白月光
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白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

謙虚な気持ち

人は、謙虚な気持ちが無いと

本当のことなど何ひとつ理解できないのではないか。

ましてや

大切なものを大切だ、という

その思いの欠片さえも理解できないだろう。


謙虚。


それは

人が人として生きていく上での

掛け替えの無い

守りであり

武器でもあるのだと思っています。


また


謙虚とは、耳を傾け、無理なく心の扉を開けることなんじゃないかと思います。


そして


その思いは


心の目を開けていくことにも繋がっているのです。

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現実と思い込み

現実というのは

自分の思いという存在が

事実を歪めることで

その周りにいる人間を巻き込み


果ては、何の目的も意味も持たず


状況を波乱や破壊へと導くことが在る。


たとえば
誰かが自分へ何かをいった。

その顔が

その言い方が

むかつく。


その瞬間

事実という本当のことが剥離(はくり)してゆき

歪んだ思い込みが

今という事実を捻じ曲げて理解してしまう。


そうした経験は誰にでも在るとは言いがたいけれど
それでも
善いことではないと思う。


たとえ、相手がどんな言い方だとしても
なぜ、それを言っているのか。ということを理解しないうちは
同じ土俵での話にはならず。

それでは、ただの嫌がらせにしかならない。

だからこそ

どんなにむかついたとしても

そのむかつきを正当化させたいのであれば

一旦は、自己の思いを封印するのではなく、脇にどかし。

そして、言っている目的を咀嚼(そしゃく)する必要が在ると思うのです。


咀嚼して

意味を

意図を

理解すれば

自分が、正しいことは正しいのだと。

間違ったなら、ごめんなさいと。

そう素直に言えたりするものだと思うのです。

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宣告者

しなやかな獣は

脆弱(ぜいじゃく)な獣に惹かれ。

脆弱な獣は

しなやかな獣に惹かれる。


惹かれあう意識が現実化するのかというと
そうでもなくて。


たとえば

しなやかな獣の立場から見て

世間の評価が

自分を美化しているとする。


だから

きっと

しなやかな獣とつり合うんだよね。


結局、世間の評価という沈黙の視線が伴う。


だったら当然とばかりに
自分に相応しいしなやかな獣を選ぶ。


でも


本心ではなかったことが
時を経て
我が身に戻り

何れ離れてしまう。


だからといって

光り輝く立場のしなやかな獣が
脆弱なけものを選んだ場合

世間の風が

とてつもない障害となることも在る。


屈辱。

侮蔑。

嘲笑。


そんな細々としたことを考えていくと

結局は、生をどうとらえているのか、とか。

愛をどんな基準で見ているのか、とか。

個人の価値観の問題になるのだろうと、そんな風に考えがまとまってしまう。


でもね

思うことが在る。

仮に個人の価値観だとしても。そうだったとしても。


本当に好きなものを好きなままで貫けるというのは

努力も

忍耐も

精神力も

そういうのが持続しないと見失ってしまうものだと。


だから

そういう内面の本当を無視するから…
見ないフリするから…

惹かれあったとしても

世間という風に流され

何処かで自分を裏切ってしまうことがあるんじゃないのと思う。



ただ、ただ、

人に見せるだけのために

自分を他人のように、駒のように、扱う。



自分の本当が何処に在るのか――。

それは人生の中で気配を隠しながら、時として現れる宣告者なのだと思う。

宣告者は自分の中にしかいない。


そして


嘘には嘘が返り

本当には本当が返る。

つまり
自分が自分自身を現段階で理解している範囲の答えしか返らない。


こういう言い方は
残酷のように見えるけど

残酷じゃなくて。


ただ、自然の厳しさのように

在るがままを伝えるだけの存在。

それが在りのままの今の自分という、宣告者(自分の思い)なのだと思うのです。

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女神

先日、ある小説を読み終えました。


その小説は
現実に在りえる事柄をテーマにし
あえて殺人を入れ込んで完成させたような作品です。

主人公が現代版のノイローゼであり

小説全体の波でもあり。


この世の全てが

誰かに見られることを意識し

完璧に演じきろうとする。

そういった異常性を持ち

また、美貌を持ちあわせた女性。主人公。


その小説を読み終えて感じたこと……。

親の愛情が与える影響力の強さ。

そして

結局、人という生き物は、基盤になった愛がこうした結末も生んでしまうのだなと。
心ばかりか脳までも変形させてしまうほど、基盤の愛の影響は大きく。

それゆえ、人生の軸を容易に変えてしまうことも在る。


だから

自分で変わりたくても変われないくらいになることがある。

重い十字架を背負うというのは
自分で仕出かした罪ならば仕方ないのかもしれない。

だけれども…

いわれの無い無実の罪を
傷をえぐり塩を塗りこむように
幼い心へと強制的に罪という十字架を背負わせる。


十字架は

月日を増すごとに

本当は自分が悪いのかもしれないという、錯覚にとらわれたりもする。

無垢な白へと垂らされた、どす黒い染みは
腐臭を伴い、白を黒にしてしまうことくらい、平気だろう。

きっと、思っているよりも、白から黒へと変化することは、ずっと簡単なことなのかもしれない。


愛は

尊いもの。


愛はかけがえの無いもの。


だからこそ
履き違えた愛を
愛なのだと

これが愛なのだと

押し付けてはいけないんじゃないのかと思う。


それは

子供ばかりじゃなくて

男女の愛にもいえることで。



愛はとても無力で。


無力だから強くて。


そして
