さて、今回は先日
ブログ記事へコメントを入れてくれたさんへの回答を私なりにしていこうと思います。
鬼が全面に出ている人を相手にするということは、自分の精神力を試されているようなもの。
つまり自分の未熟さが辛い状況にも関わらず有り得ないくらいに自分へ重圧をかけてくる。
自分へ重圧を与える相手が大切な存在であれば在るほど、のしかかる重圧は重苦しく、自分自身を更に奈落の底へと引き擦り込んでしまうもの。
だからといって自分の精神力が生えてでてきてくれる訳でもなく…
現実は悪循環として虚しく空回りする。
まあ、鬼を前面にした相手を前にしたらこんな状況や心境が目に浮かぶ気もします。
私、こういうのって結局は生き方なんだって思うんですよね。
なんていうか、その鬼を全面に出している相手に対し、いかに自分が本気になれるかということなんじゃないかって思うんですよ。
本気だからこそ、自分の中の真意を智という技を駆使し、いかに伝えられることができるのかという。要は今の自分という人間性が多いに関与しているのだと。
ただね、
相手の鬼が髄にまで浸透してるのか、していないのか。
という回答の中心にテーマが迫ると、それは鑑定しないと当然わからないです。
だとしても、そのエリアの判断の全てを含めたとしても、言えることは前文と同じですね。
だって…
本気で伝えることが大真面目な話し合いである場合も在るし
また
酒を呑みながらなんとなくの流れにあえて乗せたまま話したりもするし
そして、日常の中での口論もあり、会話の中にもあるし。
そういうひとつひとつの表現が人間性ですよね。
だとしたら、やっぱり伝えることが苦しくても続けるしかなくて。
だけれども、その前に、相手の鬼の本当を見る目も必要なわけで。
けどね、結局は、今の私自身という現実の自分でしか対処できない。
それは必然の道理でしかないんだよね。
どうにもできないことまで
どうにかしようとしたら
心が疲れてしまうよ。
今の自分にできること。
まあ、それを丁寧にこなしていくことでしか正の道は存在しないからね。
まずは
問題を抱えすぎている自分。
できないことまで、できるんだって自信過剰になっていないか。
そういう盲点を探り、そして手放すこと。
多くを抱えて潰れるのではなく、身軽にしてひとつを確実にこなしていくこと。
それを目標にしたらどうかなと思う。
それとさん。
更なる質問を受け付けますよ。
遠慮なく、どうぞ。
鑑定に値する場合は告知するので、思ったことを書いてくれて構わないです。
また、スルーしてしまってもぜんぜん平気ですよ。
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