白月光
白月光

白月光

あなたは本当の自分で生きてますか?

この世に生息する超自然産物

悪鬼のごとく
夜叉のごとく
腹の中心が歪み
精神を啄ばむ者。

自分の中の弱い自分を脅かす何者か。

自分の中に居る
自分という悪鬼。
自分という夜叉。

それらは本当に

何者か

という自分以外のものなのだろうか…。

本当は自分以外の何者でも無いのではないのか。


世の常識と

我の常識が

歪みを生じ


いつしか

手の施しようが無いほどに歪曲し

その中心は蛆がわき

悪臭を放つ。


それだとしても
我が常識を振りかざし
浅はかな自分を曝け出し
カラカラと笑う者。

その者は

何ゆえ
我が道を行くのか…

存在同士の
意味が在るように思えたり
宿命なのだと神のような善良さを
周りの人間が持ったとしても

哀れ

本当の現実は善意だけでは乗り切ることは難しく。

知恵と勇気が人生には必要だったりするもの。


悪鬼であれ
夜叉であれ

我が腹が望んでいるならば

それもこの世の本当なり。

故に
それらを善良という道へ招待するということは
時としてその者への否定と
その者の毒の華という幻影にまんまと騙されるもの。


だからこそ

周りの者が

超自然に生息しているその者を
悪鬼を悪鬼なのだと本当のことを認める勇気と

悪鬼が猛毒でしかないのだと伝える智が必要なのだろう。

運が良ければ
悪鬼の中に残る善良な心の目を開き

眞の絆を生み出すもの。

それだから
運は運にあらず――、
その境地に辿り着くものなのだと思う。

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目覚めと幻影


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巨大な壁も

巨大な岩山も




全ては


己の恐怖心や浅はかな読みにより巨大化されていく。


だけれども
心の中に在る風景に敬意をはらい


腹を据え


何者にも囚われぬ精神を探し当て


最後の段階で殺気が消え
意を決することに成功した時


幻影は風に巻かれ煙のように消滅していくもの。


しかし


幻影を失い

恐怖や

逃避という逃げ場を失ったその代償は

自然の厳しさという猛威となり
皮膚に心に人間本来の痛覚を呼び戻すもの。


それだとしても

自分が自分に吐いた嘘の代償は
見極めればただのプライドという名の煙でしかなく。


だから

まるでスローモーションのように

煙になった幻影の時空は
殺気が消えると同時に現実との時差をへだて

壁はもろく崩れていく土壁へ

岩山は砂山へと

現実の姿が
この世の眞が

精神の目覚めを覚醒するもの。

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かりんさまなのだ

つい最近のお話。

たまたまお買いもんに行った時に
1回200円のガシャボンが目にとまった。

だって
「カリンさまのストラップ」(ドラゴンボール)が売っていたから……。

…とてつもなく
かりんさまが欲しくなり……


200円を投資


その結果、

1回の投資でかりんさまと初対面(笑

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いやいや


うれしいね


うんうん。




ギャンブルはしないけど
こういうくじ引きはよく当たる私。
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こないだも

コンビニで
なんかのカプセルに入ったかりんさまを当てた。


当たるわけがないでしょ
ってな顔をしただんなさんを尻目に

ごそごそとカプセルをあけつつ…


ふふーーーんっ

(かりんさまが)当たったもんね と、威張る私(笑


なんていうのかな…。
こういうのってばさ
何の交じりも無く

当たれ

当たれ

と念じると
当たるものなんだよ。

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写真に写るもの

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福島の秋は駆け足でやってくる。

あちこちで秋桜やススキを目にする機会が多い。





秋桜は大好きな花だからうれしいのだけど

夏らしくない夏の終わりにちょっとばかり不満だったりしてる。


私は秋になると写真を撮りたくなってるのだけど…
だから、そのためにもそのうちもう少し画素数のいいデジカメを買いたい。

でも結局は
まだこれ(今在るデジカメ)で大丈夫。とか思い、買わないのだろうと想像はつくのだけどね(笑)


写真とは、世の本当を写すもの。

それは画像の中に納まった世の本当もあるのだけど
それだけじゃなくて
撮る人の心の本当も写してしまうのだとそう思うよ。


たまに写真集なんかを本屋で立ち読みしているとさ


心が写っている写真と


心が全く写っていない写真がある。


まあ、それって、写真に限ったことではないけどね。

結局はさ、

―きれいなのだけどつまらない―

そう感じてしまう何かがあると
折角の絶景も枯れてしまったように思えてしかたが無い。

だからこそ、魂の作品を追い続ける職人へは激しい魅力を感じるもの。

というかさ…
心の写らない作品って、
どんなに評価が高かったとしても
勿体無いよと思うのは私だけなのだろうか……。

しかも

評価の高いものの中には  

心の温度さえも感じ取れない。

そういうのもあったりする。


まあ…。それだとしても、それも世の本当なのだと…。そう思うよ。

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神聖な水の中で生きていけたらと思う


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私の中にずっと在った

中世に生きた女性が身を清めているイメージ。







まあ、ここだけのお話しだけど……

時空を超えて
過去とかにいけたら面白いのにと思ってしまう(笑

…こういうのを結構まじめに考えてしまう私とは一体


そういやさ、子供のころもそんなことを考えていたっけ。
たぶん、時代的にドラえもんの影響ですね。
あののび太の机の中というやつだね。


ところで

ここ最近の私は…

ある一線というか

とある時空を超えたことで
(というか新たな運命を受け入れたといった方が確実なのだけど)

