白月光
白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

型のある生活

型――。
それは人が人で在るがゆえに辿り着かなくてはいけないという
遺伝子に依存した「考えのひとつ」なのだろうと思う。

どんなことでも多くの人は型を持ちたがる。
心理分析にしても「粘着型」とか。

なんていうの、そういうのってさ…

悪く言えば

血液型占いくらい意味の無いことかも。
なんてね、思うの。

まあ、その型にちなんだお話をひとつするけど。

少し前に優しさについての記事をこのブログであげた。
ほいで、その優しさとは後付であり、
ただの結果論を
「優しさ」
としているとそんなようなことを書いたと思う。

つまり、「優しさ」という「型」。

それが大きな顔をして蔓延ってしまい、
本髄になっている眞の思いやりが陰を潜めてしまう。

その結果、

優しさってなに?
本当に優しいとはなに?

ふと、人生の岐路で立ち止まり考えてしまったりする。

また
親が子供に教える優しさって
(年齢にもよるけど)優しくしてあげなきゃ。
なんてね、そういってしまうことが多いと思うよ。

要は、優しさ自体、本当の意味も知らず
ただただ表面の体裁を取り繕う。
そう意味を取ろうと思えば取れてしまう。

そこに、挫けずに、思いやりを!とか願ったとしても
届かないことも在ると思うの……。

しかも、優しくと説明しながらも
優しくという意味を理解してなかったりもする訳で――。
ああ、つまり、優しさを理解しているなら説明してよと言われ
実際に説明したとしても
筋の通らない論理的ではないものという意味なんだけどね。

型とは、型の質を型の意味を熟知して
そして初めて巧く使いこなせるものなんじゃないのと思うよ。


だけれどもね、ひとつ書き残しておくけど…。
型って「…的」とか、「…性」とか。
そういう、曖昧なのだけど、まるで曖昧じゃないものとして存在している。あの感覚と似ているのかもねと思うよ。

だとしても…
曖昧もこの世の本当だよ(笑
なんというか…、なんでも在りがこの世だよと思うね。

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白と黒だけに拘る必要などなくて…

陰陽を勾玉で形どったマークがある。
俗に言う陰陽のマーク。

また

長所と短所という180度のラインを画(えが)いた
対極がある。

他には

二重人格や
本音とたてまえ…など。

きっと
まだまだ対極になっているものは
天文学的な数字として存在していることだろう。


これら異なりの中心は
真空のように尖った切っ先を剥きだしにし
互いが対立する力が働いているもの。

しかし
それは真上から見るから対立となるわけで。

じゃぁ、対立ではない状態が存在するとしたら
それらは何なのかということになる。

たぶん
その位置は
修行僧たちが挑み続ける精神の聖地なのかもしれない。

陰陽のマークにしても
短所と長所にしても
これらは中心点から生え出てくるまで待ちわびて名づけている。

つまり、中心から何かしら生え出てくるまで待ち、
これを「陰」とするみたいな意味なのだけど…

これって後付でしょ。

発信源となった物事はもっと違ってて
陰に出ても
陽に出ても
発信源から見たら

どっちに出たとしても

なんら不思議ではないということだとそう思う。

要は、蛇に咬まれました。
蛇に咬まれた場合の症状は以下の通りになります。
しかし、その症状には個人差があり……。
とまあ、こんなようなもんでさ。

この場合の陰陽の中心点とは
「蛇に咬まれたこと」
というものでしかないわけ。
その中心点を軸にして、陰陽と言われる症状が個人差によってでてくる。
ということだよね。

