心の顔はいかようにも変化する。そして、幾万通りもの顔を持っていることだろう。
中には、生涯で、たった一度しか顔をださない自分もいるはずだ。
でさ、そのいかようにも変化する顔は、どれもが自分自身なのだろうか…。
医学の分野でこんなことを質問すれば多重人格とか何かしらの症状名をつけられてしまう気もする。ま、だからといって、多重人格の話をしたい訳じゃない。一般に。多くの。そういう広い意味での心の顔。そういう基準からお話をしたいだけ。
が、しかし……だとしても、どんな風だったとしても、人間は皆が皆、おかしいのだ。
なぜなら、正常な人間とは、どんな人間だろうか。ひとことで言うと何?!
精神科医が正常と認めた者は正常なのか。じゃぁ、精神科医が正常と認める基準は、今の世の中の「常識」が多くを占めてはいないだろうか。時代が違えば、正常と異常の判断が異なるということもあるはず。
今、この場で、正常だと判断したとする。じゃぁ、そのまま100年後に瞬間移動できたとするよね。それで、精神科医が異常です。と、判断をするかもしれない。
つまり、病名も症状名も人間がライン引きをして、ここからここまでは何々という病気です。それ未満は何々です。と、名称をつけているだけ。100年後に新たな症状名が見つかったとしたら、今のこの地点で分かっていないというだけで、実際は症状名があるということ。
で、話はまた戻るけど、人は皆、おかしいと思うんだよね。どこか壊れているのが人間だと思うのだ。完璧な細胞を持つ人間なんているのだろうか…。だって、もしも存在するとしたら「優勢遺伝子のみ」の人間が存在するといっているようなものだと思うのだ。ハッキリ言って、人間には正常なんて無いと思うんだ。ま、専門家が読んだら、その予想(妄想)は、全く論外です。とか、言われてしまいそうだけど、結構、これについては自信があるね。
さて、言い切ってしまったところで、次の話に進めていくよ。
冒頭で書いた、幾万通りもの顔。
この顔は、絵で描いたら、体がひとつで首から上に幾つもの顔があるような、そんなイメージかもしれない。
でもね、その奇妙な生き物は誰の体にも住みついていて、時々、顔がぐにゃぐにゃと変化していく。そう、優しいおばあさんが鬼みたいな顔になったり。そんな感じかな。
この幾万通りもの顔は、自分が自分の中に居なくなると増えるんだよ。
ま、自分と、幾万通りもの生き物がいる。そんなイメージ。
けれどもね、本当は数個しか顔なんて無いんだ。
肉体という名のポケットに出入りできる自分が居て、ほいで、その自分が何かの拍子に現実逃避をする。
すると、一気に顔の暴走が始まり、好き勝手に、思い思いの言葉や感情をぶつけてくる。
ぶつける先は肉体。運動神経だったり、感情の神経だったり、時には分泌物とか。ま、体の中なら何でも在り。
そんな感じで、暴走する顔たち。
で、自分は何処にいったのかって? うん。自分は顔たちの居る直ぐ傍で、顔たちの影に成り切って凍結している。そう、感情を停止するの。
それだとしても、人間は感情を止めることが出来ない。感じていない人でも、無意識という世界の中でしっかりと感じているし、案外、認識できないだけで実は感じています(←認知の問題ね)。なんてこともある。
その止まったままの自分の代わりに、顔たちはいっせいに暴れだす。
すると、自分は影になって固まっているから、聞こえないし、感じない。
それでもね、神経という伝達経路を伝って、感情の代わりに声を伝えてくる。と、同時に、何故か胸とか胃の辺りがもやもやする。
このもやもやは、自分自身に嘘をついたり、あるいは、逃げているのに逃げていないよ。と、自分を正当化してみたり、要は、自分を騙している、誤魔化している。そんな時の状態なんだよ。
こんな時の対処法。うーん。人にもよるから、コレだよ。とは、言えない。
だとしてもさ、自分が、自分と話し合う良い機会だということには違いないね。
たまには、そんな時間の過ごし方も素敵だと思うよ。
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