ここ最近、新堂冬樹の小説に嵌まっている私です。
新堂冬樹の小説を初めて読んだのが「殺しあう家族」だったのですが――、
あの小説の世の中の評価は、レビューとかを読んみるとわかりますけど…
賛否両論です。
でも
私的には、
精神科医の域にまで意識を到達し、
精神科医ではなく自分側からの本当を書いたのかな。
と、そんな風に思いました。
まあ、だとしても、あれは読んだ後、ヘドロのようなものが胸の中で繁殖していくかのように、胸から喉までモヤモヤするというか…。
そういう意味では、決して、気味のいいものではないですね。
小説って読んだ後、良くも悪くも読者の肉体に何かしらの思いを残すもの。
たまに何の感覚も残さない爽やかな白いカーテンの似合うホラー小説があります。
読み終わっても感じないというか…。
跡形も無く存在がすっぽりと消えうせるような、そんな小説もありますけどね。
そういう小説は、その作者のどの小説を読んでも印象が薄いというより、印象が無いかも。
しかも心に響かない。
そんな感覚を私は受けてしまいますね…。
全てではないですけど、絶賛されている本が素晴らしいということは無く。
また、否定されている非難されているものが価値が無いのでもなく。
つまりは正しいものが間違いだと言われ、間違いや最悪が正しいといわれていたり。
なんというか、ありのままが世の中には伝わらない。
そんな人間の不可解な反応を感じたりしますね。
まあ、だとしても結局はその人の価値でしかないわけでして。
○だとか×だとか、そんなんじゃなく。
どう思おうが自由ですよね。
それに当たり前の現象だとも思いますよ。
それにしても…新堂冬樹。
実際はどんな人物なのだろう。
そんな想像をしてしまいます。
新堂冬樹は(芸能界)新堂プロをやっているというのは知っています。
ついでに(新堂プロの)HPに顔写真も載っていますが――、
あの風体とは違う何かがあの(小説の)世界を描(書)かせているのだろうなぁ…。
なんてことを独りで考えてますよ。
何を見てきた人なんでしょうね。
そして、突き動かされるようにその世界に浸かる理由は何なんでしょうね。
そうしていないといけない訳があるんじゃないのかな、なんて、勝手に思ったりしています。
まあ、しかし、これはあくまでも想像ですよ。
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