静けさを保っている地震ですが、どうでしょうね…。
3月11日から間も無く2ヶ月がたとうという状態。またくるんですかね、地震が。
地震除けのストラップだけでも明日中には仕上げないとと思っています。一応、家族分を作っていたので。
(話しは変わるけど)静けさといえば自分自身の精神がここ数日、とてつもなく静かになっている…。この感覚に妙な胸騒ぎを感じたいところですが、胸騒ぎを通り越し波のない水面のように静まり返っています。
だからこそ余計に妙だなと思う反面、異質な者同士の混在に違和感がない自分が居る。現在はそんな状態ですね。
泉のように湧き出る静けさたちが
何処へ向かおうとしているのか
なにを求めているのか
ただそれらを傍観しているに過ぎないのだけど…
自分の底からナニカが目覚めているのがハッキリと分かります。
生まれ出る何かを拒むつもりもなく
受け入れるがための傍観。
受精が起こり始めた母体のように違和感のない交じり。交じり合い共存する、古いものと新しきもの。
まあ…
自分的には何も変わりませんが何かが起こり始めているのは確かなことですね。
霊的な未来から手招きをされ、疑うことなく無心になってその場所へとひたすら歩いている。
そこは何れ行かなくてはいけないところでもあるし、今の私が行かなくてはいけないところでもあるわけで。
だからといって、それ以上のナニカを探るつもりもないので。
ましてや鑑定をしているわけじゃないし。
そうした物事の中心を霊的に確信していれば、充分かな、と。
きっと今から先に、生きていく上で大きな変化が起こるのでしょうね。
それら変化とは目に見えて激変するのか、現実ではなく感覚的なことなのか、わからないけれど。ハッキリといえるとしたら現実がどうあったとしても、感覚的なことが確実に変化する。いや、正確には既に変化が始っている。
今は新たな扉の中へといくらか浸入した状態のはずです。
努力を怠ればステージのカラーは色あせる。
ステージと努力の関係とは、努力しなければ最新式のパソコンを使いこなせないのと同じですよね。
与えられた未来に感謝し、そして今ある意思を更に削り焦点を合わせる。
それが今の私に与えられた、人としての生きる課題です。
[2回]