なんであの時にもっとこうしておかなかったのかと
人は時に強い後悔の念にかられてしまう。
それは…
人生全般の様々な場面で後悔という名の悲しみと対峙しなくてはいけない時がある。
なんていうか
後悔という絶望や悲しみの渦中だから…
悲しみから逃げたくて泣いてみるけど
結局、どれだけ深い悲しみでどれだけ痛いことなのかリアルに理解するしかなくて。
泣いたら少し復活できそうな気がしてたとしても、泣いてみたら絶望を舐めるしかないこともあったりする。
悲しみと絶望を受け入れる事が出来ないから
その現象をどうにかしようと
心の収まる場所でもある着地点を探すのだけど…大抵は見当たらない。
だからどうにもならない現実を抱えたまま地団駄を踏むしかないわけで。
そういうふうに中から外へ向ける行為って辛すぎる自分への自己防衛のようにも思える。
本能に従ったゆえに地団駄を踏みまた泣き叫び、更に、暴れたり攻撃的になることで自分の中にある大切なナニカを守っているような、いわゆる自己防衛とでもいうか。
ただ悲しいことに
自己防衛として起こした行動は
心に対し、破壊のプログラムの、進行や加速を時に引き起こすこともあるだろうし
そして何よりも攻撃的な行為を正当化した場合、現実的に法律に関与する場合も大いにあるわけで…。まあ最悪は逮捕ですが。
(ああもしかしたらストーカーなんかもこうした心理態勢なのかもしれないですね)
しかしこれは、人のメカニズムに合わせて法が作り込まれているわけではないのだから仕方のないことなのだろうと思うし、また仮にそういう法が存在したら世の中の秩序は信じられないほどに乱れてしまう。
すなわち、どうしようもないことをどうにかしようとしてしまうと、場合によってはとても危険なことにもなりうるという話しです。
折角なのでついでに軽く書いておきますが、意味的には根深い話しなので理解するには少し難しいかもしれないですが、まあとりあえず。
結果的にこういう場合の着地点というのは無く、実在するとしたら、自分らしくどう歩くべきかという着地点とは全く関係の無い「結果論から言えば着地点」しかないわけで。
それはつまり地団駄からの生還が最低限の条件なのかもしれないと、なんとなく思うのですが……。
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