あなたは本当の自分で生きてますか?
私も同じ様なことずっと考えてました。
言霊とか言われるのって、霊的な意味もあるのかもしれませんが、やっぱり言葉って大事にしなくちゃいけないんだという、思いからできた単語なんじゃないかと思うほどです。(本当は知りませんが)
ある友人と話すと「この人わかってるのかな?」って思うような人がいるのですが、ちゃんと考えていないと思われる場合、その人が考えていないだけの場合と、考えられない場合があるんですよね。・・意外に最近気がついたんです。みながおなじように、同じだけ頭を働かせているって、思っちゃいけないってことですよね。そこでかつ、何かを伝えるって、本当にむずかしいです。
うにさん、コメントありがとうございます^^
なぜか記事を上げた中の多くが、同じ状況または同じような考えです!ということを拍手からのコメントや直接言われることが多々あります。
確かに誰かしらの感情の電波のようなものを察知し記事として取り上げることもあるので、そういう偶然に見えるようなことはあってもおかしくはないのかなと思っていましたが、ただ、そういう状況からの記事ではなく、自分が思っていることや考えていることを記事として上げても被ることが多々あるようなので・・・。なんでかな、なんて思ったりもしています。
ところで、言葉というか日本語は微妙な言葉の違いにより意味が大きく異なりますよね。海外ではそれもこれもひとまとめにして、こういうことです、という言葉であっても、日本人からしたら、それとこれとは意味が違うよ?となり。
そういう意味では意外にも日本人は繊細なのかなとも思います。
それゆえ、うにさんの言うように
>言葉って大事にしなくちゃいけないんだという、思いからできた単語なんじゃないかと思うほどです。
という、言葉の根本を辿る方向へ考えが向くのも頷けますよ。
言葉って気持ちを表すかもしれないけど、(倫理ではなく)論理的な思考を持たないあるいは苦手だったりすると、言いたいことと意味が異なってしまったりもします。挙句、誤解されて取り返しの効かない亀裂を生じることもあります。
でもですね、そういうパターンだとしても思うことがあります。
それは気持ちがこもっていれば言葉の表現が仮に何かしらの状況により一時的あるいは生涯に渡り不自由であれ、伝わる努力というのを行動を含めた上で行います。伝わって欲しいという努力ですよね。
ですが、そうした行動を含めた努力も(倫理ではなく)論理的に的があっていなければ、誤解されてしまうことのほうが多いのではないでしょうか。
そのテーマを辿ると、最終的に人間性という問題とぶつかるのだと思います。
更に、人間性のテーマを探求していくと、悟りという仏教の表現へと到達するのでしょうが、本当のことを言えば論理的な思考になっているだけのことです。
また、ちゃんと考えていないと思われる場合についてですが、考えられなかったとしても(脳機能的な意味での)考えられないなりの本気の気持ちというのがあり、つまりどういった状況下だとしても考えられないがゆえの言葉と考えられないなりの本気の言葉(脳機能に対して頑張った割合?のようなもの?)が存在していると思います。
それゆえ、考えられない人でも考えてない人でも「考えてない」という状態が結果論としてあてはまると思います。
なので、うにさんが言うように皆が同じように同じだけ頭を働かせていると思っちゃいけないという事実が該当するとしたら、「考えてない」という事実は当たり前に関与しているものの、ふだんがどれだけ考えて生きているのかという部分がまず公式のように存在し、その公式をテーマに、自分が相手へどう質問すれば「相手が考えている深さが分かるのか?」という(自己処理の範囲での)実態へ辿りつき、いざ辿りついたら(次は自分から相手へ)、どの程度のレベルで話せば中心へ(中心=言いたいことや話したいことがぶれずに)向かう話しが出来るか?
という具合で、意外に繊細な道筋を辿ることで初めて「相手の感情のレベルや思いのシルエットが」姿を現すのだと思います。
そうしたシルエットを把握したうえで、私はこう思うという意志を伝わるようにするのですが、やはり、もともとどういう位置(レベルというか意識の深さ)で物を考えているのか、また、自分はもちろんですが相手は正しく物事を把握する能力があるのかなど、諸々の問題と取り組みながら話しをするわけですから、意志が伝わるというのはなかなか難しいことだと思います。
これが伝えるという一方通行での行為なら相手がどう思おうと関係ないのですけど、そう簡単にはいかないのが人間関係ですよね。
自分自身の出来が現時点でどうであったとしても、相手を知ろうとすることで問題の7割は解決されていくものだと思います。記事の内容とは多少ずれた回答にはなりますけど、うにさんの向かう先が「人と人の和が」テーマであるならば、現実的に「本当のこと」、つまり論理の学習もありなのかなと思います。ただし、その場合、精神の向上も同時に進行しないと、ただただむやみに増え続ける脳内の無駄な情報となってしまうので、もしも、そういった方向へむかうのならば意志をしっかり持ったうえで取り組まないといけないかもしれないと思います。
CM(コメント)のパスワードについて
プロフィール
記事一覧
軒龍卑より
最新記事
最新TB
kaiseki‐test
アクセス解析
リンク集
リンク希望の方はURLを明記して、メールフォームからどうぞ。(リンクフリーではありません)
((([\/] 軒龍卑にメールをする
(1)印の部分は必須です。未記入だとメールが私宛に届きません。(2)記号や( )、特殊文字等を入れると文字化けしてしまうので、ご注意を。
最新CM
コメントを残していきなさい(笑)って冗談です。気軽にどうぞ。
※当たり前のことですが、悪戯を目的とした書き込みや荒し行為は禁止です。
【 注意事項 】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当サイトにて公開している自作画像(または写真)や文章等の権利は管理人によって保護されています。
管理人の許可なく併載、転載、再配布、リンクを行うことは禁止とさせて頂きます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【カテゴリー別の記事】