こうでなくてはいけないという決まりや法則、そして、法の裁きというものがある。
それを守らなければ確実に守らないことへの代償を背負わされる。
法に触れない、捕まらないだけ、そんなのだとしても見えない代償が返る。
それを守らなければこうなってしまうよ。
そして、
その結果、コレだけのものを失い
コレだけのダメージを受け
最後には、
きっと、こうなってしまうよ。
という一筋の予測が立てられる。
その予測は物事を行動に移す時に思考の一環として取り入れられ、だから、どうしたいのか。どうするべきか。などと考えるもの。
そんな時、
最悪の結果が自分にとって選択したくない事柄だから選ばないというのもあるし、
また、
最悪の結果が来ても、それだとしても、選ぶというのもある。
或いは、
何も考えていないとか……。で、最悪の方を感情に流され選んでしまうこともある。
でもね、そういうのって、人それぞれの感じ方が違うから、正しいとか正しくない、或いはまともだまともじゃない。なんて感想がバラバラにかえってきたりもする。ま、当然というか自然にそうなるだろうねと思う。
人間は社会というルールの中で生活しているから、犯罪に手を染めないように意識しているところもあると思う。ただ、そんな中でも、社会のルールがあるから犯罪に手を染める人もいるのだと思うし。
けれどもね、一呼吸して考えてみて。
それって……
そういうのって、
自分の中で決断して選んだ自分だけの自由なんじゃないかと思う。
犯罪賛成とか、奇妙な宗教賛成とか、
そんなんじゃなく。
人間はどんな状況であれ、自分だけの自由を選択しているのだと思う。
本当はというか現状での人間って、
自分の好きなように生きているのが人間だよねと思うの。
気がつかなかったとしても、
上手くいかないとしても
苦しいとしても
悲しくても
極上の多幸感の中に居たとしても
何だったとしても、それは、皆が選んだ自由だよね。
各々が選んだ自由だよね。
草木が天気を変えることを出来ないのと一緒で、
人間も変えられない環境とか、
身動きの取れない過去のトラウマが潜んでいたりとか、
いろいろあるだろうけど…
それだとしても、
その中で、
自ら選んでいるのが不幸だとしても幸福だとしても苦悩だとしても…
それら全ては、
自由という型の無い
自由を手にしているのだということ。
想像力――。
それは型を崩し心の視力を高めるもの。
手放し、
放棄し、
荒れ狂う前に…
もう一度、人間の遺伝子として稼働している自分の中の自分へ、
気付きを――。
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