白月光
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白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

純真だけが辿り着く達成という聖域


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巡るめく季節があり


人は忙しなく、それらの四季を駆けてゆく。



何時になったらこの脚を停止したらいいのだろう。



どのタイミングで休んだらいいのだろう。


そんな風に思いながら過ごしていくと100308_1224~01.jpg

何時の間にか季節が変わってしまうことがある。


変わりゆく季節の中で


今度こそはこうするんだ。

同じように失敗はしないぞ。


なんて、目的をたててみたり。

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でも、そんな中、
不思議だなと思うことがあって。


人が自分の限界を超えて努力しようとした時

それまでの目的とかが、目的じゃなくなり、

ほんの僅かな途中過程でしかなくなることがあったりする。


なあんだ簡単なことだったんだとか、ケラケラと笑いながら、
そんな風に軽々と超えてしまう自分を在る意味、尊敬してみたりする。


そして、そういう現実に、
人間の底無しのパワーを感じるし、同時に神秘なのだと思ったりもする。
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人は誰だって、可能性がある。



でも、その可能性を信じて突き進むことをするか、

或いは

そんなの無理に決まっているよって諦めるか、

たった、そのくらいの気分で、

未来を左右していることも在る。

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まあ、ありきたりの言葉過ぎて
なんだよ。とか思うかもだけど…。

それでもね、ありきたりの言葉ほど本当のことだなって思えるものは、それ以外には無いと思うのね。

だから、子供は純真なんていわれるのもそうだよね。



それを大人が、子供だから難しいことは分からないんだとか、
そういう理屈や屁理屈を繋ぎ合せて、
結局は、高いところから見ている恥ずかしい人になってしまう(ことが多い)。


大人だって


子供だって


同じ人間で。


ただ、見てきたものの密度や範囲が大きく違ってて。


たった、それだけのことで、何もかもを知ったように思うのもどうかと思う。


なんていうか……


人が人として生きていい上で

大切な気持ちを忘れてしまったら

大切なものには手が届かないよって思うんですよね。

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死を受け止めるとはどういうことなのかと

死というものは

何時でも突然であっけないくらいに素早く命を奪うもの。


自然に受け入れる死であっても

意図的に受け入れる死であっても

殺害という受け入れ方であっても


死とは命の鼓動を止めてしまうものでしかない。


死は誰でも通過するものだし
どんな思いを抱いていたとしても、受け入れなくてはいけないものだし。
誰も悲しまなかったとしても、たくさんの生きた命が悲しんだとしても、迎い入れてしまうものでしかない。


