白月光
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あなたは本当の自分で生きてますか?

魔王

2年前、お花見の季節に信夫山(←福島市内)で、どんとこい(←福島市内の飲食店を経営する女将さんのお店)の繋がりで占いの屋台を出した。その時に、占いと一緒に、焼酎も出したのだ。
で、この「魔王」は、だんなの地元(鹿児島)では「1.8Lで3000円」しないで購入できた…。そう、屋台で魔王をメニューに入れたのだ。で、他には、黒龍とかも(その他いろいろあったのだけど、名前をすっかり忘れた)置いたんだよ。0669ed6b.jpg

それが、先日、お買いもんに行ったとある酒屋で販売していた「魔王」は、20000円…。げっ、高っ。
別に、私は焼酎には興味が無いからよいのだけどさ。呑めるものなんて限られているし。
そういえば、痩せてしまうと、酔いやすくなると聞いたことがあるよ。確かにそうかもしれないな。

そそ、ところでさ、画像なんだけど、魔王の隣りの森伊蔵だけど、製造本数が少ないから値段が高いそうで。
ちなみに、魔王は飲み口が良いらしいね。

酒を飲むことで、ストレスが幾分か発散されるよね。ま、酒は百薬の長とも言われているし、飲みすぎなければ健康維持には良いものだと思うのだ。

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冬の東北~2月の山形県米沢市

※画像をクリックで拡大


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歩道が雪で埋まり、道路を歩く学生





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R13号線



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亀岡文殊にて


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石段を登る途中で水が活き活きと流れていた



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神聖な…
そんな雰囲気

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つらら
写真じゃ分かりづらいけど
結構大きかったよ。
私の上半身くらいあったかも
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すごい吹雪で前が見えません…
真っ白


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雪かきマシーンは、100万くらいするそうです


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真っ白な雪の上に寝てみたい。
けれども、冷たいし、寒いよなぁ…




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自然の厳しい顔
東北の冬




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恋をするときれいになることについてのボヤキ

恋をするときれいになる。うんうん。確かにそうだよね。

でもさ、結婚してしまって、不倫する訳でもなく、せかせかと主婦しながらお仕事していると、そんな暇は無いぞと思う人も居るはず。

でさ、素朴に……。その場合、いつ、どんな風にきれいになれるのだろうか…。

お仕事で充実している人は、活き活きしている。男の人でもそうだよ。
けれどもさ、アレってば、その魅力とは違うよね…。
あ…、だとしてもさ、浮気しかしない人。そういうタイプの落ち着かない魅力とか、きれいさとか、それとも違うわけだよ。

だんなさんとうまくいっている女性も満たされてきれいだ。

…けれども、恋をしている女性のきれいさとは違うのだ。

………う~ん。恋か…。


……。


…………( ;-_-)……。


ま、いいや。深く考えるのはよしておこう(笑)

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はぁ~愚痴なのだ

ま、私の愚痴。

同業に対しての愚痴だ。

あそこの何々の占い師のブログ(或いはHPとか)がどうだったよ。なんて、言われると、つい見に行く私。(ただ単に野次馬根性丸出し)

で、速攻で嫌な気分。

ん(; ̄  ̄)……おまえ、気取るなよ…。

と、瞬間的に理解してしまう。仕事上、占い師は「頼れる人」、または、「スピリチュアルな世界と通ずる人」。そんな皆様の目を利用しすぎだあぁ。あ、けれどもさ、商売という本質を私が理解していないのかもしれないな。これでも、商売人(←親)の子供時代を送ってきたんだけどね。

いやらしい戦法。金金金……。ソフトな雰囲気に群がるソフトな会話。

うーーーん。

つか私には小っ恥ずかしくて、無理っ。体中がかゆくなってしまうわ。
まぁ、だとしてもいいのだ。分かる人には分かるだろうし。分からない人には分からない。

私は、私なんだし。
……どうでもいいや。そう、同業のやり方なんて。

ふぅっ、ちょっとはスッキリしたぞ。

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大丈夫はかわいくないのか?

