彼女がその名を知らない鳥たち (幻冬舎文庫)
沼田 まほかる
この本を読み終えて、というか、読んでる時から主人公の十和子の恋人の、陣治と(私の)旦那さんが被った。
別に旦那さんが本の中の陣治のような見た目や行動を取るわけじゃなくて
なんていうか愛情の度合いが被る。
解説には、愛を突きつけられるというような文面が掲載されていたのだけど
私の中では意外でもなんでもなく・・・
読み始めのうちから陣治がどういう人間か、どういう愛の質なのか、簡単に理解できた。
なんか・・・この手の本をどうせなら男の作家に書いてほしかったと思ったりもした。
別に本自体の内容は悪くないし、どちらかといったら中身が濃くて好きだけど。
ただね、陣治の気持ちを男目線で噛み砕いたものを読みたいかもっていう、欲が出たかな。
なんていうのかなあ・・・
女が男に飢える時って、女自身の心が枯渇している気がする。
こう、愛に満たされていないとかじゃなくて
自分自身が大人子供的な感じで、大人になりきれてない内面があって
その大人になりきれてない子供、すなわち内面こそ、枯渇している中心とでもいうか。
見えない。
見えてない。
隠すもの。
隠し続けるもの。
見なくて良い、隠したままで良い、心の真ん中の森のようなもの。
悪戯をした子供が親にばれないように森の中へ「ナニカを」隠し続けてるような、そんな心理と似てる気がする。
だからこそ大人になりきれない子供なのかなって思う。
ゆえに隠した「ナニカに」代わるものを求める。
代理愛的な?その「ナニカに」代わる誰かを穴埋めに使う。
けれども結局は代理は代理でしかなくて、秘密が増え続けたまま森は存在する。
それだから、隠すための森ではなく、その森に「大切な誰かの」愛と意識を入れていく。
そのためには隠してある「ナニカを」、「大切な誰かと」一緒にひとつずつ片づけていく必要がある。
そんなのを繰り返していくうちに二人の森が、互いの心の中にできていく気がする。
なんていうの、こうさ、素直になれないと愛情の奥(心の森)までたどり着けないって言うか・・・
でも奥の奥から湧き出る愛情ってさ・・・
上手くいっている時は本物の愛と呼び、
上手くいかない、いってない場合は狂気となるわけでしょう?
まあ、でもね、本物の愛と狂気。それらふたつが現実の答えなんだと思う。
現実は、本物は本物でしかなく、狂気は狂気でしかないんだよ、ね・・・。
ハルカが霊感で思う事~『本の感想と愛について』の追記
※ 文章による誤解があったので、すみませんが上記リンクと合わせて読んでみて下さい。