人の気持ちとは川のように流れ変化していくというけれど、本当だと思う。
ただ川だという事実、その人がその人であることには変わらない。
自分に対し、好きな気持ちを持ち続けて貰うには難しいように思える。
けれども、もし意図的に意識して好きなままでいてもらえる努力が存在したとするなら、本物じゃないのだと考えている。
結局、好きなままでいてもらうための努力とは、心がなく形だけなんじゃないかと。
心があるから意識するのはわかる。
それだとしても
目的に対し気持ちの思うがままを実行していくと、結果的に目的が達成できないのと同じで、
すなわち目的と行動が異なった状態で進行していることになる。
故に自分がどういう人間でありたいかとか、女、或いは男でいたいかという
最後はソレなんだと思うのです。
ここ最近、形だけを意識しているとある人物のことを、よく考える機会が多く。
その人は、目的とは異なる、単なる思いの果ての未来を描いている。
それって私の立場上、教えてあげなくてはいけない状況にある。
私が伝えなくちゃいけないのは…
ただ思っていることを無謀に実行しても、何ひとつ叶うはずがない。
そして、そうした行動は常に自分へと返ってくる。
返る割合が多いのは、心に対する傷。
だって、自分が自分を騙しているわけだし、裏切っていることにもなるわけで。
……と、
こんなことを伝えないといけないわけでして。
そこで、何が問題なのかというと。
その人が少しくらいは気が付いているのかというと、そういうわけでもないという事実がある。
すなわち、その無謀な行動が自分自身を傷つけていることを本人が自覚しているのなら、そんな無茶苦茶なことは現実的にやっていないだろう。
つまり、私が相手に伝えるということ事態、相手からしたら青天の霹靂(せいてんのへきれき)ということになる。
要は、結構、腹を括らないと言えない状況に置かれている。
こういうのが、相手の心へ伝わるのはなかなか難しいものですよ。
結局は、その人自身に伝わらなかったら意味が無いでしょ。だからこそ、困っている。
気持ちを集中して耳と同時に心を傾けてもらうためには、その人のど真ん中に伝わるようなひと言がないとダメなわけで。
……実際、悩むところですね。
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