結局ね
陰陽というから変に考えてしまうだけのことでさ。

まあ、陰陽でいったら
白と黒
光と影みたいに
そういった対極という固定観念から離脱し
全くエリア違いの思考を持たないと

本当の中心点は分からないよってことなんだよね。

なんていうの…
時々、思うのはね。
哲学にしても思想にしてもさ

見えているものに拘りすぎて
何が基準で稼動しているのか。
そういうことを無視して、
この結果だとこうだよ、ああだよ。
なんてね、そうなっているように感じます。

見えるものに頼りすぎて考えるから
おかしいことを言い出すのかもねと思ったりもするよ。

感じたものを心の目で見て
そして
自分で整理して考える。
すると
自ずと中心点の方から
自然に寄ってくるもの。

そんな風に私は感じています。

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中心点の探求

あなたの中の中心点も

私の中の中心点も

この宇宙の中心点も

宇宙の中の惑星である地球の中心点も

全ては同一のラインを描くもの。


そして
それらのラインは
中心点として存在し

時と場合に応じ
野生のけもののように
柔軟に
点を移動させるもの。

点は月の満ち欠けや
太陽が昇り日が沈むように
色を変え

同時にラインを引く

数学では解き明かせないような
異質のもの同士が
互いに存在し
同時に稼動する。

魂の中に在る中心点は
ラインができると感応し震える。
振動はラインを伝い
言霊が届く。

たくさんの感応たちが
この世を舞う

白であれ

黒であれ

感応した魂は

皆が皆

中心を結ぶ点と線となり

その色は
色を持たぬ
透明な光なり。

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歴代の高僧が垣間見てきた秘儀

中心点。そこに普段は表面に出ない奥義が鎮座している。

奥義の中は
何時の世も
歴代の高僧しか垣間見ることができず
 
いつしか

庶民が誇大な妄想をし

中心点の奥義を神聖化してしまった。

だけれども
それらの中心点とは
俗であり本能となんら変わりのないものだったりもする。


人の心には鬼が棲むという。

しかし

鬼のように見えるだけであり

鬼ではない。


その鬼に見える原型とは
至ってシンプルで。
案外、鬼と真逆の生物が巣食っていたりするもの。

たとえば

怯え

恐怖心

恐れ

萎縮

過大な気遣い

など……

数えれば切がないような
そんな生物が存在する。


それらの生物は
光を嫌い
太陽を嫌う。

だけれども
光も太陽もその全てが自分に向けられた時のみに
反応する。

つまり我が身が陰となり月となることを忌み嫌うもの。

愛に飢えた
その矛先が身を守ることであり
また
何れの末路も
光と太陽という防壁にしがみ付くことをする。

歴代の高僧のみが垣間見てきた奥義は
哀れな邪鬼と成り果て
なんの武器も持たないような
愛に飢えた生物なのかもしれない。

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白は黒く黒は白く

白と黒。
陽の当たる方を白とし
陰を黒とする。

白は誠実なイメージがあり
黒には不適な暗雲がある。

そんな対照的なふたつを
霊的なビジョンを通し見てみると…
いや、そんなのじゃなくても
まともに肉眼でもだけど
案外、白が黒で、黒が白だったりする。

人の外見や表情も
そんな風だったりすることもある。

また
呪術の世界でもそんなような空間はいくつもある。

白は黒
黒は白

今宵、秤にかけられる白たちは
如何様なものとなり
この世に姿を現すのだろうか。

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獣性と人間性そして霊性へ

獣性と人間性はもともとがひとつで
また
本来は分離するものではなく
ふたつが合い混じり独りの人間をあらわすもの。

心の奥底に沈む獣性を
忌み嫌う無かれ。

大地から零れた命の証である獣性を
我がものと認め
受け入れること。

獣性を忌み嫌えば
鬼となり
蛇となり
それ故、我が身を滅ぼすもの。

人はもともと天地と一体なのだから
その場所に
在るべき姿に
戻ればいい。

だけれども
人間性という
シンボルを持ち
この世に生まれてきたのだから
けものとしてのみ生きていくことはできない。

だからこそ
人間として生きていくために
眠れる獣性を人は受け入るもの。

また

それらの受け入れる行為とは

獣性を受け入れることで
獣性と人間性が依存している魂が震えだし
震えは更に肉体と共鳴し、
肉体という世界に異変が起こる。

霊性が磨ぎ澄まされ、
霊性が天地の真ん中を捉える。

それは霊性の高まりをあらわし、
精神の昇華へと必然的に繋がる。


故に、人間性と獣性の統合。
つまり獣性を受け入れるという行為の意味とは、
案外、簡単なことではないのかと思う。

幼き心を忘れてはいけないという
ただただそれだけのことなのかもしれない。

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カバラ思想の歴史

カバラ思想というのを聴いたことがあります?!

カバラ思想とは、
タロットの種類(流派みたいな???)の中に
ウェイト版のというのがあるのだけど、

そのウェイト版のタロットの謎を解く鍵になっているのが
「カバラ思想」

ほいでもって、カバラ思想とは
キリスト教と物凄く深く絡んでいるらしく…。

それで、キリスト教の正典になっているある一部に「Tora(トーラー)」というものがあるのだけど
それってユダヤ教の正典が元だとか…。

で、Toraとはタロットカードの中に出てくる象徴でもあるのです。

つかさー。なんのことやら…。頭が崩壊してしまうわ。


…調べるのは善いのだけどね。

なんていうの

カバラ思想を理解するために
途中で図にして自分で書いてみないと
何がどうなっているのかがハッキリいってさっぱり分からなくなってさ……。
いや、ほんとに。

ほいで
図を書きながら、中学生にタイムスリップしたような気分になったよ。

しかも、ものすごく嫌なツボに入った勉強内容を学ぶ私みたいなさ
そんなイヤ過ぎる光景そのもの。

まあ、あとはね、「生命の樹」について少しばかりお勉強しないといけない(苦笑

家庭教師のような奇特な人が私の隣にいてくれたら
もう少しお勉強もはかどるんだろうけど…。

ああぁ…。

休憩したら、またお勉強しよう。

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よく聴いてた曲

つい先日、つんくの歌声をラジオで聴いた。

実はね

このシャ乱Qが流行った頃、たくさんの熱い思い出がある私…。
なにが熱かったのかって?
そんなこと教えるわけないでしょ。お恥ずかしい(笑

まあ、というわけで一緒に浸ってくれたら嬉しいですね。


http://nicosound.anyap.info/sound/sm1196525


http://nicosound.anyap.info/sound/sm3271878

ちなみに、ここ最近のお気に入りBGM↓

http://nicosound.anyap.info/sound/sm6228152

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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