物事を正面から受け止める事が出来るまでに幾らか時間がかかることがある。場合によっては幾らかどころか数年いやずっと受け止める事が出来ないこともある。
受け止められないということは歪んだ現実を見てそして体感しているわけで。
それは責めている意味でもなんでもなく、ただただ現実の話し。
自分も含めて人はなぜ自分の都合よく物事を理解しようとするのだろうか。論理的でないものをさも論理的であるかのように納得し理解した気になってしまう。そこに頭の善し悪しは関与していないように思うし、仮にあるとすれば理解した気になった割合の違いくらいかもしれない。
先日、市美展の作品を搬入してきました。来年も何かしら美術展に出展しようかなと思うのですが、市美展へ出すかどうかは未定です。
うちの旦那さんは次に私を描くのだそうですが、私のほうは描きたいものが無くて模索中です。
市美展の作品を搬入した時なんですが、受付の人(女性)に「夫婦で同じ趣味って良いわね~」とかなり気持ちを込めて言われました。んー確かにそうですね。絵の話しの時はふたりして会話の密度が違いますから、とても良い事なんだなと改めて実感していますよ。
もともと旦那さんも私も絵を描くのは好きでしたが、ふたり共ちゃんとした絵は描いたことが無かったんですよね。
まあ私の場合、WEB上でCGは描いていましたが趣味とはいえそれほどの腕も無いし、またそのCGにより誰かと密に交流をすることも無く過ぎてきました。ただ好きだから描くという感じですかね。せいぜいここで公開するか他サイトでチラッと載せるぐらい。
そんなある日、発作的に絵画教室を探しあてて行ってみたい習ってみたいと私がだだをこね、あなたも一緒に習うんだよ?と旦那さんへ強制的に話しを持ち出し…。
え?なんで俺まで…?という旦那さんに、だってひとりで嫌だもん、と…。漫才みたいですが実話です。
結果的にですが、渋ってた割になにげ旦那さんの方が絵画教室で熱心ですよ。私は絵が決まらないだの乾かないだの言って休憩することが多いですから。しかも私が誘わないと休憩しようとしないし。
絵は習わなくても…

なんて言ってのに、好きだとそういうものなんですかね?
そんなこんなで既に一年くらい教室へ通ってます。まあ通っているとは言っても月一ですが。
さて今週の水曜から市美展が始まるんですけど、他の絵と並んだ時にどんなだろうか?と、そこばかり気になってちょっとどきどきしています。お客さんも幾人かの方が市美展へ来てくれるということなんですが、なんか恥ずかしいです。ん~授業参観で児童として発表するみたいな気恥ずかしさが……。というかこう見えても結構照れ屋なんですよね。
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