「大丈夫だよ」

この言葉は、年齢がかさむほどに、「大丈夫」と、口にした人間がかわいくなく見えてしまう言葉のように思える。

強がっているわけじゃないのに、あ、かわいくない。そんなリアクションを引き出してしまうような言葉なんじゃないかと思うのだ。

仮に小学生や中学生の子供が、道端で蛙が両手両足を広げたようにして潰れて…いや、転んでいたとする。たまたま、そこを通りかかった自分が「大丈夫?」と、聞いたとする。

「……大丈夫です」

それを口にした人間にもよるが、大抵が、かわいくない。そう思われてしまうことだろう。

ま、道端に転んでいたのが、大人だとしても、ばあちゃんだとしても、そんな状況で大丈夫だと言われれば、同じようにかわいくはない。

ただ、意地っ張りなかわいくない。そんなイメージをもたれてしまう。

それが、職場で、日々顔を突き合わせている者同士だったらどうだろうか?
ましてや、大丈夫?なんて、声も掛ける必要も無いほどにテキパキと仕事をする。ああ、できる人ね。と、思われているなら良いが、案外、何かの拍子にかわいくない人間だと思われている瞬間があるかもしれないよね。

ま、何時でも、何処でも、頼りすぎもどうかとは思うけどさ…。それだとしても、「適度に」、或いは、「時として意味の成さない」、そんな何気ない状況で誰かに頼ることは生きていく術(すべ)でもあるのだと思うのだ。

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本当のことを見抜く筋肉

物事の中心とは、常に不動のもの。そして、良いとか、悪いとか、そういった判断は本当のことの「ある側面」を示している。故に、それらを思想や固定観念、或いは、思っていること(個人の考え)。といった、そんなジャンルに分けられるものなのだと思う。そういったジャンルは物事の中心を球体とした場合、球体に依存する無数に刺さった針なのではないだろうか。

本当のことというのは、誰かが素晴らしい思想を述べたとしても、何も変わらない。この世の人間が、その本当のことを誰一人として知らなくとも、本当のこととは唯一ひとつだけなのだ。

例えば、先日も記事としてあげたけれど、精神科医が何々という病名を患者に対し判断したとする。その判断は「正しい」のだ。だけれども、正しいというだけで、本当のことではない。
仮に、ウツになってしまった人間が家族に居たとする。で、自分がウツだったとする。病院へ行ってウツだと言われたのだからウツなのだ。
じゃぁ、自分以外の家族がウツを勉強した。熱心に取り組んだ。その末に、ウツと言う症状を理解した。

そこで、少し考えてみる。これらの全体を遠くから眺めてみたとする。
ウツという症状は、学んだ知識の中に該当している。だけれども、普段の生活はどうだろうか…。
症状というものから切り離して物事を考えてみる。
すると、どうだろう。行動や行為、或いは言動、そんなものの繰り返しというだけだよね。
それらの行動などが集結してウツと言われているだけだ。

じゃぁ、この行動を見ている家族の中に、こんなことを考えている者はいないだろうか。
ウツの家族に対し、「この、(ウツの家族以外の家族が、或いは、ウツになってしまった家族が)何々という行為が(ウツの家族に対し)悪循環を招いている原因ではないのか」と…。

私は、それが本当のことだと思うのだ。
そして、不動のことだと思えるのだ。

確かに、ウツという症状は、ウツになった本人の感情の捉え方の問題に起因している。それに、家族にもウツがいる場合も多い。ウツは、ウツになった人間の「ウツになった切欠がどんなものだったのかを理解できれば治っていく」と、言われている。
でもね、それって、死ぬまで分からないかもしれない。だからこそ、医者の提示するお薬が必要だ。
だとしても、今の連続で繋がっている、その本当のことが理解できれば、循環していくものだよ。当然、根源に対しアプローチしていくのだから、的を得ていれば改善もしていくはず。

