どうすれば幸せになれるのか。
どうすればこの不幸から離脱することができるのか。
どうすれば……。
自分の人生に疑問を持ち取り組む切欠は、どうすればという言葉かもしれない。
不運のイメージは、個人々の感覚で異なるものだと思う。
例えば、
交通事故にばかり合う。
身内が毎年たて続けに誰かしら亡くなる。
上手くいきそうになると途端に駄目になる。
など、様々な不運のイメージ。
しかし、それらはもともとの自分の運の量(=強さ)がベースとなり、生きている過程(思い考え、そして行動する事により)を積み重ねていくことで、もともとの運よりもよりよくしたり、更に酷い状態にしてしまったりする。
生きていく上で何もないならそれに越したことは無い。誰だってそうだよね。
じゃぁ、同じ状況であっても、事を起こす人間とスルーする人間といるでしょ。
その場合、闇雲に意味も無く事を起こすのを無謀という。
そして、ほんの僅かな物事だったとしてもより良くするために事を起こすことを運を変えるという。
この後者の運を変えるということだけど、当然、持たされた自分の運の量(強さ)なんてのは同じなんだよ。でもね、その運を少しでも「良い」というエリアへ量(強さ)を同じままにして風向きを変えることが出来る。
つまり、カメラの「三脚の位置」を変えられない「運の量(強さ)」だとするよね。
その状況でカメラのレンズに映っているのが「あまり運が良くない(風向き)」という風景だったとする。
で、
三脚はそのままにして、「ほんの僅かな物事だったとしてもより良くするために事を起こす」という行為が「カメラのレンズの(風向き)向き」だけを変えることになる。その結果、「運が割りと良い」という風景を映すことができるよ。ということ。
まあ、早い話が、やろうと思ったことはひとつずつ小まめに片付けていくだけで、運は協力的になってくれますというお話です。
運が悪そうな顔しているのに、細々とやるべきことをゆっくりでも片付けている人や、
運が良さそうな顔をして、細々とやるべきことをゆっくりでも片付けている人。そういう人って、なぜか調子良く運が回転しているようにみえない?
まあ、そりゃ、金はあるけど他はね…。とか、そんなにパーフェクトな人は、そうそういないだろうけどさ(笑)
なんていうのかな…。
運が悪いから何かが起こるんじゃなくて、
運を決定しているのは、
何かがあった時の行動で決定してるんだよね。
または、何かが起こりうると想定し行動したこととか。
そういう動きを地道にやっている腰の軽い人は、身軽だからね。
身軽だと運が沈みにくいんだよ。
つまり旅上手は余計なものも持ってないんだ。
旅上手以外で例えるなら、商人みたいに細々と動いてフットワークも軽い。とか。
結局さ、人は考えることを諦めたり、夢を諦めたりすると、
運命の道から希望の光が消えてしまう。
だからこそ、僅かな日銭と僅かな楽しみを持ち、あくせくと働くことで運命が変わっていくものだと…
私はそんな風に感じています。
[0回]