おはようございます。今日の福島市は曇り空です。それに少しだけ肌寒いですね。
東海地方が昨日までに梅雨入りしたそうですね。
全体的に例年よりも遅れた梅雨入りということらしいです。
さて、昨日記事としてあげたミニチュアドールの動画(you tube)ですが、あの動画を見つけるまでには経緯がありまして…。別にミニチュアドールを検索していたわけではなく、人形師が造った霊的にも美術的にも私を深い意味で意識を沈めてくれる。そんな人形がどうしても見たくて検索したんですよ。
以前、人形の展示会へ行ったことがありまして。福島市の中合デパートでは2年に1度の割合で「ドールアート展」を開催ているのですが、去年、開催時に行ってきたんです。
そこで見た展示されている人形の中に生きたままの人形が何体かあり、現実と霊界の狭間へ意識を持っていかれた記憶があります。
それはまるで生きたままの人形の意識と共鳴し溶け合い増幅していくような、そんな感じ。
まあ、今しがた体感したような鮮明な記憶として再現できる感覚ですよ。
で、昨日とあることが引き金となり、その生きたままの人形を見たくてネットで検索したというわけです。
ただ、動画でアップしたミニチュアドールは私が展示会で共鳴した感覚へと引きずり込まれたものとは世界が違い、これまでの感覚と感覚のちょうど見落としたようなスポットに潜り込んだような異世界を感じたんです。
明確にいうなれば、人形に対してどうこうという異世界ではなく、あれを造った人間へある種の異世界という時空を人形をバイパスにして感じ取ったようなそんな感覚でしたね。
とても奇妙な感覚というのかピッタリとする言葉なのかもしれません。
心模様を何かの形で表現する技術や技を持つ人。
そういう人たちに対しとても深い意味で敬意の気持ちを持ちますね。
また、そういった心模様が霊界や狭間を浮遊する作品であったりすると、その表現している世界がどんな位置のものなのか、また、その位置からどの部分に対して何を発信しているのかと、いろいろ考えたり感じてみたりします。
技とは時として人の心を魅了し、場合によってはその人間のその後の世界観までもを変えてしまうもの。
世界観を変えてしまうほどの技とは、洗練され熟練されたものであると同時に発信源が深い意識であればあるほど人の精神を呑み込んでしまう。
しかし、その意識から開放されたその誰かの現実の中へ、何かしらの形で足跡を残せる技が(技を要求される職業であるのなら職種に関係なく)本物の技なのではないのかと何となく感じています。
そして、その人間たちが同時に求めているミクロの点の世界へ自分なりのやり方ですすむのだと、更なる誓いをたてている。そんな日々を私は過ごしています。
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