤をもこぼれ落とすことだろう。

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魚は生まれてくる河を選べないけれど

人にはそれぞれの定めというものがあって


だから
生まれてくる場所なんて選べない。


その場所がたとえ地獄絵図のような世界だったとしても
誰もが子供のうちは力が無く弱いから、地獄絵図の中に棲む力の在る大王の支配下の元に居るしかない。


大王は王だから、王からの命令は絶対的な力を持つし、
結局は嫌でもその中で生きていかなきゃいけない。


その王、或いは地獄から逃げるには
大人になって力を持つしかなくて。

ふと気が付けば

逃げる脚が無くなっていて

防御する腕が抜け落ちていたりもする。


それはきっと、心の中でどうにかなってしまった

心の脚と

心の手。


そして大王の支配から受けた焼印は
宗教みたいに洗脳された脳。

そんなだから脳は半分くらい使い物にならなくて。


だから、ふつふつと過去の思い出を今としてすり替えながら
地獄を恨み
大王を恨んでみる。


しかしそれは、余計に辛くなるだけだったりする。


その環境はどうしようもないし、

生きてきた過程も消せやしない。


脚が無くても
腕が抜け落ちていても

もう2度と生えてくることも無い。


全ては自分の始まりを否定することから始まり
否定に終わる。


それは疲れること。


とても力の入ること。


いつでもどこでも、見栄えなく敵を確認する。
信じていた人まで敵に見えてくることも在る。


「生きていること

生まれてきたこと

愛されてきたこと」


そういった当たり前の物事をも
それは違うと否定しつづけ


果ては自分も他人も傷つけてしまう。


そんなに疲れるなら
認めてみたら良い。


生きていること


生まれてきたこと


愛されてきたことを。


たとえそれらが醜く見えるものであっても
受け入れたくないほどの醜汚にまみれた穢れに見えたとしても
それでも愛の深さには人それぞれの違いや限界があるのだし
脳機能的にどうすることもできない遺伝などの事情があったりするのだから、どうにもなら無い本当の現実を受け入れてみたら良い。


疲れてまで自分自身と戦わなくていいと思う。

戦うために生まれたわけじゃないのだし。

誰かからの愛ではなくて、自分の中でのダレカカラノ愛を受け入れてあげたらいいのだと思うのです。


その先に天国があるとか、光が満ち溢れているからとか
そんなことは言わない。
また霊能者という立場を利用して、奇麗事を書きたいとも思わない。

もしも「今も繰り返す、自分の中のどうにもならなかった何かに」自分で気が付けたとしたら

仮に今在る位置が同じ地獄だとしても
その先の自分の人生を歩くための本当の脚が生えてくる。
それはまだまだ赤ん坊のような脚で。それだから思うようには動かないけれど、
成長という月日の流れとともに動いてくれる。


自分の人生を歩くための脚が生えるということは
ただただ、そういうことなんだと思っています。

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コミュニケーション以前の心の発信源

本当の気持ちを伝えること。

正直に意思表示をすること。

状況や都合に不具合が出ても嘘をつかず正直にいうこと。


最低限それらができていれば、滞ることなく対人関係は回るもの。


なぜなら仮に気持ちを伝えずにいたら、何処かで嘘を付き続けるか、無理を重ねるかしないとその「伝えない状況を」継続することはできない。まあ、意思表示も同じことがいえる。

そして正直にいうということについては、正直じゃない状態が続きすぎると、自分の本当の気持ちがわからなくなることが多い。その結果、現実逃避というのもありえるし。最悪はノイローゼになることだろう。


まあ、早い話が円滑な対人関係をと考えるのであれば、伝える工夫が必要だということをいいたいんです。
つまりただ一生懸命やったから、気持ちを精一杯込めたからといって伝わるのかというと、そうでもないことの方が確率的に多かったりもする。

人はやはり、頭脳を使わないといけないのだとこういうことを考えると毎回思う。
と同時に、温度ある心がないといけないとも思っている。

結局は勉強方法と一緒で、自分がやりやすい方法というのがあるわけで。
その(頭脳と心がペアになった)方法を見つけるのも人生の課題なんだと思う。
そして人として、自分が生きているステージつまり役割として、最後は心への責任を持つことが大事なのかなと、なんとなく考えたりしました。

心への責任、要するに意志。その意志なんてものは崩そうと思ったら、誰でも簡単に崩れるもの。
それでも意志の強い人は存在している。
その強さとは大切なものを守るための優しさからしか保てないのだと思う。
たとえ大切なものというのが自分だとしても、自分以外の誰かだとしても……。そう思いますね。