たとえば、人工的に抹消されてしまう命だとしても、自然死だとしても、なんだったとしても…
死とは、死以外の何者でもなくて。

それを悲しむのはエゴだといわれていたりもするけれど

実際は、どんな風に受け止めたらいいのだろうと思ったりする。


大切な命を失い、その死を悲しむのは当然だとは思わない。
寧ろ、悲しみではなくて、大好きなままでいれる人間もいたりする。


私は、自分と関わる命の鼓動が止まった時、
大切な命を大好きなままで思い続ける人間でありたいと思ったりしている。

そう、できたら良いのにと思う。

でも、現実的に、誰かが突然とか、予期した通りにとか、そんな風に居なくなってしまったら
自分はどんな風に受け止めるのだろうと思ったりもする。


だからこそ、生きている時に、大好きなんだと態度にしても気持ちにしても
そう伝えておくことは大事だったりするのかもしれない。


自分が大好きだと思う気持ちを信じる自分。


そう在りたいと思うんです。

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人との関係は様々だけど……

とある人間と、お互いの関係を清算するために話をしたのだけど…

話を進めていく中で
何処をどうやったら、そんな誤解が生じるのだろうと思ったことがありました。


まあ、テーマになった話はどうあれ…


誤解というソレは

「自然に振舞うという」行為についてなんです。

つまり、相手が私を誤解しているという意味ではなくて。
相手の中で「自然に……」という行為についての誤解が在るという意味なんですよね。


さて、その内容だけど、相手は、

「自分は自然に振舞い生きている」

と、断言していました。
意味的には自然な振る舞いが完成したものとして、そこに至るまでの話の流れから、そう私は受け取りました。



でもね、その言葉を聴いて直ぐに私が返した言葉は、

「自然に生きているって言うじたい、不自然だよ」

と、言葉を繋げたんです。

だって、自然に生きていくことを目指し、日々、努力をして生きているというなら分かるけど。
断言したんですもの。その地点で多いに不自然ですよね………。

だからといって、自然に生きるというのが、行動していることから推測する訳じゃないでしょ(つまり、ターザンみたいに生きてりゃ自然ってわけじゃないし)。
自然に生きるとはいっても、所詮、気持ちの問題でしかないのだと思うの。


まあ、それでね、相手の言い分としては、

ずっと昔、それも子供の頃から自然と共に生きてきて
自然しか知らないのだとのこと。

だから、自分は昔も今も自然なのだと。


それを聴いて
分かるけど分からないというのが人間なのにと思いましたね。
勿論、その言葉は相手にも伝えたけど。

要は、知識と才能、智恵、閃き、回転など。そういう今現段階での限界の「完成」でしかないわけで。
しかし、本当のことと並べて思案した場合、それは「未完成」なわけですよね。

その話の時だったかな、じゃあ、本当のことってなに?!という話になり。

本当のことはひとつしかないよ。という私に対し、人により受け取り方が違うのだから、その人によって本当のことは変わるのだと言ってきましてね。

だから、それは、主観というもので。

本当のことへ向かう一筋の線みたいなものでしかないわけで。

しかも、本当のことというのは線でもなんでもなく、点みたいなものじゃないですか。

あ、思想とか哲学とかいろいろあるけど
事実というか、本当のことはひとつですよね。子供でも分かる。


と、まあ……。そんなこんなのエピソードがあったんですが。
結果的には、過去の清算としてけじめをつけました。


繋がっていたい人。

繋がっていたくない人。

そのどちらでも良い人。

そういう人間関係は誰にでも在るし。柵のようなもので。


その中で言うなれば、その相手には、いい加減にして欲しいという気持ちでしかなく。
自分(私)の気持ちをいってないよという、突っ込み方もされましたが、
お互いの関係上、それをいうまでの意味も無く……。

ああ、なんというか……。

………まあ、清算という形式だけじゃなく、気持ちの面でも清算して欲しくて話をしたようなものなんです。
だからこそ、私はこう思うとかそんなんじゃなくて、今の現実を考え、お互いが清算を受け入れないことにはどうにもならない。結局は、前に進めないよということなんですよね。


なんていうんですかね、こういう気持ちって…。

話の展開上、自分の気持ちとかじゃなく、言いたくも無いことをいわなきゃいけない時の、ツボにきそうでこない、あの感覚……。そんな感覚でしたよ。

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些細な変化は確実に現実となり

以前ブログで、霊的なステージが切り替わってきているという記事を書きました。http://lovepeaceworld.blog.shinobi.jp/Entry/996/

この記事の通り、徐々に目の前が切り開かれていくような、実際、そういう現実が徐々に動いています。


たとえば、今起きている事柄の一部になりますが――、
もともと繋がっている大切な人間を除き、悪い関係だったり意味無き関係の人間とは、意図的、または自然に、縁が断ち切れていっています。

そして、昨日も記事に書いたように、近々環境が変わります。

環境の変化を受け入れるためには、新たな波を受け入れなくてはいけないのですが、
その波は小刻みに目の前に現れ、いちいち波に乗るよう見えない誰かが私を諭してくれます。


目の前に広がっていく変化は、現実的に急スピードで変化を示し、
見えない力や見えない者たちに導かれ、
そして、後押しされ、前へ前へ進んでいるところです。

ただ、見えない者たちと書きましたが…

霊的なものに気持ちを委ねているという意味ではないです。
素直になる、心を開く、本当のことを受け入れる。そういう自分で意識して日々努力していることへのちょっとしたヒントを貰っているような、そういう意味です。

