この世の本当を知っていく過程で思うことがある。
正しいことが正しいばかりではないと、また、正しいことがどんなに正しくても正しさが空中分解してしまい正しいの意味を成さなくなることもあると。
だがそれでも言えることは行動により結果が決まっているのではなく、気持ちにより行動の中心が決定しある種の拘束ができそこへ行動が加わることで結果が決まってしまうということ。

辛さのループから抜け出れ無い時とは
もともと綱など存在してないのに、さも綱渡りの状態が実在しているかのようにして床の上を歩く時であり。
また、そこが床でしかないのに空中だと思い込む現実を自己内で作り上げるから思うように歩けないし不安も膨らむのであって、それゆえ悩みという存在しないテーマへと移行するわけで。
つまりそれらは空想(非現実)というだけのことでただそれだけのことでしかないのに、悩みへと突入した挙句どうにもならないことをどうにかしようとするため人は時に「衝動から繋がって“くれるはず”の未来絵図が」実在するのだと思い込んでしまう。
だがしかしそのルートからの現実とは、単純に未来は存在したとしても、“在るはずだと思い込んでいた「衝動の詳細でもある、つまり衝動を根幹として湧き出てきた願いや思い、気持ちなどからの未来は」現実の中に形など残せない”ものだし繋がっていると思っていた今と未来を結ぶ点と線も存在してはいない。
この状態が何を意味するのかもう少し優しい言い方をすると、自己内の現実や自己内の常識が現実へも反映されていると錯覚していて、当然錯覚からの未来も実在していると考え、夢という名の妄想を抱いてしまう。その結果、現実を見ていないわけだから思い描いていた事とは異なる現実が実在するわけで、ゆえに今と未来とを繋ぐ架け橋だと思い込んでいた“自分の思い(正しくは衝動を根幹に発展した思いや考えなど)からの未来は実在しない(できない)と”いうことになる。
いわゆる現実を受け入れているかいないかが問題なわけでその結果現実の中で“非現実を生きる者と現実を生きる者の”差が出てきてしまうということでしかないと思う。
結局は現実を受け入れるのは人のキャパなのかもしれないが、それでも現実を受け入れなくてはいけない問答無用の現実というのが実在しているので、そういう意味で時に強引に運命の方から切り込みを入れられてしまうことがある。
だからこそ思うことは
現実を知っているというカードを持つ者だけが、いざという時に運命に立ち向かうためのステージへあがれる権利を持てるのだと思えます。
非現実を現実と思い込んだままだとどういう結末になるのかというひとつのパターンが分かるかもしれないDVD「
トゥルーブルース」ブラピが出ています。興味がある方は観てみるといいでしょう。
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