そういう何かをひと超えした達成感に浸る間も無く

前に前にと前進させられている日々を送っています。

…とはいっても
当然それは精神的な事柄でして。

その中で
人間関係にも多大な影響が出ていますね。

その結果、
私の周りで起こっている様々な変化を目の当たりにしています。

かなしいとか

さみしいとか

空虚とか

そういうのではなくて。

なんというか…
風景が目に映るごとく自然に受け止めています。

そして

それまでの過去の全体を整理しているのだけど
(あぁ、何がどうなって今に至ったのかという意味なのですが)

その過去の全体像を整理していくと
途中で色んな意味で(自分がやってきたことに)気が付くことがあるんですよね。

それは

誰かから見た私はこうなのだろうけど

でも

それは

誰かから見たらということであって

本当のことではないのだけれど


それでも


時として

その「誰かから見た私」というのが
この世の本当でしかなかったりするわけで。

たとえ

その私という見えている人間が
誰かの中だけの常識だったり真実だったとしても

結局は

それが

この時代の

この世の

本当でもあるのだと――、
なんだか
そんな風に感じています。

これはかなしいとか落胆してとか
そんな意味ではなくて。

ただたんに

ある側面から見た本当というのが浮き彫りになった。
いいや、違うな…。

…そうじゃなくて

考えていたのはある側面かもしれないけど、

紛れもなくこの世の本当の一部だったということが
今になって理解できた。

ということですね。うん。

まあ、時代の流れを読むということは簡単な事ではないのだと、そう思うんです。
それもこれも
全てはこの時代のこの世の自分という人間を(または物事や状況を)判断している誰かの目が
時代という波をつくっているのだと。
そして、その波の何処かに乗らなければ
人は世捨て人になってしまうのだと

今はそんな風に感じています。

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神秘の奥へ


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天災は時を選ばずに天より舞い降りてくる。

人の力の及ばぬその力は

人の心を如何様にでもへんげさせ
如何様にでも命を流動させる。

月の力が海の水へ影響を及ぼし
命の神秘を与えるように

人は
人という立場から
神秘という魔界の中に入ろうとする。


その中は濃霧であり

音を

感覚を

奪う場でもあり

神秘という、知ってはいけない何かがあり
知るべきではない、何かがあり…

もしかしたら

神秘とはそんな神聖な場所かもしれない。

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恐怖心という心の中に棲む魔物

理性は恐怖心に勝てない。

そういう言葉を聴いたことが在る。
確かに恐怖心が全開になっていたら理性など何の役にも立たないし
ましてやそれまでに頑張って積み上げてきた智でさえも透明にしてしまうもの。

それくらい恐怖心とは
下手すれば人格を根底から崩してしまうほどの破壊力を持っているもの。

しかし

その恐怖心とは本当のことを直視できぬが故に起きている心の現象なのだろう。

また
その本当から目を逸らすことを逃げるという。


たとえば恐怖心の原動力のひとつに、自分の能力を超える事柄へ抱く「恐怖」というものがある。

それは、事柄からの重圧はどうあれ、
その事柄により失敗する可能性という予測という意味なのだけど。
そういう予測(時として妄想)を感じると自動的に脳内で軽い異変が起きるもの。
その異変は神経でも在るし、分泌物からのものでも在る。

けれども

それらの重圧という失敗から目を逸らし逃げるということは
結果的に適当な人間だとしか判断されない。
そしてその適当とは真剣ではない者。いい加減に、中途半端に物事を捉えている者。
という評価を得ることになる。

この評価は他人から見たらというよりも
この世の本当なのだと感じている。

誰の心にも恐怖心はある。
だから、世界を渡り歩くような社会的成功を収めている者ほど、恐怖心は魔物のように巨大だろうと察するもの。

その魔物の存在とは
成功という責任を遂行するには必要な切符のようなもので

だからこそ

大成するものだとそう思う。

人は最後まで人であり
人で在るからこそ
人としての責任を真剣に捉え
心の躍動と共に責任を遂行できたらと思う。

また

成長過程の何処に位置していたとしても
そういう人で在り続けたいと思う。

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雨が降りそうかもですね

おはようございます
今日の福島市はとても曇っています

昨日今日とちょっとばかりですがひと波乱ありまして
まあ、今日になってなんとか風向きが安定してきました。
結果としてよい方向に流れています。

少しホッとしている私です

なんていっても黒猫が四回で(意味不明…)
しかも肩が外れてしまうんじゃないかというくらい
一時は重たくなって(これも意味不明…)

だけれども
(私ではないのだけど)災難は去る方向に向かっているのだ。

それにしても、ほんとホッとしています

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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