ひとつのことを幾つかの方向で考えていくと
ある一定の枠の中へと辿り着く。
ただ、何十もの層でできている枠だというだけで。
その枠内に在る中心がとか、どの位置が本当のことだと、いう意味じゃなくて。
そういった見えない法則が存在していることを把握する瞬間がある。
何時だったか在る人間に言われたことがあった。
(私は)完ぺき主義なんだね。と……。
いやいや、とんでもない。
完璧とは程遠い人間です、私。
それを言われたのが何のときだったかな?!
ああ、私がこれからどうやって生きていくのかという質問をされ、
答えたことにより、相手が完璧…。と、いってきたんだった。
でね、答えたことって言うよりも、まあ、そこに至るまでの内容を書かないと、ちょっと伝わらないと思うんで。
さて、その内容だけど…
まず、私自身はあることを理解しなくちゃいけない。
そして、そのあることを理解するためには人としての限界の精神状態を超えなくちゃいけなくて。
まあ、そんなのでいったら、仕事のテーマでは常々限界の狭間を行き来しているわけですが。
それでもって
限界を超え、何がどうなっていたのかを理解したら、
再び、まともな世界に浮上する。
というか、何がどうなっているのかを理解している最中っていうのが
1番厄介で…。
つまり、一般的にもそうなんですが…
こういった場合の精神的葛藤とでもいいますか、
つまり、それの状態がどうなっているのかというと
巨大すぎて見えないモンスターと、意識が同調しそうになるポイントでも在るんですよね。
モンスターに呑まれればきちがいだよ的な。
けど、ここにいるのはモンスターではなくて、
人の意識の集合体であり。
しかも、そういった醜さやおかしさも含めて人というものは成り立っているという
当たり前でまともな意識の中心から粘り強く物事を理解していきます。
その精神状態はちょっとまともとは掛け離れていると思います。というよりも、まともとは言わないですよ。
それだとしても、中心にまともを入れた場合と、中心からまともを見ている場合とでは
理解力は当然のこと、精神面の危険性も違いますからね。
危険性が在るからこそ、自分の感情には終始意識を傾け、心の声を聴き続けているわけで。
その状態とは集中している、状態。
いわゆる、それしか見えないというのは、集中しすぎというもので。
まあ、そんな感じで情報収集し、奇妙なバランスの精神状態のままで物事を整理します。
そして、まともな精神に浮上。
最終的に残っているのが、まともな精神状態で総合的に理解することなんですよね。
要は、奇妙な精神状態の時と、まともな精神状態の時の、2回。其々の理解の仕方で把握しなくちゃいけないんですよね。
まあ、結局……
そういった私の中での物事に対する理解の仕方というのがあって。
ただ、いま書いたような内容くらいで
完璧主義
とは、いわないよねと思うんですよ。
だって、理解するために追及していく私のやり方は、
ハッキリいって
ピンポイントですからね。
なんていうのかな…
分かるんですよ。
ああ、ここが基本なんだとか。前後の意味も最終的な矛先も分からなくても、分かるんですよね。
霊感という場合もあるけれど、そういう意味じゃなくて。
もともとが、こういう思考回路なんですよね。
つまりですね、飛び抜かしをしやすい人なわけなんです。
皆まで言わなくても、ああ、分かったというような。
でも、それって、分かっていませんという意味ですものね。
なんていうのかな、自分のことって言葉で伝えていくと
思っていた色と異なっていく感じがするんですよね。
赤という気持ちを言ったのに
青という気持ちとして受け取られるというか。
……やっぱり表現は智恵ですよね。
その前に心が大切なのは当然なんですが。
なんせ、難しいですよね。同じことを言うにしても、人によって伝える言葉を代えなきゃ伝わらないし。
[4回]