ところで最近の私は、本当のこととは、なんなのか。そんなポイントで様々な物事を捉える機会が多くなっている。そういった観点で物事を捉えるというのは、筋肉と同じで、鍛えていくものじゃないのかなとも思うのだ。
やはり、精神を鍛えるという言葉があるように、心にも鍛えるべく筋肉が存在しているのだと、そう思うよ。

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心の中の幾万通りの顔

心の顔はいかようにも変化する。そして、幾万通りもの顔を持っていることだろう。
中には、生涯で、たった一度しか顔をださない自分もいるはずだ。

でさ、そのいかようにも変化する顔は、どれもが自分自身なのだろうか…。

医学の分野でこんなことを質問すれば多重人格とか何かしらの症状名をつけられてしまう気もする。ま、だからといって、多重人格の話をしたい訳じゃない。一般に。多くの。そういう広い意味での心の顔。そういう基準からお話をしたいだけ。

が、しかし……だとしても、どんな風だったとしても、人間は皆が皆、おかしいのだ。

なぜなら、正常な人間とは、どんな人間だろうか。ひとことで言うと何?!

精神科医が正常と認めた者は正常なのか。じゃぁ、精神科医が正常と認める基準は、今の世の中の「常識」が多くを占めてはいないだろうか。時代が違えば、正常と異常の判断が異なるということもあるはず。
今、この場で、正常だと判断したとする。じゃぁ、そのまま100年後に瞬間移動できたとするよね。それで、精神科医が異常です。と、判断をするかもしれない。
つまり、病名も症状名も人間がライン引きをして、ここからここまでは何々という病気です。それ未満は何々です。と、名称をつけているだけ。100年後に新たな症状名が見つかったとしたら、今のこの地点で分かっていないというだけで、実際は症状名があるということ。
で、話はまた戻るけど、人は皆、おかしいと思うんだよね。どこか壊れているのが人間だと思うのだ。完璧な細胞を持つ人間なんているのだろうか…。だって、もしも存在するとしたら「優勢遺伝子のみ」の人間が存在するといっているようなものだと思うのだ。ハッキリ言って、人間には正常なんて無いと思うんだ。ま、専門家が読んだら、その予想(妄想)は、全く論外です。とか、言われてしまいそうだけど、結構、これについては自信があるね。


さて、言い切ってしまったところで、次の話に進めていくよ。

冒頭で書いた、幾万通りもの顔。
この顔は、絵で描いたら、体がひとつで首から上に幾つもの顔があるような、そんなイメージかもしれない。
でもね、その奇妙な生き物は誰の体にも住みついていて、時々、顔がぐにゃぐにゃと変化していく。そう、優しいおばあさんが鬼みたいな顔になったり。そんな感じかな。

この幾万通りもの顔は、自分が自分の中に居なくなると増えるんだよ。
ま、自分と、幾万通りもの生き物がいる。そんなイメージ。
けれどもね、本当は数個しか顔なんて無いんだ。
肉体という名のポケットに出入りできる自分が居て、ほいで、その自分が何かの拍子に現実逃避をする。
すると、一気に顔の暴走が始まり、好き勝手に、思い思いの言葉や感情をぶつけてくる。
ぶつける先は肉体。運動神経だったり、感情の神経だったり、時には分泌物とか。ま、体の中なら何でも在り。
そんな感じで、暴走する顔たち。

で、自分は何処にいったのかって? うん。自分は顔たちの居る直ぐ傍で、顔たちの影に成り切って凍結している。そう、感情を停止するの。
それだとしても、人間は感情を止めることが出来ない。感じていない人でも、無意識という世界の中でしっかりと感じているし、案外、認識できないだけで実は感じています(←認知の問題ね)。なんてこともある。
その止まったままの自分の代わりに、顔たちはいっせいに暴れだす。

すると、自分は影になって固まっているから、聞こえないし、感じない。

それでもね、神経という伝達経路を伝って、感情の代わりに声を伝えてくる。と、同時に、何故か胸とか胃の辺りがもやもやする。

このもやもやは、自分自身に嘘をついたり、あるいは、逃げているのに逃げていないよ。と、自分を正当化してみたり、要は、自分を騙している、誤魔化している。そんな時の状態なんだよ。