結局、仮に霊が優れていたとしても、それを支配する人間の精神が破壊されていたのでは、宝の持ち腐れなんですよね。しいていうなら、優れたパソコンを買ったまでは良いけど、使えません的な…。そんなのと一緒です。

それを霊的なものに意識も身も委ねるということは……

ハッキリいってスピリチュアルかぶれですもの。


まあ、なんにしても、見えない者たちからのエールには感謝しています。
守られている自分に驕(おご)らず、これからも、まっすぐに生きていくつもりです。

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環境の変化に伴ない信念の見直し

近々、身近な環境が変わります。

運命までが変わるものではないですが……。

まあ、多少の影響はありますね。

その変化を手に入れるための精神的リスクも当然ありますよ。
あまり直視したくは無いことなんですけどね。


まあ、なんにせよ、なにがどうだったとしても
予測としての最終結果は、善い意味で変化を捉えています。
というよりも、その未来を信じることで、新たな波に乗るつもりでいます。


そして、その変化に伴ない

知識や見えるものに拘らずに、自分自身の信念を信じ行動ができていけばいいなと思っています。


ただ、善しとして進めていく事柄だとしても
本当にコレでよいのだろうかと、始点にもどり、考えてしまうこともありますね。

また、それらを中心として捉えた場合、
それに接続している事柄の方が
案外中心として考えなくてはいけないんじゃないのだろうか、とか…。

なんというか、何処まで表面的な感情に囚われずに、自分に正直な気持ちを見極められるのか?!

ルール無きルールにのっとり、自分の気持ちを探求していることもありますね。


その思案の中に呑まれたところで、結果なんてのは、エンドレスなんでしょうけど。
それだとしても、エンドレスなら、それはそれで善いんじゃないのなんて思ったりしていますよ。


第一、大切な基準はエンドレスを防ぐことじゃなくて
知識や見えるものだけに拘らず、自分自身の信念。という、自分が取り決めた中心がありますからね。

つまり
分からなくなったら、初心に戻り、本当に大切なことをピュアな気持ちで思案する以外ないじゃないですか。

それからですよね、知識とか、見えるものに基づき考えるのって。


だからこそ


焦り

不安

ザワメキ


そんな無意味な意識を価値の無いものとして真っ直ぐに受け止められ
なおかつ、焦りと不安、ザワメキ。そんなものを自然へと還してしまえるような…

そういう人間で在り続けられるよう

地味に努力をしていこうと思っています。

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久しぶりに…

昨日は、ちょっとばかり私用で人と会ってきました。

その人とは何時ぶりかな…?

そんなにしょっちゅう会える距離の相手じゃないんですよね。
年に1度、そのくらいの間隔とでもいいましょうか…。

まあ、1年の間隔だとしても、ブランクを感じる相手じゃないし。
自然にスッと互いが溶け込める感じなんです。



それにしても楽しい時間は直ぐに過ぎてしまいますよね。

ただ、ただ、ふたりして話をしていただけなのに結構な時間が過ぎてしまいました。

なのに、あっという間。

え、もう、こんな時間なの……という感じで。


まだまだ、話たいことはいっぱいあったのだけど。なんせ、ほんと久しぶりだったし。


でも仕方ないですもんね。


互いが互いの生活が在るし。
時間を気にせず朝まで話すなんてこともできないし(苦笑)