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卑怯者、現実逃避、逃げ、つまり結果論として

いつもと異なる事情が起きそれがとてもショックなことだったとしたら、時として耐えられなくなることがある。

耐えられなくなるのは当然、心なわけで。

そういった耐えられない物事はまる投げしてしまえたら、どんなに楽だろうとか、おかしくなってしまった方が楽だとか思うかもしれない。
そして実際におかしくなってしまうこともあるだろう。

だとしても

それでも耐えなきゃいけないことというのが存在してて

それを耐えることができないと全てを失うだけじゃ済まされないという、そんな状況になることもある。



だからこそ
今の辛さ苦しさに心を奪われることは善くない。



心のもっとずっと奥の奥に大切な温度ある、思いが存在している。



辛く苦しい気持ちはあったとしても
その思いにいっときでも身を任せるということは
大切なものを破壊し攻撃していることでもある。



…自分に自分が流されるということは
流される直前の数倍は、辛さも苦しさも確実に酷くなる。
その結果として現実的に、自分が自分に流されることとはなんの意味も無いことだし、それが大人であるならば稚拙(ちせつ)な行動だという結果論に辿り着く。
故に自分の行為に責任を持てない者を大人とは言わない。



よくよく今を見て


よくよく大切な思いを見て


そうして行動を取らないと人生には、時としてとんでもない魔が待ちうけているもの。


そして本当の幸せとは
謙虚さを肝に銘じ生きていくことでしか味わえないもの。

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謙虚の在り方

人にはそれぞれの怒りのツボというものが在る。
そういうのってその人その人の性格による捉え方の違いの事情、とでもいうべきだろう。

でもね

だとしても

人としてやってはいけないこと
超えてはいけないこと

そういう絶対的な何者かがその人の生きている事情によって、様々に存在している。


破ってはいけないルール。

法は犯していなくても透明な掟という不動の存在がある。


見えないルールを破る者は
あとからあとから蛆のように、こんこんと湧き出る報いを受けることになるだろうと思う。


つまり見えないルールを破らない人間が破る人間に対し、
「許せることとカバーしきれること」
そのふたつがもう無理だからと受け入れを拒否した時、地雷のように何かが現れる。
破った人間はそれら地雷の襲撃を受け、心に傷を負うことだろう。

だがしかし、そんなものは自業自得だったりする。

なだらかな平地に戻すには失った信頼を地味に取り戻すことでしか無理だし
ましてや忍耐と努力はつきもの。

まあ、ふとそんなことを思いました。

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悪霊の蔓延(はびこ)る時空

探しても答えの無いものがある。

…果たして答えとは何者なのだろうか。


rei.JPG






(画像をクリックで拡大)
※ ちなみにPCから見ると分かると思いますが無数の霊が、画像に写り込んでいます。わざわざこれらの霊を描いたわけでもないのですが、描きたいことを描いている途中で切り上げたものです。
まあ、(いろいろな意味で)霊的な事情が飛び交っているので、その結果として写り込んだのでしょう。



分からなくていいこと

知らなくていいこと

知る必要も無いこと


そういうのと一緒に
探しても答えなんか無いものもある。


仮に答えがあったとしても

その答えは一部分を示しているかのようで、実際は全体を指しているような……。
けれども全体かと思った途端、答えの存在自体透明になってしまったり。

つまり本当の答えがあっても、その本当を受け取る側の生き方のセンスが関与してて。
だから最後は曖昧な、主観という言葉が飛び交い……

最終的に現実の存在する時空が離れていくのだと思う。

現実と離れてしまったその先にはたまに霊がたくさん写り込んだ心霊写真みたいに、離れた時空が存在したりもする。

それだとしてもそういう時空も(その人の中では)事実だといえるし、それらの思考が現実との狭間だとしても現実だとしてもどうあったとしても…
それぞれがその人の中での本当なのだといえる。



だがしかし本当のことは………ひとつだけなのです。

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軌道修正

(画像をクリックで拡大)
70efa3b5.jpg
今という空間が何処からかの圧力により、破壊される。

だから空間は抹消し

継続した空間に見える、新たな空間が現れる。



それがきれいに見える悪でも

本物に見える偽者でも

善に見える最悪の穢(けが)れだとしても

人は空間を無条件で受け入れるしかない。


たとえそれらの空間が我が運命を崩壊する存在であったとしても
それでも非力としか言いようの無いほどに受け入れてしまう。


だから結局は空間を自在に生み出す側になればいい。




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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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