破壊的だから弱いもののように思える……。


しなやかな獣のように
愛は瞬時に動きを変えるものだと

そんな風に感じたりもします。

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森の小人


03-1.JPG

森の中には小人がいる。

そんなことを子供の頃は信じていました。

よく童話や絵本なんかに登場する、小人。


悪い小人も

善い小人も

それぞれの物語には存在してて。


どうしたら小人と会えるんだろうか?なんて真剣に考えたこともあった。


何時からか

そんなことが在るわけが無いと

信じなくなってしまったけど。


でも、未だに妖精や小人の絵が好きなのは

きっと子供の頃の影響かもしれないですね。


そういう意味での好きでいったら

タロットとか、小人のヤツを持っていたりします。

なんか、癒されるから好きなんですよね。



子供のまま大人になってしまう。


夢を見続ける、大人。


そんな一面が、誰にでもあっても好いと思うのです……。

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拍手のコメントのこと

拍手機能を付けてから

毎日ではないのですが

拍手のついでにコメントを入れてくれる人が増えてます

それを見て、ひとりでにんまりしている、私。


なんか、あったかいです。コメント。

ブログ内にコメントで書いてしまえば、当然、コメント欄にアップされます。
でも、拍手は、相手から私への一方通行なんですよ。
それでも書いてもらえたと思うと、素直にうれしいです。

拍手機能を設置して、速攻でコメントをくれた人もいて…。

どんなもんかな?という気持ちも多少はあったんです。

だから、コメントが入っているのを見た時は

パソコンの前で

花畑になっていました。はい。

それとですね
拍手のコメントとは別として
拍手してもらえて、ほんとにうれしいです。

でもね、拍手のコメントと拍手、コメントをしてもらえるような記事を書こうという意識ではなく。
書いた結果が、コメントや拍手だった。
そんな気持ちでこれからもブログを書いていこうと思います。

ではでは

感謝の気持ちを込めて……。


ハルカ

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真ん中と本当のこと

ついさっきまで、とあるお人と電話で話をしていました。

まあ、もう少し詳しくいうと
昨夜から今日にかけて数回の電話のやり取りです。

ちなみに、その人には大抵のことは話してしまう、私。

で、たまにですが
ちょっとばかり小難しい話とかもするのです。

心理学的なこと

医学的なこと

哲学的なことなどなど……

そんな感じで、いろんな話しをします。うん。ジャンルは上げていけばキリがないですかね。

内容が内容だからといって、弁論大会みたいになるわけじゃないんで。

まあ、ふつうの会話だと思っています。……違うか。


で、たまたまなんですが、話の成り行き上、本当のこととは?という質問をされました。


タロットに正位置と逆位置があるけど
それらを一行でまとめたら何ていうか。

という作業を以前やったことがあると相手にいったんです。

その真ん中になっているのが本当のことだよねと。

つまり

仮にタロットだとしたら真ん中が在って

陰が強くなれば逆位置となり

陽が強くなれば正位置になる。


だから記憶の悪い私には、理詰めで真ん中を憶えてしまえば楽でしょ。
という意味で真ん中という本当を一行で出したんですよ。


それで、一行というのには訳があって。

無駄な贅肉を落とすような意味になるし

より明確な本当が浮かび上がる。


で、結果的に一行が丁度良いということでやったんですよね。


その人と話している時、自分で自分の記憶を辿りながら話したのだけれど。
日々の生活で真ん中しか考えていないかもと、相手に言いつつ再確認しました。

確かにね、日々考えることって

今は(たとえば陰がつよくなっているから)こうなっている。
じゃぁ、それを真ん中にするにはどうすればいいのか。

…だったら、○と△を足そう。

みたいな感じですかね。


まあ、仕事が仕事なんで。

もともと、そういう状態の思考癖でしたけど

仕事の年数がたつにつれて

思考の癖の強さが更にパワーアップしている気がします……。

別に、そんなことはどうでもいいんですけどね。


でもですね。

やっぱり記事として書いてみて思うんですが

真ん中という本当のことを意識するのは大切だなと思います。


だって、本当のことが明確になれば

無駄な行動も思考も無いし。

的確な判断ができますもの。

それに、意味も無く恐怖に怯えることも無いし。


こうして記事が書けたのも電話でお話してくれた人のお陰ですね。
…その人とは、ばあちゃんになっても仲良くおしゃべりがしたいです。ふふん

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ヒョウとアラレの真ん中…かな?


100113_1422~02.jpg今日の福島市は、昨日に引き続きとても寒いです。


ちょっとばかり福島市飯坂町に用事があり出かけたのです。が、

粉雪が舞っている?

と思っていたら




どうやら違ってて。100113_1426~010001.jpg


ヒョウまではいかないのだけど

アラレとヒョウの間のような…

100113_1422~01.jpg
なので


思わず携帯を取り出し写真を撮ってしまいました。


画像にしたものを改めて眺めてみたら




なんかね


まるで


発泡スチロールのようで……

100113_1423~01.jpg
100113_1421~03.jpg
思わず子供みたいに手にとってみたりして



あ、粉雪やぼたん雪と違って、なかなかとけなかったですよ。





それにしても寒いですよね……。

こう寒いと行動範囲が絞られてしまいますよ。ほんとに。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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