年齢と共に、在る程度、行動が拘束されてしまいますよね。


その拘束は安定とか、平和を約束するものであって。しかし居心地は悪くない。


だけれども

若い頃のように、無茶苦茶なことをしようとも思えない。

その好い加減な温度。結構、私は好きなんですよね。


その好い加減な温度というものは不思議なもので、

会ってなかった時間に起きた様々な事柄がお互いにあっても
お互い知らないことのほうが多いのに

なんていうか
顔を見るだけでホッとししてしまう。

そんなパワーが宿っている気がしますよ。

つまり、それって…。
顔を見るまでは何か心配で、ちょっと落ちつかなくて…。

けど、顔を見た途端に、そんな心配は何処かへ飛んでいってしまう。

そういう不思議なパワー。
それが好い加減な温度なのかなって思ったりもしますね。


まあ、なんだったとしても

私にとってその相手の存在は
何時までも変わらず、そのままで居て欲しい人です。

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リスクの重要性

人は、誓いをたてた過去があり。

でも
その誓いを破棄していることもある。



誓いとは、それらの意味を成さなくなったとしても
意味があり…

つまり、その意味が異なり歪曲してしいるとか

誓いに意味は無いけれど、一方的に誓いに忠実に徹しているとか

たとえば、そんな感じで過去から引き継いだ歪曲した誓いが在る。


でもね思うのだけど
それは誓いを破ったことにはかわりが無くて。
仮に相手から破棄してきたとしても、自分が誓いを破ったことにはかわりが無い。


誓いとは半端な気持ちでたてれるものでも無いし。
月日と共に重みを増していくのが、誓いというもの。


それだとしても

誓いをたてる時にはリスクが必ず存在している。

そして
何時しかリスクが膨れ上がったとしても
潰れないだけの信念という精神の体力が必要だということはいうまでもない。

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信念の強さは期待の薄さでも在り

在るがままの姿ではなく、相手の心を信じる気持ちでしかないのだと思う。


また、場合によっては、

誓いを続行したまま

自らの手で制裁を降すことも在るもの。


だからこそ
誰が見てても、見ていなくても、恥ずかしくない人生を歩かなきゃって思ったりします。

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依存の意味よりも自分自身の今が大切

依存と恋愛。

ここ数年、依存症についてさまざまなことが明かされている。


仕事としてというよりも、ふつうに生活をしていて思うのだけど
恋愛ができない人が増えているように思う。

ただ単に恋愛ができないというのではなく、
本気で愛しているのに依存が大半を占めてしまい、
その結果、築きあげた関係をゼロにしてしまう。

なんか、そういう状況を目の当たりにすることが多かったりする。


依存――、
それは何が原因でどういう経過を辿り
そして、結果的に依存といわれる行動を取ってしまうのだろうか…。


依存について、私なりに今まで感じてきたことは

自信の無さが多いに関与していると思う。

たとえ、どういった過去を辿ろうとも、
共通しているのが自信が無いという、状況。

また、更にいうのであれば

自信の無さは、ずっと昔から続いている出来事。

仮に、自信に満ち溢れたように第三者から見えていたとしても、
或いは、どこから見ても自信の欠片も無いように見えていたとしても、
どうだったとしても、共通している過去が在る。

つまり

自信を持って生きたことが無い。という現実が存在していたりもするんじゃないのかな。


そして、そういうのの更に奥には


自分が嫌い。


そういう気持ちが、まるで寄生虫のように心に張り付いている。


それって
自分の気持ちの持ち方だとか、
前向きな考えだとか、
…使えない本には頻繁に書かれていたりもするし。
また、ネット上でも、使えないことが書いて在ることのほうが多いかな。


ちょっとね、依存について気長に取り組んでいるテーマがあって。当然、仕事としてのテーマだけど。
そんな中で思うのが、人目を気にしないでもともと好きだったことやれば善いのにって思う。

たとえば
自分のキャラを作りすぎてて、私のイメージじゃないとか
或いは、私らしくないとか。

なんていうか、そういうのをどうして本気でやらないうちに決断してしまうのかなって思う。

好きなことって必ずしも上手だとか才能が在るとかじゃないし、
好きだけど下手なんだよねってことの方が多いんじゃないのかな。

だからね
緊張状態でがんじがらめにしないで
深く考えずにチャレンジすることも必要だよねって思うよ。

下手で惨めな自分。
そんな自分だとしても、一緒に好きなことをしている仲間は笑って受け入れてくれる。
笑われて、案外、ホッとする自分がいるかもしれないよね…。

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プロフィール

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福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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