心の歪みが競争心を煽り
誰彼構わず戦いを挑む。
真実の思いやりを憐れな同情だと言い聞かせ
知らないことでも知っているわと気取る。
強がりとも言うのかもしれない。
けれどもただたんに、心の歪みなんだと思う。
認めてしまえば善いと、思う。
強くなんかなれなくても良いから
少しでも自分を好きになったら善いと思う。
無理して強くなって
なにをしたいのだろう。
無理して作り上げた 仮 面 は 、所詮は何者でもない。
仮面を取れば、あなたはあなたでしかない。
人のやっていることを気にして
自己を充たそうとする前に
素のままのあなたを、あなたが受け入れたら良い。
悲しみ、憎悪、嫉妬、ヒガミ、逆恨み、そういう思いが湧く自分が大嫌いなのだとしたら
本当の思いを何かの手段で表現すれば良い。
醜い思いだけが集結したナニカは、芸術となるだろう。
地味にナニカに打ち込んだら良い、かと。
全ての醜汚である自分の思いをナニカへ吐き出すことは、心を込めたある種の芸術ともなるもの。
芸術を生み出した後に残るものは
醜汚のその思いの下に存在する、本当のあなた。
きっと……
2種類の飲み物を飲む場合のグラスの使い方と一緒。
初めの飲み物を飲み切らないうちに、別の飲み物を入れたら混ざってしまう。
だから飲み切ってから新たに注ぐ。
じゃないと味が分からない。
味が分からない――、
自分の醜汚を吐き出さないと、本当の気持ちが見えてこないのと同じこと。
混じっていたら、本当の味なんてわからないでしょう。それと一緒。
ゆえに1杯目の飲み物がどんな味かを知ることは大切。
1杯目を理解しないと2杯目に注ぐ飲み物との、味の比較ができないでしょう。
好きとか嫌いとかじゃなく、味を理解することは大切だと思う。
自分がどんなでもいい。
だって素材という掛け替えの無い、本当の自分自身なのだから。
素材を活かすには素材そのものがどういうものかを、まずは知る必要がある。そして次に、調味料と料理の腕が必要。
調味料も料理の腕も、時間を掛けて磨くあなたの努力でしかない。
味への挑戦は性格を変えていくための、努力。
どうありたいのか。
なにをしたいのか。
素材という自分を、どう活かすのか。それは自分次第。
活かすことなく、人生に幕を降ろすことはとても勿体無いのでは……。
[1回]