人は古代から、なぜ自己がこの世に存在しているのか――、その答えを捜し求めている。
自己以外の大切な存在のために生きている人もいる。
仕事のため、お金のため、楽しむため……。人の欲望というものは尽きる事が無い。
最初は、ささやかな気持ちで1つを得れば良いと考えていた者も、その1つを獲得する事で更に次の欲望が湧き上がる。人の欲望の度合いなんて幾らでも膨れ上がる事ができる。そもそも、人は欲望により生きている事には違いないけれど、自己が生み出す欲にだけ従って行動していたら、最後には、強欲で傲慢になる。それって他人から見たら、とてもつまらなく味の無い人間だと思うよ。
だから、感謝する思い、素直な心が、尊く大切な感情だと言われるのは自然な流れなのだと思うな。つまり、謙虚な気持ちを時折正していないと、自己が生み出す欲に素直な自己が吸収されてしまうからね。まぁ、これは一般論。
私が、人間の尽きない欲望に対して思う事。それは、自己の中から湧き出てくる欲望って、正しいとか正しくないとか、無いと思うんだよ。例え欲の塊だったとしても、私は別にそれでも良いと思うの。自分以外の人間が、それは間違っている。そして、非常識だ。と、言ったとしても、自分がこれで良いと感じるなら構わないと思うんだ。
ただ、それらの多大な欲望を貫こうとした時って、割と多いのが世間一般の常識というものに関わってくるよね。
そもそも常識とは何だろうか……。
常識という言葉が出る時、
「――今時の子は、常識がなってない」
「――今は、もう、そんなの古いんだよ」
常識って、時代背景が大きく絡んでいるんだよね。昔は多かったけど、今は少ない(当然、逆の意味も有る)そういう意味合いもある。
結局、常識は不動のものじゃないんだよね。
常識が不動のものじゃないと言える事、例えばメディア。非常識を振りかざして葬られた芸能人はたくさん居ると思うの。それでも、そういう部分を客観的に見ていくと、非常識な事をしても名誉有る結果へ結びついた芸能人も、中には居るはず……。
多数の視聴者が、1人の芸能人を叩く。或いは報道関係者がそういう流れを出す。すると、波紋は急スピードで広がるよね。その状況に耐えられなくなって、姿を消す芸能人も居る。けれど、その状況を芸能人が耐え忍んだように見えると、逆に良い人に見えたりする。誰だって、気の迷いはあるんだから仕方ないよね――。そんな雰囲気が穏やかに、そして確実に広がる。
それが、他人の目。ほんのちょっとした出来事で良い人に見えたり、最悪に思われたりしてしまう。
けれど他人の目は、所詮、他人だよね。どこまでいっても自分では無いよ。
他人の目を気にする人は多いと思う。でもね、全ての他人の目は、正しいことを正しいと評価している訳ではない。正しくも無いのに、正しいように思えるのは、賛同している人間の意見が、ただ単に多いというだけなんだよ。
その多数派の意見の中には、時としてひがみや妬みなんかも混じっていたりするでしょ。しかも多数派の中には、ムカつくから、まともに聞こえる意見を理論的に言ったりする人も居る。ついでだから書いちゃうけど、まともって言葉は、自分が不純な動機があったとしても、理に適った事を言っていれば正しく聞こえるだけ。腹の中が真っ黒でも、まともな事が言えちゃうんだよ。
こんな事を書いていると、何だか悲しい気持ちになってしまう……。
…( ̄_ ̄||)…
結局、全ての人間は様々な固定観念や思考によって物事を判断していると思う。
大多数の意見のために、湧き上がる思いを抹消する必要は無いと思うよ。最後は自分。自分が本当にこうしたいと思える事へ、素直に向き合う事だと思う。
だって、他人の目だけを意識していたら、自分が自分でなくなってしまうよ。
それに人が生きていく上で大切な事は、まずは欲望を持つ事だと思う。意味を返せば目的を持つという事。
欲望って、生きるための大切な輝きだと思うんだよね。
私の欲望……。
それは、愛する者と繋がっていたいと思う自分のために生きていく。
生きる意味――、それだけでも充分。
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