とあることが切欠で「殺気」についての記事をプライベートのブログで書いたのだ。
そのブログ内で、殺気というものを私がどう捉えてるのか、という内容を記事にしたの。
殺気というからには「殺してやる」というような「気持ち」。あるいは、その人間を取り巻く「気」なのか?
と、思ってしまう人も居るだろう。
けれども、殺気とは「○○を○○にしたい」という欲求が在り、また、その欲求を果たすために「対象となる何かを取り込もうとする願望」が、殺気を生み出しているのだと思うのだ。
例え、取り込みたい何かが、自分よりも器が大きかったとしても、「対象となる何かを取り込もうとする願望」がある限りは、その対象(取り込みたい何か)の本当の姿は見えないものだよね。
だって、本当のことを無視して、取り込んでやると思っている時点で「負けている」のだから、負けを認めないうちは同じ土俵に上がれない。ま、仮に、上がれたとしても、勝ち負けなんて最後の最後まで分からないものだよ。
ところで、殺気は、以前記事としてあげた「鏡の中の住人」のお話しがあるけど、そのお話とも共通している。
ま、共通ついでに言ってしまうと、人間は気づかないで殺気を放ちまくっている人が結構いるということだよ。
ある森に木がいました。その木が年月を掛けて滲みだした毒がありました。同じ種類の木々は毒なんか滲みだしていないのに、自分だけ毒が出ていたのです。
滲んだ毒が回って、その毒を出している木だけが中毒を起こした。
で、他の木々は、毒なんか回っていないし、いつも通りに生きている。楽しそうな笑い声が森に木霊している。
だけれども、毒が回って中毒を起こした木は、中毒を起こした状態からしか物事を見れなくなっていた。他の木々が笑いながら自分を見ている気さえしたのだ。
また、毒が回った木は、こうも思いました。毒が回った自分をキモイと思い笑うのだと、とても心を痛めました。
ある日の昼下がり、樹木のドクターが森の診察に来ました。勿論、毒が回った木も診察されました。
そこで木は、毒が回って中毒になりました。と、ドクターに嘆きました。
そして、ドクターは言いました。
「それは、毒ではなく、樹液ですよ」
自分が放つ殺気を何処からでも見出せてしまうということとは、そんな錯覚と似ている気がするよ。
□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□*:;;;:*■□*:;;;:*□■*:;;;:*□■
ある森に木がいました。その木が年月を掛けて滲みだした魔法薬がありました。同じ種類の木々は魔法薬なんか滲みだしていないのに、自分だけ価値のある魔法薬が出ていたのです。
滲んだ魔法薬が効いてきたので、「他者からの尊敬や羨望」を集めることが容易になりました。
で、他の木々は、自分を尊敬してくれるし、羨ましいと言ってくれるようになりました。自分は太陽の光をサンサンと浴び続け、他の木々は暗く湿った土の上で輝きを無くしていました。
だけれども、魔法薬が回って中毒を起こした木は、中毒を起こした状態からしか物事を見れなくなっていた。他の木々の尊敬と羨望を維持していかなくてはいけないと思っていた。
また、魔法薬が効いた木は、こうも思いました。魔法薬を使った自分は醜いなどということが、あってはいけないのだ。と、目標という名の気負い見せました。
ある日の昼下がり、樹木のドクターが森の診察に来ました。勿論、魔法薬が効いた木も診察されました。
そこで木は、私の魔法薬はいかに優れていて、どれ程素晴らしいのかということをドクターにお話しました。
そして、ドクターは言いました。
「それは、魔法薬ではなく、ただの樹液ですよ」
空(から)を掴み、実が詰まっていると思う。
そのさまに気づき、今よりも更に「自分が自分でいれるもの」と思います。
[0回]