こんな時の対処法。うーん。人にもよるから、コレだよ。とは、言えない。
だとしてもさ、自分が、自分と話し合う良い機会だということには違いないね。
たまには、そんな時間の過ごし方も素敵だと思うよ。

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けものの自分と人間の自分

けものの自分と人の自分。ふたつも、みっつも、寄せ集まり自分が居る。

どれが本当の自分なの…。

果たして本当の自分など何処に居るのだ。

けものは、本能の赴くままに我が身をひるがえし、無謀な要求を我が肉体に命じてくる。
そして、人の自分は、醜く傲慢な欲を持つけものを毛嫌い、心の闇という檻の中に仕舞い込む。
それでも、けものは欲望のピークになると、あっさりと檻を蹴散らし這い出てくるのだ。

なんのために?

ぼくは、人間である「ぼく」に、自問自答してみた。

本当は、その欲を叶えたいからに決まっている。

じゃぁ、どうして、ぼくはけものを檻に仕舞い込む必要がある…?

だって、みんなに嫌われるじゃん。

……嫌われる? 嫌われたら何か困るの?

そりゃぁ、困るよ。

どんな風に?

…………。

なにも答えが言えないんだね。それなのに、どうして、檻に入れるなんて言えるの? そんなのおかしいよ。

だって、本能を剥き出しにしたら、犯罪者になってしまうし、まともに生きて行けない。

だったら、どうなりたいから、檻に入れているの? まともって、なに。

まともは、まともだ。普通ってことだよ。

そう、まともってことは良い人になりたい訳じゃないんだね。まともってこと自体、当たらず触らず、適度な距離を保ち、腹の中が黒くても表面上が正しければ「まとも」なんだ。
ってことはさ、普通なんてのも、適当に言っている証拠だ。普通なんて基準は無いんだから。
だったら、きみは、ただ、目立たず生きていきたいって思っているということだよね。

……。

ほら、常に何に対しても適当で、しっかり考えてないから、やっていることと考えていることがバラバラでしょ。
結局、自分がどうしたいか分かっていない。

……。


けものは、闇に封印すればするほどに、這い出たときの反動が強烈だ。
だって、そっちがまんまの自分だから仕方が無い。

故に、そのまんまの自分を恐れる無かれ。
勇者の血が流れているけものをおそれる無かれ。

けものは、けものとして生きるからこそ輝くもの。
人間としての自分が、けものの自分と本気で向き合った末に、人間の知恵と精神により、けものを調教していくもの。

だとしても、けものはけもの成り。

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プロフィール

HN:
福島の母 占い軒龍卑(haruka)
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/11/01
職業:
占い師&マクラメ工芸士(講師もします)
趣味:
占い・読書(ほぼ仕事の本)・ガーデニング・その他諸々
軒龍卑の近況:
福島県福島市笹谷在住
現在は福島市笹谷にある、店舗【卯羅那石(うらないし)】にて鑑定をしています。店舗では占いの他にマクラメアクセサリー(ワークショップもあり)・柔道整復師によるリラクゼーション・インド刺繍リボン(業者卸有り)・天然石(業者卸有り)・雑貨などを取り扱っています。

なにげ修行は一生だという考えの持ち主です。
形の無いたったひとつの本当へ意識と脳が融合した状態で辿りつくことを数ある修行の中でも最低のラインと考え実践しています。

それから近年の変化ですが、霊界との関係性に変化があり、有効な知識を蓄え血肉にするため日々鍛錬しています。

私生活では極力霊界の事情を持ち込まないように、仮に持ち込んだ場合は速やか且つ敏速に対応しています。

それから私はかなりの方向音痴です。
なので出張へ行くと数回に1度の割で逆方向へ移動することが…。
しかも霊視中にも方向音痴が炸裂するので、東西南北ではなく時計表示&前後左右で方角を説明します。

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